尚泰久王
ナビゲーションに移動
検索に移動
![]() |
尚泰久王 | |
---|---|
琉球国王 | |
在位 | 1454年-1460年 |
全名 | 尚泰久 |
神号 | 那之志与茂伊(または大世主) |
居城 | 首里城 |
出生 |
1415年 |
死去 |
1460年6月23日 |
王世子 | 尚徳 |
配偶者 | 護佐丸の娘 |
子女 | 別記 |
家名 | 第一尚氏 |
王朝 | 第一尚氏王統 |
父親 | 尚巴志王 |
母親 | 眞鍋金(伊覇按司一世の長女) |
尚 泰久王(しょう たいきゅうおう、1415年(永楽13年) - 1460年6月23日(天順4年6月5日))は琉球王国の第一尚氏王統・第六代国王。在位1454年 - 1460年。神号は那之志与茂伊(なのしよもい)、または大世主(おほよのぬし)。第一尚氏王統第五代・尚金福王の弟である。
概要[編集]
尚巴志の五男で、越来間切を与えられて越来王子と称する。この時に金丸(後の尚円王)を見出して取り立て、尚思達王に王府官僚として推薦している。尚金福王が死去した後の後継争いである志魯・布里の乱で、双方が共倒れになったことから、金丸や阿麻和利らの推戴により琉球国王として即位した。
永楽通宝を変造した銅銭・大世通宝を発行したほか、護佐丸・阿麻和利の乱を鎮圧したことが業績に挙げられる。
また、初めて琉球に臨済宗を伝えた京都南禅寺出身の僧・芥隠承琥らに深く帰依して多くの仏寺を建立した。梵鐘の鋳造にも熱心で、1458年には万国津梁の鐘を造らせて首里城正殿に懸けさせた。
系譜[編集]
参考文献[編集]
関連項目[編集]
|