中山王国

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中山王国
1314年 - 1429年 琉球王国
中山王国の位置
琉球三山の区分
首都 浦添
国王
1314年 - 1336年 玉城
1336年 - 1349年西威
1355年 - 1397年察度
1398年 - 1406年武寧
1422年 - 1429年尚巴志
変遷
王国成立 1314年
琉球王国成立1429年
現在日本の旗 日本

中山王国(ちゅうざんおうこく)は、現在の那覇市浦添市を中心に主に沖縄県中頭郡に存在していた王国三山統一後の琉球王国の正式な国号。春秋時代の中国にあった中山国とは別で、直接の関係はない。

概要[編集]

琉球王国では、中山王国を築いたのは天孫氏とされるがこれは伝説である。英祖王統に入ってから次第に按司をまとめていったものと考えられ、察度が中山王になるころまで形成されたと思われる。

浦添按司察度英祖王統を滅ぼし、察度王統を成立させ、1372年に初めて中国()に朝貢している。察度の世子である次代の武寧は1383年洪武16年)に「琉球国中山王」の賜印を受ける (『琉球国志略 巻四』)。

その後、武寧尚巴志によって滅ぼされ察度王統は終焉する。中山王賜印はそのまま尚思紹、尚巴志に継がれたと言う。

また、明に対して使節を送り、「武寧が没しその世子巴志が王位を継いだ」と偽りの報告をしたため、そのまま中山王位を継承する事になった。琉球統一後も、自称、他称共に王号は琉球国中山王で有り続けた。

察度王統までは浦添に都したが、尚巴志が首里に遷都した。なお、尚巴志は父である尚思紹を中山王とした。第一尚氏王統の始まりである。

1416年には北山王国を、尚巴志の代の1429年には南山王国を滅ぼし、三山の統一を果たした。琉球王国の始まりである。

中山王国の王統[編集]

以降、琉球王国

参考文献[編集]

  • 『中国・琉球交流史』徐恭生(1991)、西里喜行・上里賢一訳、ひるぎ社

関連項目[編集]