京阪2200系電車

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京阪2200系電車
新塗装の京阪2200系(土居駅)
新塗装の京阪2200系(土居駅)
基本情報
運用者 京阪電気鉄道
製造所 川崎車輛/川崎重工業
製造年 1964年 - 1968年、1985年
製造数 103両
主要諸元
編成 7両編成
軌間 1,435 mm
電気方式 直流600V架線給電(昇圧前)
直流1500V架線給電(昇圧後)
最高運転速度 110 km/h
設計最高速度 120 km/h
起動加速度 2.5 km/h/s
減速度(常用) 4.0 km/h/s
全長 18,700 mm
全幅 2,720 mm
全高 4,185 mm
主電動機出力 130 kW (昇圧前)
155 kW (昇圧後)
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比 5.60
制御方式 抵抗制御
(竣工時・初期更新車)
界磁添加励磁制御
(初期更新車以外)
制動装置 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ(竣工時)
発電ブレーキ併用電磁直通空気ブレーキ、回生ブレーキ併用電磁直通空気ブレーキ(更新車)
保安装置 K-ATS(出町柳 - 淀間)
京阪型速度照査ATS
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京阪2200系電車(けいはん2200けいでんしゃ)は、1964年昭和39年)に登場した京阪電気鉄道通勤形電車

京阪本線天満橋 - 淀屋橋間の延伸を含む高度経済成長期の乗客増加に対応するために登場した車両である。

投入の経緯[編集]

京阪2200系電車(冷房改造後・改修工事前)

1960年代の京阪では普通や区間急行用として製造された高加減速車2000系が大量に投入されていたが、急行や準急は依然として元特急用車両(1700系1800系)をはじめとした2扉車が多く運用されていた。乗降の少ない運用に長編成化した2扉車を回したり、大型化更新と称して戦前製の車両を3扉の通勤形車体に更新する(600系)ことで混雑や遅延を防ごうとしてきたものの、沿線人口の急激な増大でそれも限界に達しつつあった。そこで、3扉を有し急行や準急に使うことのできる走行性能を有し、かつ経済性にも優れた車両を新造することとなった。2000系は全車電動車によって編成が組まれていたが、本系列では当初から付随車を組み込んでいる。

1500V昇圧により長年通勤輸送の足枷となっていた最長7両編成という制約から解放され、1985年から淀屋橋 - 樟葉間で8両編成の列車を運転するにあたって新たに本系列の7両編成に増結するための付随車(2380番台)が新造された。2380番台は2600系30番台の付随車をベースにしている。

当時の最新鋭車であった6000系ではなく本系列を8両化したのは、当時8両運転が朝夕ラッシュ時限定だったことに加えて、京都寄りの七条 - 三条間の地下化工事が進行中で、その完成に合わせて本線全線で8両編成を運行する予定になっていたためである。この工事が終わっていない時点で6000系を8両化すると、先述の理由から当時の最新型車両の運用に著しい制約が生じることになり、それを回避するためであった。

車体・機器[編集]

車内

車体は基本的に2000系2次車をベースとしているが、正面にスカートを設置された点、制御電動車のパンタグラフが連結面寄りに設置された点、貫通幌が幌吊りを内蔵した成田式リコ型に変更された点などの相違がある[1]。制御装置「ACDF-H4155-576A」は発電ブレーキ付きの抵抗制御であったが、制御段数を多く取り、空転対応機能を備えている。付随車を組み込む前提のため、モーター出力は130kwとなっている。歯車比は5.60とした。ブレーキは発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ(HSC-D)を装備している。

台車は、電動車には2000系で採用されたエコノミカル式を発展させた汽車製造製のKS-73系、付随車には住友金属工業が開発した側梁緩衝ゴム式のFS-337系が使用された。製造は全車川崎車輌(現・川崎重工業)または川崎重工業[2]で、本系列以降の京阪の新系列車はすべて川崎製となった。

製造当時、先頭車両の前照灯付近には、滑り止めに由来する「砂地処理」がなされていた[3]

変遷[編集]

登場および増備[編集]

1964年に登場した一次車は21両製造された[4]。6両編成2本・5両編成1本・4両編成1本を基本に、当初の計画どおり急行準急を中心に、4両編成は各駅停車用として運用された。

1965年には4両編成3本の12両が増備[5]され、一部編成を組み替えて6両編成4本・5両編成1本・4両編成1本となった。さらに翌1966年には26両増備[6]されて、6両編成9本・5両編成1本の合計59両となった。このグループからは、車内混雑緩和の為、ドア付近の立席スペースが拡大されている[7]

1967年、7両編成での運転を開始するのに伴い、17両が増備された[8]。中間電動車の2300形が多めに製造されて6両編成5本の間に組み込まれて7両編成5本となり、他には6両編成4本・5両編成1本・4両編成3本が編成された。

1968年には、編成単位では最後の増備となる22両が製造された[9]。そのうち21両は、貫通7両編成3本として組成され[10]、残りの1両は5両編成に組み込まれて6両編成化された。この時点で、7両編成8本・6両編成5本・4両編成3本の合計98両体制となった。

一部車両の中間車化・2000系への編入[編集]

1970年代に入って前頭部の砂地処理はおこなわれなくなった[3]

1971年、急増する利用客に対処するため、2200系は7両編成への組み替えが行われることとなった[11]。この時、2201~2206及び2254~2256については運転台が簡易撤去され、それぞれ2300形2329~2334及び2350形2369~2371に改番された。また余剰となった制御車3両(2251・2252・2253)は、運転台を簡易撤去の上2000系に編入され、1972年にはそれぞれ2100形2156・2157・2158に改番されて正式に2000系グループとなった。これらは後に2600系に車体流用[12]された。

なお、この時点では、2210Fのみ4両編成のまま残されている。

昇圧対応・冷房化改造工事[編集]

京阪電鉄では、1970年代後半に架線電圧の1500Vへの昇圧が決定し、2200系については、昇圧対応工事と冷房改造を一度に行うこととなって、1974年から1976年にかけて工事が行われた。この工事では冷房装置を除いて外見にはほとんど手を加えていないが、屋根上にはクーラーが載るため、コンパクトな下枠交差形パンタグラフ「PT-4805A」に変更され、床下機器では補助電源装置がクーラー用電源としても必要なために大容量のMG「TDK-3750A(140KVA)」に交換された。前照灯は白熱灯のケースにシールドビームを入れる形で交換されている。

4両編成のまま残された2210Fについても同様の工事が行われたが、1981年2月に製造された2600系2629Fと連結され、以後は7両編成で使用されるようになった。

改修工事[編集]

京阪2200系電車(前期更新車)
(新塗装)
京阪2200系電車(後期更新車)
(旧塗装)

1500V昇圧の翌年の1984年(昭和59年)11月出場の2222Fを手始めに改修工事が開始された。この工事では車体にも大きく手が加えられ、2600系0番台の一部にも施工されたように正面左側のサッシ窓を固定窓化の上、同じく正面の貫通扉を外開きの非常口に変更した上で列車種別・行先表示器が設けられ、また6000系で初採用された停車駅にてドアが開く際の自動案内放送装置および戸閉予告ブザーが設置された。また改修4本目となる2224Fからは先頭の窓枠が黒Hゴム支持から銀枠支持に、尾灯・標識灯のデザインが3000系以降と同じものになっている。さらに中間に組み込まれていた先頭車に対して中間車化も行われ、それぞれ2300形と2350形に編入されている。この改造は2000系に見られた簡易撤去とは異なり、運転台を完全に取り去って客室に置き換えているが、丸妻とやや幅の狭い窓にその痕跡をとどめている。運転台跡の完全撤去工事は、簡易運転台撤去車に対しても実施されている。

車体改修工事と同時に前面・側面の方向幕が種別色地に白抜き文字に変更されたが、最初に施工された2222のみは工事完了から1ヶ月ほどは前面方向幕が白地に種別色文字だった[13]

1987年4月以降の改修車(5編成)では、制御装置がACRF-8155-576に交換され、回生ブレーキ付きの界磁添加励磁制御となり、以後の京阪の更新工事対象車両にも施されることになる。

塗装変更まで[編集]

前面扉が交換された2270号車(旧塗装)

大阪市鶴見緑地で開催された「EXPO90国際花と緑の博覧会」のPRで1989年4月20日から1990年9月13日まで、2217F(2217-2307-2375+2357-2338-2322-2263)が、白を基調に緑色のライン、博覧会のマスコットキャラクター「花ずきんちゃん」のデカールを貼り『みどり号』として運用された。

1998年に、8両で組成されていた回生ブレーキ車4本から2382 - 2385号車を抜いて、7両で組成されていた発電ブレーキ車4本に組み込む編成替えが行われたが、これは回生ブレーキ組の普通列車使用により省エネ効果のさらなる向上を図るためのものであった[14](その後運用見直しにより2200系はすべて7両化された)。

2270号車は、森小路駅での人身事故で前面を破損した際、すでに貫通扉は更新後に同一規格となった2400系のものに在庫が統一化されていたために、同系列とほぼ同様の前面となった。

2003年に8両編成から2350形が1両が外され、基本編成の8両編成が消滅した[15]。外された2350形4両は休車となった[15]それ以降は、検査などで車両不足が生じた際には一時的に1両を挿入して8両編成に組み替えられ特別編成で運用に就くことがあった。この特別編成はK特急運用には入っていなかった。この中間車には2351号車が指定されていたが、2009年11月に廃車となったため[16]、2200系が特別編成になることはなくなった。特別編成による特急運用は2003年12月の2218-2264(中間に2351)と2005年7・8月に2226編成(こちらも中間に2351)の合計3回の特急運用の実績がある。いずれも代走で走行したものである。[要出典]

新塗装化以後[編集]

LED前照灯になった2200系

塗装工程の省力化や新塗装化の準備を兼ねて、車両番号表記が切抜文字からステッカーに変更されるようになり[17]、本系列では2008年3月に検査入場した2211F、同年6月4日に検査出場した2216Fに実施された[18]

前述のとおり、1981年から2210Fは大阪方に2600系を連結して7両編成とされていたが、2005年または2006年に2600系の連結相手の2200系は回生ブレーキ仕様の2210Fから発電ブレーキ仕様の2218Fに変更された[19][20]

2008年7月9日付けで本系列の2221Fが新塗装に変更され、7200系7201Fに続く2本目の通勤車の新塗装車となった。7月24日には2225F(初期更新車)が、9月15日に2226Fが、12月1日に2209Fも新塗装に変更された[21]。2010年3月現在、2210F・2217F・2222F・2224Fも新塗装化されている[21]

本系列を含めた京阪線車両は、2013年5月までに新塗装への変更を完了した[22]

2017年4月以降、2217Fを皮切りに、前照灯のLED化が進められ、翌5月に2226Fを最後に完了した[要出典]

運用[編集]

本線・鴨東線中之島線の、主に普通・区間急行・準急・急行で運用されている。

京阪線系列全線で運用に就いているが(交野宇治両線には回数は少なかったものの、運用開始当初より1981年まで短編成が入線していたこともあった[23]。1968年まで行われていた近鉄京都線への乗り入れには2000系と同様に充当されたことがない。これらの形式は車両限界の相違から直通運転可能車両の対象外であったためである。

運行開始当時より1971年までは臨時特急で使用されたりもしていた[24]2000年7月1日のダイヤ改正より8両編成については片道1本あったロングシート車両使用の特急(2000年改正で新規に設定されたもの)で運用されることもあった。本系列の定期特急充当はこれが初であった。ただし、他の一般車8両と共通運用であったため、必ずしも本系列が運用されるとは限らなかった。なお、本系列は2002年8月に特急運用から撤退している。これは本系列が同年10月より設定された女性専用車両の指定をされなかったためである。

2016年3月のダイヤ改正以降は、快速急行の運用に就く機会もある。

廃車[編集]

2007年から廃車が始まっており、同年12月31日付けで2359・2361・2362・2364が廃車となっている[25]。登場からすでに約50年が経過し、また、初期に更新工事を受けた編成は1900系全廃後は京阪で唯一の抵抗制御車両となっており、最後に更新工事を受けた車両でも20年以上経過するため、13000系の投入などを受けて2600系0番台ともども順次置き換えが進められている。在籍車両数は、2014年4月1日現在では7両編成9本と編成から外れた2380番台3両の計66両[26]に、2016年4月1日現在では7両編成7本と2380番台5両の計54両[27]に減少している。

その他[編集]

  • 1969年11月21日から1970年11月14日にかけて、2358号車にKS75アルミ合金台車を取り付けて使用試験がおこなわれた。なお、この台車は試験終了後、劣化状態や負荷データ取りのために切りきざまれて現存しない。
  • 冷房改造工事で下枠交差式と交換されて取り外されたパンタグラフは一部が京福電気鉄道に譲渡され、1978年10月に叡山本線・鞍馬線(現・叡山電鉄叡山本線鞍馬線)の集電装置をポールから変更するのに使用された。その一部は現在も現役で使用されている。また冷房対応の大型のものに取替られて余剰となった一部の電動発電機(MG)も同社に譲渡され、デナ500形デオ600形への改造等に使用されている。
  • 2226Fは唯一、編成内に運転台撤去跡を有する中間車が組み込まれていない。

脚注[編集]

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  1. ^ 清水祥史『京阪電車』JTBパブリッシング <JTBキャンブックス>、2017年、p.77。
  2. ^ 「京阪電気鉄道 現有車両車歴表」、『鉄道ピクトリアル2009年8月臨時増刊号』第822巻、電気車研究会、2009年、276 - 279頁
  3. ^ a b 清水祥史『京阪電車』JTBパブリッシング、2017年、p.87
  4. ^ 内訳は、2200形2201~2208、2250形2251~2258、2300形2301~2303、2350形2351~2352。
  5. ^ 内訳は、2200形2209~2211、2250形2259~2261、2300形2304~2306、2350形2353~2355。
  6. ^ 内訳は、2200形2212~2220、2250形2262~2270、2300形2307~2310、2350形2356~2359。
  7. ^ 清水祥史『京阪電車』JTBパブリッシング、2017年、p.85
  8. ^ 内訳は、2200形2221~2223、2250形2271~2273、2300形2311~2318、2350形2360~2362。
  9. ^ 内訳は、2200形2224~2226、2250形2274~2276、2300形2319~2328、2350形2363~2368。
  10. ^ ただし7両貫通編成は深草車庫への出入りが不可であった。
  11. ^ この時、貫通7両編成3本のうち2本については、中間電動車の2300形1両が簡易運転台撤去された2300形と差し替えられ、貫通7両編成は2226Fの1本のみとなった。
  12. ^ 2000系時代の車籍は引き継がれないため、正確には「代替新造」となっている。
  13. ^ 清水祥史『京阪電車』JTBパブリッシング、2017年、p.79
  14. ^ 福島温也「京阪電気鉄道 現有車両プロフィール 2009」、『鉄道ピクトリアル2009年8月臨時増刊号』第822巻、電気車研究会、2009年、242頁
  15. ^ a b 清水祥史『京阪電車』JTBパブリッシング、2017年、p.80
  16. ^ 2016年3月現在は6000系6003Fの6553と6004Fの6554が半端車となっているが、車両調整で所定編成に組み込まれることもある。
  17. ^ 福島温也「京阪電気鉄道 現有車両プロフィール 2009」、『鉄道ピクトリアル2009年8月臨時増刊号』第822巻、電気車研究会、2009年、235頁
  18. ^ 福島温也「京阪電気鉄道 現有車両プロフィール 2009」、『鉄道ピクトリアル2009年8月臨時増刊号』第822巻、電気車研究会、2009年、242頁
  19. ^ 福島温也「京阪電気鉄道 現有車両プロフィール 2009」、『鉄道ピクトリアル2009年8月臨時増刊号』第822巻、電気車研究会、2009年、248頁。本書では変更は「2006年」。
  20. ^ 清水祥史『京阪電車』JTBパブリック、2017年、p.80。本書では変更を2005年としている。
  21. ^ a b 出典・「関西の鉄道」No59 105頁「京阪だより」
  22. ^ Kプレス2013年6月号(vol.171) - 「くらしの中の京阪6月号 vol.448」内「京阪線車両のカラーデザイン変更が完了しました」を参照。
  23. ^ 清水祥史『京阪電車』JTBパブリッシング、2017年、p.77。このページには、1969年で宇治線で運用中の4両編成の写真が掲載されている。
  24. ^ その後も1971年以降の予備特急車であった1900系に6・7両編成が少なく、かつ非冷房車だった1980年代前半まで、冷房が必要な夏季を中心に数度あった。
  25. ^ 「京阪電気鉄道 現有車両車歴表」、『鉄道ピクトリアル2009年8月臨時増刊号』第822巻、電気車研究会、2009年、276 - 279頁
  26. ^ ジェー・アール・アール『私鉄車両編成表2014』交通新聞社、2014年、133頁
  27. ^ ジェー・アール・アール『私鉄車両編成表2016』交通新聞社、2016年、135頁

外部リンク[編集]