南山王国

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南山王国
14世紀初め - 1429年 琉球王国
南山王国の位置
琉球三山の区分
首都 前期: 島添大里(現南城市
後期: 島尻大里(現糸満市
国王
1337年? - 1388年? 承察度
1388年 - 1402年? 汪英紫
1403年? - 1413年 汪応祖
1413年? - 1414年? 達勃期
1415年? - 1429年 他魯毎
変遷
建国 14世紀初め
滅亡 1429年

南山王国(なんざんおうこく)は、現在の糸満市を中心に沖縄県島尻郡南部に存在した王国。

少なくとも14世紀初め頃、大里按司承察度が周辺按司をまとめ[1]、建国した。

建国後、承察度汪英紫によって王号を奪われたとされる。

1372年に王の汪応祖朝貢し、冊封された。朝貢を22回行っている。

1429年他魯毎の治世のとき、中山王の尚巴志によって滅ぼされた[2]

ちなみに、三山統一を成し遂げた尚巴志の父尚思紹は南山王国の佐敷按司であった。

王の居城は、南山城であった[3]

歴代国王[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 全国歴史教育研究協議会編 『日本史B用語集』 山川出版社 第1版第16刷1998年(1刷1995年) ISBN 4-634-01310-X p.84.中部には浦添按司、北部には羽地按司が勢力を有し、南部の大里按司と共に「三大按司」を形成した。
  2. ^ 『山川 詳説日本史図録 第5版』 山川出版社 2011年 ISBN 978-4-634-02525-7 p.126.三山対立が1326年頃と記され、対立から103年後に滅んだ。
  3. ^ 工藤雅樹 『古代蝦夷』 吉川弘文館 2011年 ISBN 978-4-642-06377-7 p.236.南山グスクに勢力を有し、中部の首里グスク(中山グスク)、北部の今帰仁グスク(北山グスク)と対立した。滅んだ1429年前後に宮古石垣島も琉球勢力下に入る。

関連項目[編集]