下御霊神社

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下御霊神社
Shimogoryo torii.jpg
所在地 京都府京都市中京区寺町通丸太町下ル下御霊前町
位置 北緯35度01分01秒
東経135度46分04秒
座標: 北緯35度01分01秒 東経135度46分04秒
主祭神 吉備聖霊
崇道天皇
伊予親王
藤原大夫人
藤原大夫
橘大夫
文大夫
火雷天神
社格 府社
創建 貞観5年(863年)
例祭 5月第3日曜日(御霊祭)
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下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)は、京都市中京区にある神社である。旧社格府社。社名は上御霊神社に呼応するものである。

祭神[編集]

祭神は以下の八柱で、「八所御霊」と称される。

  • 吉備聖霊(吉備真備とされることも多いが、吉備真備は憤死した人ではないので、神社側は六座の神霊の和魂と解釈している)
  • 火雷天神(菅原道真とされることも多いが、神社の創建は道真が天神とされるよりも以前なので、神社側は六座の神霊の荒魂と解釈している)

相殿に天中柱皇神・霊元天皇を祀る。

これらの諸神は(吉備真備を除いて)いずれも政争に巻き込まれて憤死した人々で、その怨霊を慰めるために創建されたのが当社である。

末社[編集]

  • 稲荷社
  • 北野社
  • 伊勢社(内宮・外宮)(文政年間に建造)
  • 垂加社・猿田彦社(垂加神道を唱えた山崎闇斎を祀る、のち猿田彦社と合祀された)

歴史[編集]

桓武天皇の時代、各地で疫病が流行した。これは御霊祟りであるとして、貞観5年(863年)5月20日、平安京神泉苑御霊会が催された。この御霊会が当社および上御霊神社の創祀であるとしている。古来より京都御所産土神として崇敬された。享保年間に霊元天皇の霊を配祀した。

元は出雲路の上御霊神社の南にあったことから下御霊神社と呼ばれるようになったと伝えられる。後に新町出水に移され、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の都市整備にともない現在地に遷座した。

なお、式内社研究家の志賀剛延喜式神名帳に記載される出雲井於神社(式内大社)を当社に比定している。

祭事[編集]

明治までは神輿迎が7月18日に御霊祭は8月18日に行われていたが、明治以降は5月1日が神幸祭、18日が還幸祭と改められ、8月18日は例祭日と定められて東遊が奉奏される。現在では還幸祭は5月の第3か第4日曜日に行われており、宵宮では地域の小学校と連携した子供神輿も催されている。

外部リンク[編集]

関連項目[編集]