今宮神社 (京都市)

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今宮神社
今宮神社3.jpg
楼門
所在地 京都市北区紫野今宮町21
位置 北緯35度02分44.25秒
東経135度44分31.25秒
座標: 北緯35度02分44.25秒 東経135度44分31.25秒
主祭神 大己貴命事代主命奇稲田姫命
社格 旧府社
創建 正暦5年(994年
例祭 例祭(例大祭) - 10月8日・9日
地図
今宮神社の位置(京都市内)
今宮神社
今宮神社
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今宮神社(いまみやじんじゃ)は、京都市北区紫野にある神社である。社格は旧府社。別名「玉の輿(たまのこし)神社」とも言われる。京都市北区・上京区において大きな氏子区域を持ち、祭礼の規模が比較的大きな神社として知られている[1]

祭神[編集]

歴史[編集]

現在の今宮神社がある土地には、794年延暦13年)の平安遷都以前から疫神スサノオを祀る社(現在摂社疫神社)があったとされる[2]。平安遷都後にはしばしば疫病や災厄が起こり、神泉苑上御霊神社下御霊神社八坂神社などで疫病を鎮めるための御霊会が営まれた[2]994年正暦5年)にも都で大規模な疫病がはびこったため、朝廷は神輿2基を造って船岡山に安置し、音楽奉納などを行った後、疫災を幣帛に依り移らせて難波江に流した[2][3]。民衆主導で行われたこの「紫野御霊会」が今宮祭の起源とされ、京都の他の都市祭礼と同じく災厄忌避を祈願する御霊会として始まった[4]

1001年長保3年)にも疫病が流行したことから、朝廷は疫神を船岡山から移し、疫神を祀った社に神殿・玉垣・神輿を造らせて今宮社と名付けた[2][3]大己貴命(おおなむちのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)、奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)の三柱の神が創祀された[2]。疫病が流行るたびに紫野御霊会が営まれ、やがて今宮社の祭礼(今宮祭)として定着して毎年5月に行われることとなった[2]

創祀以来、今宮神社に対する朝廷・民衆・武家からの崇敬は厚く[2]1284年弘安7年)には正一位の神階が与えられた。15世紀-16世紀には、京の町が応仁・文明の乱(1467年-1478年)や戦国の兵乱などに巻き込まれ、今宮神社自体も荒廃[2]。応仁・文明の乱では今宮神社も焼失した[5]1593年文禄2年)に豊臣秀吉は今宮社の御旅所を再興し、神輿1基を寄進した[2]

西陣の八百屋に生まれた「お玉」が徳川3代将軍家光の側室となり、5代将軍綱吉の生母・桂昌院として従一位となった。このことが「玉の輿」ということわざの由来になったとの説がある。桂昌院は京都の寺社の復興に力を注いだが、今宮社に対する崇敬と西陣に対する愛郷の念が非常に強かったといい[2]1694年元禄7年)には御牛車や鉾を寄進したほか、祭事の整備や氏子区域の拡充、やすらい祭の復興など様々な施策を行った[2]江戸時代には社領として今宮神社に50石が与えられた。

1795年寛政7年)には、機業者を中心とした西陣界隈の豊富な経済力を背景に御旅所に能舞台を落成し、秋季に能の公演を行っていた。しかし、織物産業の衰退により、1970年代を最後に途絶えることとなった[6]

1896年明治29年)に本社殿を焼失したが、1902年(明治35年)に再建を果たした。

氏子区域[編集]

1717年(享保2年)頃にまとめられた『京都御役所向大概覚書』によると、今宮神社の氏子区域は東が堀川通(ただし小川学区の西側半分を含む)、西は七本松通、南は二条城、北は不明確だがおおむね玄以通である[4]。東側は上御霊神社の氏子区域と、西側南部は北野天満宮の氏子区域と、南側は八坂神社の氏子区域と接しており、西側北部は紙屋川が境界となっていた[4]。現在の行政区でいうと北区の南東部と上京区の西部にあたり、その中心にあるのが西陣地区である。

祭礼[編集]

今宮祭での神輿巡幸
4月第2日曜日に行われる。「やすらい花」として国の重要無形民俗文化財に指定され、京都の三大奇祭[注 1]にひとつに数えられる。今宮祭同様に御霊会を起源とする農村部の祭礼である。
5月に行われる祭礼であり、神輿出し(5月1日)、神幸祭(しんこうさい、5月5日)、還幸祭(かんこうさい、5月15日付近の日曜日)、神輿おさめ(5月19日)の順に行われる[7]。やすらい祭同様に御霊会を起源とする都市(西陣地区)の祭礼である。
祭の開催に合わせて、2014年平成26年)より、御旅所の能舞台で「能舞台フェスタ」が開催されている[6][8]
  • 例祭(例大祭)
10月8日・9日に行われる。

文化財[編集]

  • 重要文化財
    • 線刻四面石仏
  • 重要無形民俗文化財(国指定)
    • やすらい祭(夜須礼祭)(重要無形民俗文化財指定名称は「やすらい花」)

摂末社[編集]

摂社[編集]

末社[編集]

名物[編集]

「かざりや」のあぶり餅
あぶり餅
祭事で用いられた竹や供え餅を、参拝する人々に厄除けとして提供したのが始まりとされる。東門の門前に参道をはさんで、「一文字屋和輔」(いちもんじやわすけ)と「かざりや」の2軒の店が建つ。一文字屋和輔は1000年の、かざりやは江戸時代初期の創業と伝わる[9]
親指大にちぎった餅にきな粉をまぶし、竹串に刺したものを備長炭であぶって、白味噌のたれをかける[10]。2軒とも保存料は用いず、販売は店頭に限定している[9]。定休日も同じだが、白味噌は2軒で異なるものを用いている[11]。常に周囲に香ばしい匂いを漂わせ、客の注文を受けてから餅をあぶり始める。
今宮市手作りフリーマーケット
地域のコミュニケーションを図る目的で、毎月1日に境内で開催される。古道具、日用雑貨や衣類など、手作りの商品を中心に出品されている[12]
阿呆賢さん
「神占石」ともいわれる霊石で、掌で撫でたうえで石を持ち上げ、その際に軽く感じられれば、願いがかなうとされる[13]

今宮幼稚園[編集]

1930年昭和5年)に、境内に設立された。全国神社保育団体連合会に所属し、「鎮守の森を保育の庭に」を合言葉に神社教育を施している[14]。年長児は今宮祭の開催時期に御旅所を参拝する「御旅所参拝」(おたびしょさんぱい)を行う[15]

交通[編集]

京都市営バス46系統「今宮神社前」下車すぐ。1・12・M1・204・205・206・北8系統「船岡山」下車徒歩7分。

今宮神社ギャラリー[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 鞍馬寺鞍馬の火祭広隆寺の太秦の牛祭、今宮神社のやすらい祭が「京都の三大奇祭」である。

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 『今宮神社由緒略記』今宮神社社務所、2012年
  • 本多健一「近世後期の都市祭礼における空間構造 – 京都の今宮祭を事例に」『人文地理』64巻1号、2012年
  • 村山弘太郎「近世の今宮祭と巡幸路」『京都民俗』23巻、2006年

外部リンク[編集]