船岡山
| 船岡山 | |
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| 標高 | 111.7 m |
| 所在地 |
京都府京都市北区 |
| 位置 | 北緯35度02分20.4秒 東経135度44分30.2秒 / 北緯35.039000度 東経135.741722度座標: 北緯35度02分20.4秒 東経135度44分30.2秒 / 北緯35.039000度 東経135.741722度 |
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概要
[編集]京都市北区紫野北舟岡町に位置する、標高111.7m、面積2万5000坪の小山である。船岡山城の遺構が建勲神社および船岡山公園として整備されている。
山頂には三等三角点[注釈 1]が設置されている。五山の送り火の見晴らしが良く、当日は混雑する。山名の由来は『都名所図会』によると舟の形に似るところによるという。
およそ2億年前(中生代ジュラ紀)に堆積した硬い岩石であるチャートからなる典型的な残丘であり[1][2]、山頂付近にはチャートの岩石が露出する。一方、南側は崖となっており、断層ではないかと考えられている[3]。
歴史
[編集]平安京の中軸線である朱雀大路(現在の千本通)の真北に位置している。そのため、推論ではあるが造都に際して船岡山は南北軸の測量基準点となったとの説がある。また頂上付近には露頭した岩が見られるため造都以前から磐座(いわくら)として信仰されていたとする説がある[注釈 2]。
四神(玄武、青龍、白虎、朱雀)に対応する「山川道沢」があることにより平安京が選地されたという、平安京四神相応説の「玄武(=山)」にあたると言われ定説化している。一方で、他の山を充てる説[注釈 3]や、また「山川道沢」は宅地選地に係る四神相応の条件であるという批判や、そもそも「四神相応」が選地の条件であったかについての疑義もある[6]。(→詳細は「四神相応#平安京」を参照。)
古来、船岡山は景勝の地であった。その美観が尊ばれ、清少納言も『枕草子』231段にて「岡は船岡」と、思い浮かぶ岡の中では一番手として名前を挙げている。一方では都を代表する葬送地でもあり、兼好法師も『徒然草』137段にて「(都の死者を)鳥部野、舟岡、さらぬ野山にも、送る数多かる日はあれど、送らぬ日はなし」と述べている。
保元元年(1156年)に行われた保元の乱の後、敗北した源為義とその子供たちがここで処刑されている。
応仁元年(1467年)、応仁の乱の際に西軍を率いる備前国守護の山名教之や丹後国守護の一色義直らが船岡山に船岡山城を建築して立て籠もった(西軍の陣地となった船岡山を含む一帯はそれ以来「西陣」の名で呼ばれるようになる)。織田信長の死後豊臣秀吉が正親町天皇の勅許を受け、船岡山に天正寺という信長の廟を建設する予定であったが、石田三成の献策により頓挫する。が、一帯は江戸時代を通じて信長の霊地として保護された。
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明治2年(1869年)、明治天皇の宣下により、翌明治3年(1870年)東京の天童藩知藩事織田信敏邸内と織田家の旧領地である山形県天童市に建勲社が造営され、明治8年(1875年)に別格官幣社に列格した。しかし、改めて天正時代以来の由縁がある船岡山に神社を移すこととなり、明治13年(1880年)9月、社殿が竣工して東京より遷座し、建勲神社が創設される。昭和6年(1931年)には山全域が風致地区に指定され、昭和10年(1935年)には「船岡山公園」として市民の憩いの場となるように整備される。しかし、戦前まで田園風景が広がっていた一帯も戦後は開発の波に晒され、2000年代には船岡山斜面に高層マンションを建設する計画が持ち上がり、建築計画の修正が行われた。
船岡山公園
[編集]船岡山公園(ふなおかやまこうえん)は、船岡山に位置する都市公園(地区公園)である。1932年(昭和7年)11月28日に指定された京都市の都市計画公園第1号であり[7]、 開設年月日は1935年(昭和10年)11月1日、面積は56,284平方メートルである[8]。
開設当時からの設備として「ラジオ塔」があり、長年受信機とスピーカーが外された状態だったが、「船岡山ラジオ体操クラブ」が修理を求める署名や要望書を京都市に出していた。2015年(平成27年)にクラブが機器と設置費を負担する形での修理を市が受諾し、全国で唯一、当時の姿のまま拡声器と受信機を再設置したラジオ塔となった[9]。また、2025年(令和7年)には、京都紫野ロータリークラブによる社会貢献の一環として、外壁の洗浄、傾きの修正などが行われた[10]。
文化財等指定
[編集]船岡山の全体が国の史跡に指定されている(昭和43年(1968年)2月15日指定)。
また、京都の自然200選(平成7年(1995年)3月27日京都府指定)、風致地区(昭和6年(1931年)7月14日京都市指定)にも指定され、地形や現状の変更が行われないように保護が図られている。
ギャラリー
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山頂から左大文字方向を望む
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山頂部の削平面(船岡山公園)
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船岡山(下)と大徳寺(右上) 国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成
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船岡山石標
アクセス
[編集]京都市営地下鉄烏丸線北大路駅より京都市営バス乗車、「船岡山」バス停または「建勲神社前」バス停(1・12・204・205・206・北8・M1系統)下車
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 岩田 & 山脇 2019, p. 40.
- ^ “京都府レッドデータブック2015「地形|京都府自然環境目録2015」”. 2026年1月10日閲覧。
- ^ 京都地学教育研究会『写真で見る京都自然紀行』 (2010), pp. 50–51, 「平安京朱雀大路の基準点―船岡山」
- ^ 加藤 (2016), p. 220.
- ^ 加藤 (2016), p. 218.
- ^ 加藤 (2016), pp. 220–222.
- ^ 土井 (1991), p. 173.
- ^ “京都市:船岡山公園” (2024年3月27日). 2026年1月11日閲覧。
- ^ “昭和初期のラジオ塔復活 全国唯一、往時の姿で放送(キャッシュ)”. 京都新聞. (2015年4月17日) 2026年1月11日閲覧。
- ^ “京都市北区の「昭和伝える貴重遺構」が見目麗しくリニューアル 地元住民ら感激「ほんまありがたい」”. 京都新聞. (2025年11月12日) 2026年1月11日閲覧。
参考文献
[編集]- 岩田貢; 山脇正資『地図でみる京都 知られざる町の姿』海青社、2019年。ISBN 978-4-86099-344-3。
- 加藤繁生「「京都検定」を検定する(一)「四神相応の都」」『史迹と美術』第867巻、史迹美術同攷会、212-222頁、2016年8月28日。ISSN 0386-9393。
- 京都地学教育研究会編著・石田志朗監修『写真で見る京都自然紀行』2010年。ISBN 978-4-7795-0481-5。
- 土井勉「京都市の公園形成史」『土木史研究』第11巻、1991年、173頁、doi:10.2208/journalhs1990.11.167、ISSN 0916-7293。
