百度踏揚

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百度踏揚(ももとふみあがり、生没年不詳)は、琉球王朝の王女。百十踏揚とも表記される。

第一尚氏王統第六代国王・尚泰久の娘。泰久王の妃は中城城主護佐丸の娘であるため、護佐丸の外孫にあたる。

はじめ勝連城の按司である阿麻和利に嫁いだ。1458年、阿麻和利は護佐丸に叛意があることを王府に知らせ、王命を受けてこれを追討した。しかし、阿麻和利自身が王府に対し謀叛を企てており、首里を攻める準備を進めた。踏揚は従臣の鬼大城(おにうふぐすく)とともに夫の許を逃れ、首里にたどり着いた。これにより阿麻和利の叛意は王府の知るところとなり、やがて鬼大城率いる王府軍に滅ぼされた。

そののち踏揚は勝連城主となった鬼大城の妻となった。しかし1469年、第一尚氏を滅ぼした尚円王のクーデターの際に鬼大城も討ち滅ぼされた。踏揚は玉城でひっそりと余生を送り、やがて若いながらに生涯を閉じた。墓所は南城市(旧玉城村)にある。