京阪2600系電車

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京阪2600系電車(0番台)
京阪2600系電車(30番台)
準急の運用に就いた30番台車(新塗装車)
(2019年11月 大和田駅)
基本情報
運用者 京阪電気鉄道
製造所 川崎重工業、京阪寝屋川工場
種車 (0番台)2000系
製造年 1978年 - 1982年
製造数 131両
主要諸元
編成 4両 - 8両編成[注 1]
軌間 1,435 mm
電気方式 直流1500V架線給電
最高運転速度 110 km/h
設計最高速度 110 km/h
起動加速度 2.5 km/h/s
減速度(常用) 4.0 km/h/s
編成定員 882人〜1057人
車両定員 126人〜150人
自重 Mc:34.0 t
M:33.5 t
Tc:28.0 t
T:27.5 t
編成長 130,900 mm
全長 18,700 mm
全幅 2,720 mm
全高 4,185 mm
車体
主電動機 直流複巻電動機
主電動機出力 155 kW
駆動方式 中空軸たわみ板継手カルダン
編成出力 2,480 kW
制御方式 界磁位相制御
制御装置 界磁位相(4M1C)
制動装置 回生ブレーキ併用電磁直通空気ブレーキ
保安装置 K-ATS
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京阪2600系電車(けいはん2600けいでんしゃ)は、1978年昭和53年)に登場した京阪電気鉄道(京阪)の通勤形電車

1959年(昭和34年)登場の2000系(2200系からの編入車3両を含む全103両)の車体や台車と一部の機器を流用して自社寝屋川車両工場で製造された0番台103両と、車体等も含め全て新規で川崎重工兵庫工場にて製造された30番台[注 2]28両の合計131両が製造された。

0番台のみ、2001年から廃車が始まっており[1]2023年4月1日現在、7両編成5本と半端車4両の計39両が在籍する[2]

投入の経緯・概要

0番台(2000系改造車)

2600系への改造(昇圧対応工事)直前の2000系2次車2056(→2822)。
0番台前期車の2601(新塗装・旧2043)。前期車は2000系の前面造形をほぼ維持しており、車掌台側の正面窓が二段窓となっている(2017年3月4日)。
0番台後期車の2825(新塗装・旧2028)。後期車は車掌台側の正面窓が一枚固定窓に変更された。
旧塗装の2624(旧2007)。側窓の幅が広く、車体後方の窓が1つのみなのは2000系1次車の特徴(先頭車のみ)(2008年4月14日 西三荘駅)

1959年(昭和34年)に登場し、「スーパーカー[注 3]」の愛称で親しまれた2000系は、冷房化や架線電圧の600Vから1500Vへの昇圧への対応が困難であり[3]、103両もある2000系を新製車で置き換えるのも難しかった[4]

1983年(昭和58年)の昇圧に向けて、当時の在籍車両の中でも車齢が比較的若い2000系は、2200系等と異なり、車籍を継がず書類上は新造車両(代替新造)の位置付けになる「車体流用」という形で自社工場(寝屋川車両工場)にて更新[5]・昇圧対応を行うことになった[注 4]

最長で車齢約20年(当時)となる2000系を代替するにあたって、1978年から順次、2000系の車体・台車・一部の機器を流用しながら、複電圧仕様の回生ブレーキ付き制御装置への換装、冷房化などの改造を施し、事実上の2000系更新車(2000系改造車[6])である、2600系0番台として落成した。

なお、車内に取り付けられた製造会社の銘板は、流用元の2000系の車体を製造したメーカー名ではなく、「京阪電鉄 寝屋川工場」と記されたものである。

1978年(昭和53年)6月23日に2043・2128・2044の車体を流用した2601F(2601-2701-2801)が竣工し、1982年(昭和57年)12月1日竣工の2905(旧2064)まで、計103両が寝屋川工場で製造された[注 5]。全車竣工時の組成は、3両編成5本、4両固定編成6本、2両ごとに分割可能の4両編成14本、2両編成4本である。

主な更新(2600系への改造)内容

2000系から2600系への主な改造内容は次のとおりである。

  • 主電動機、主制御器などの主要制御器は昇圧に対応した新造品に交換。
  • 菱形パンタグラフから下枠交差型パンタグラフに交換。
  • 離線による回生制動不良などのリスク対策として付随車にもパンタグラフを装備。
  • 先頭車正面に行先表示器を設置し、同時に車番の位置を正面貫通扉から運転台側窓(向かって右側)の下に移動。
  • 後半に改造された編成では先頭車正面助士台側(向かって左側)の窓はHゴム支持の1枚固定窓に変更[7]〈本節 3枚目の写真〉。
  • 前照灯を白熱灯から、ケースはそのままにシールドビームに交換[注 6]
  • 先頭車にスカート(排障装置)を設置。

車体

車体は鋼製で、全長18.7mの両開き3扉車である[8]。車体の流用元の2000系の形態を引き継ぎながら、2000系からの改造時に、電圧指令式前面行先表示器の取り付け、スカートの取り付け、前照灯シールドビーム化も施されている。

2600形・2800形のうち、2000系2001 - 2024の車体流用車の24両は、他の車両に比べて側窓の幅が100mm広い900mmとなっており、窓配置が異なっている[9]。改造時期の違いで正面の車掌台側の窓が二段窓の車両と一枚の固定窓の車両があり、1980年11月以降に竣工した車両は、車掌台側の前面窓が一枚固定窓となっている[10]

中間車の2700形(M)のうち2720 - 2724、2900形(T)のうち2905・2911・2915・2920 - 2924は、もともと先頭車として製造された車両の車体を流用しており、運転台撤去跡が残っている[11]

2629-2729-2829は、2200系で唯一4両編成で残っていた2210Fと組むことを目的として登場した編成で[9]、ほかの0番台とは形態が異なる。当初は種別・行先表示などが同系列と同じシーケンス式の仕様のもので、前面扉の窓下の行先表示器がなく、車両番号が前面運転台側に取り付けられたが異色の存在であった。1988年(昭和63年)9月に2200系の車体更新に併せて、2829には前面扉の外開化、前面扉の窓下に行先表示器の取り付け、2629は運転台を完全撤去して2700形化した(車両番号はそのまま)。制御機器は2600系で、設備は2200系という異端車両になった。

なお、車体流用元となった2000系には、2200系から2000系に編入された経歴の車両も3両含まれている。

30番台(完全新造車)

2600系30番台(旧塗装)

30番台は、0番台と基本的に同一の設計ながら車体や台車も含めて、川崎重工にて新規に製造された。1981年(昭和56年)3月から5月にかけて1800系の代替として7両編成2本計14両、同年12月に輸送力増強に対応した増備用として7両編成2本計14両の合計28両[注 7]が製造され[12]、いずれも製造後数日以内に営業を開始した[13]

30番台第4編成(2634F)を最後に2000系から続いた[注 8]、いわゆる「卵型電車[注 9][14]」の製造は編成単位[注 10]では終了し、約1年半後の1983年(昭和58年)にはそれまでの京阪のイメージを大きく覆す6000系が登場した。

車体

車体の規格や形状は同一ながら、前述のとおり新たに製造されている。前照灯は、2000系当時の白熱灯の灯具にシールドビームを設置した0番台とは異なり、2400系以降と同様の形状のシールドビームを当初から装備している。標識灯も、2000系のものを流用した0番台と異なり、3000系で採用されたタイプを装備している。扉の窓は、枠がない2000系の扉を流用した0番台とは異なり、ステンレスの枠がある。製造時は先頭部に幌が設置されていたが、1986年に撤去された。

機器

最高速度110 km/h、起動加速度2.5 km/h/sと、2000系時代と比べて性能が大幅に変化している。加速を抑え、高速向きにしたことにより、性能面では2200系とほぼ同等になっている。主電動機は複巻電動機の「TDK-8135A」[注 11]で600 V時130 kW、1500 Vでは155 kWである。制御器は界磁位相制御の「ACRF-H4155-775A」[注 12]が採用された(ともに東洋電機製造製)。2000系に引き続き分巻界磁制御による回生ブレーキを使用する。電動発電機(MG)は、3両編成以外には、冷房電源確保のための大容量MG(TDK-3721A)が搭載された。2905 - 2910は、4両での冷房使用時の電源容量不足を補うため、出力70 kVAのもの(MG TDK-3721A)が搭載された(2905は2632Fに組み込まれて8両化された時に重量軽減策として外された)。2801 - 2810は、補助電源装置は1基のMGで3両分の冷房電源を賄う予定で、出力140 kVAのもの(TDK-3755A)が搭載されていた。

パンタグラフは剛体架線対応の下枠交差型パンタグラフ(PT-4805A-M)である。パンタグラフは、電動車全車に加えて、制御車の2811 - 2828、付随車の2911 - 2924にも設置されている[11][注 13]。なお、2601 - 2610のパンタグラフ横のヒューズ箱の数が2個と、他の2600形より1つ少ない。

冷房装置

2621F(冷房装置試験車)(2006年7月16日 宮之阪駅)

2621F・2622F以外の各車両は、PRU-2205Aを4台搭載している。

2621F・2622Fは、冷房装置の試験車で、東芝の「RPU-3007」(10500 kcal/h)を3台搭載しており、外観が異なっているほか、車内には新設計のグリルファンが9基設置されて冷房効果の試験がなされた。その結果を元に6000系に「三菱製CU-197」(10500 kcal/h)が採用された。

台車

本系列の台車は多種多様であり、既に消滅した4種類を含めると、のべ17種類に及ぶ。台車の交換や振り替えも行われており、保守負担の多い台車を、廃車となった車両から供出された経年の浅い台車に交換している[15]

FS327A

FS327A台車

住友金属工業(現・新日鐵住金→日本製鉄)製、アルストムリンク式。2000系初期車に由来するもので、制輪子が車輪外側にあることから、床下スペースの関係上全て付随台車として使用。数を減らしており、現履くのは1両のみ。

FS337/337A/337B/337C

FS337A台車

住友金属工業(現・新日鐵住金→日本製鉄)製、緩衝ゴム式。FS337Bは2200系T車に由来するもので、全て付随台車として使用。その他は2000系中期・後期車に由来するもので、電動台車または付随台車として使用。

FS399C

FS399C台車

住友金属工業(現・新日鐵住金→日本製鉄)製、緩衝ゴム式。30番台T車が登場時に履いていたもので、KW79の導入によって一部が0番台に転用されている。電動台車または付随台車として使用。

FS509/509A

住友金属工業(現・新日鐵住金→日本製鉄)製、SU型ミンデン式。旧式台車の交換用に製造されたもので、電動台車または付随台車として使用。新しいにもかかわらず数を減らしており、FS509は既に消滅している。

KS58

KS58台車

汽車製造製、油浸円筒案内式(シンドラー式[16])。2000系初期車に由来するもので、基礎ブレーキ装置が両抱き式で制輪子や連動てこなどのブレーキ機構が車輪外側にあることから、床下スペースの関係上全て付随台車として使用。

KS63/63A/63C

汽車製造製、軸箱梁式(エコノミカル台車)。2000系中期車に由来するもので、電動台車または付随台車として使用。乗り心地に問題があったと言われ、いずれも既に消滅している。

KS73C

KS73C台車

汽車製造製、軸箱梁式(エコノミカル台車)。2000系後期車に由来するもので、電動台車または付随台車として使用。

KW37

川崎重工業製、乾式円筒案内式。30番台M車が登場時から履いているほか、旧式台車の交換用にも製造された。電動台車として使用。

KW69/69A

川崎重工業製、軸梁式。KW69は本系列の、KW69Aは1900系の旧式台車交換用に製造されたもので、KW69は電動台車または付随台車として、KW69Aは全て付随台車として使用。

KW79

川崎重工業製、油浸円筒案内式(シンドラー式)。3000系Tc車で使用していたKS132Aをインダイレクトマウント化改造したもので、全て30番台のT車・Tc車で使用。

内装

車内(写真は同一内装の2200系のもの)

車内の座席はロングシートである[1]。モケット・化粧板・床面とも、緑系でまとめられている。内装デザインは2200系とほぼ同じである。側扉は、0番台は上半分が化粧板と同じグリーン塗装、下半分が化粧板張りとなっているが、30番台は全面化粧板張りである。また、側扉の窓ガラスの支持方法も異なっている[17]

製造

2601F - 2610Fは、当初は2600(Mc)-2700(M)-2800(Tc)の3両固定編成で竣工し、番号順に2本ずつ繋いだ6両編成で運用された。2605F - 2610Fには後から追加で2900形(T)が組み込まれて4両化された。

改造前 ←京都                 大阪→
形式 2000 2100 2100 2000 2600 2900 2700 2800 竣工
区分 Mc M M Mc Mc T M Tc
車両番号 2043 2128 2044 2601 2701 2801 1978年6月
2045 2124 2046 2602 2702 2802 1978年8月
2047 2127 2048 2603 2703 2803 1978年9月
2035 2109 2036 2604 2704 2804 1978年10月
2011 2107 2012 2605 2705 2805 1978年12月
2041 2111 2042 2606 2706 2806 1979年2月
2019 2108 2020 2607 2707 2807 1979年3月
2033 2126 2034 2608 2708 2808 1979年5月
2039 2110 2040 2609 2709 2809 1980年11月
2023 2130 2024 2610 2710 2810 1981年1月
2138 2905 1982年12月
2153 2906 1982年11月
2120 2907 1981年7月
2131 2908
2118 2909 1981年10月
2112 2910 1981年11月

2611F - 2624Fは、当初は2600(Mc)-2900(T)+2700(M)-2800(Tc)の4両編成であり、2両+2両に分割可能な構成である。

改造前(下線付きは元2200系) ←京都                大阪→
車両形式 2000 2100 2100 2000 2600 2900 2700 2800 竣工
区分 Mc M M Mc Mc T M Tc
車両番号 2017 2140 2132 2018 2611 2911 2711 2811 1981年5月
2029 2119 2125 2026 2612 2912 2712 2812 1979年7月
2055 2121 2106 2002 2613 2913 2713 2813 1979年10月
2031 2123 2116 2032 2614 2914 2714 2814 1979年12月
2013 2142 2151 2014 2615 2915 2715 2815 1980年3月
2051 2115 2155 2052 2616 2916 2716 2816 1980年4月
2057 2122 2113 2058 2617 2917 2717 2817 1980年7月
2005 2152 2114 2006 2618 2918 2718 2818 1980年10月
2037 2154 2117 2038 2619 2919 2719 2819 1981年3月
2015 2134 2135 2016 2620 2920 2720 2820 1981年8月
2025 2136 2141 2030 2621 2921 2721 2821 1982年9月
2001 2158 2139 2056 2622 2922 2722 2822 1981年12月
2009 2157 2137 2010 2623 2923 2723 2823 1982年9月
2007 2156 2133 2008 2624 2924 2724 2824 1980年7月

2625F - 2628Fは、2600(Mc)-2800(Tc)の2両編成で、ほかの編成と組み合わせて4両以上の編成で運用される。鴨東線開業前に出町柳駅から叡山電鉄線への直通運転が検討されていた時期もあったことから叡電の輸送需要に合わせて最短2両編成での運用も可能な仕様になっているが、直通運転構想は実現しておらず、その仕様は活かされていない。

改造前 ←京都          大阪→
形式 2000 2000 2600 2800 竣工
区分 Mc Mc Mc Tc
車両番号 2027 2028 2625 2825 1981年7月
2003 2004 2626 2826 1981年11月
2021 2022 2627 2827 1982年3月
2049 2050 2628 2828 1979年8月

2629-2729-2829は、2200系と編成を組む。1980年代中期には2400系と編成を組んでいた時期もあったが、後に元の2200系との組成(当時は2210Fと組んでいた)に戻っている。2006年に連結相手の2200系が回生ブレーキ仕様の2210Fから発電ブレーキ仕様の2218Fに替わった後[9]、2009年11月30日に廃車された。

改造前 ←京都             大阪→
形式 2600 2100 2600 2600 2700 2800 竣工
区分 Mc M Mc Mc M Tc
車両番号 2053 2129 2054 2629 2729 2829 1982年2月

ユニットの組み合わせを変えることによって4両から8両までの編成を組むことが可能であり、その特徴を活かした運用がなされた。廃車や運転台が撤去された車両(車両番号はそのまま)も発生したことから、より雑多な編成となっている。

なお、0番台だけで8両編成を組む場合、2800(Tc)並びに2900(T)には必ず大容量MGが装備されており、4M4Tの編成では編成重量が増加するなどの制約から、5M3Tの編成としてカバーすることがほとんどであったが、過去には4両編成を2本つなげた4M4Tの暫定の8両編成での運用実績もある。

また、これまでは暫定編成などでしか見られなかった7両編成が2006年7月頃から正規の編成としても組まれている(公式サイトの編成表にも掲載)。

30番台は4両ユニット+3両ユニットの7両編成で製造された。0番台と連結して運行することが可能である。1980年代後半頃から2003年9月のダイヤ改正までは編成を分割して0番台と組み、5両編成や6両編成で運転されていた編成もあったが、以後は登場当時と同様に30番台のみで7両編成4本を組む。

←京都                           大阪→
形式 2600 2900 2700 2900 2700 2700 2800 竣工
Mc T M T M M Tc
車両番号 2631 2941 2741 2951 2751 2731 2831 1981年3月
2632 2942 2742 2952 2752 2732 2832 1981年5月
2633 2943 2743 2953 2753 2733 2833 1981年12月
2634 2944 2744 2954 2754 2734 2834

中間制御車の中間車化改造

編成中間に入っている運転台付の車両について、2007年以降、前面スカート・乗務員用ステップ・乗務員室扉握り棒の撤去などが施工されている。車両番号は変更されていないが、書類上の形式は、2600形が2700形に、2800形が2900形に変更されている[18]

新塗装化

新塗装化された2624

2008年から車体塗装の変更が始まり、2011年4月までに39両で実施された。2013年5月までに廃車予定となっている車両を除く全車両の塗装変更が完了した[19]

新塗装化が進行中の時期には、旧塗装の車両と新塗装の車両が同一の編成内で混在する事例も見られた[20]

新塗装の検討にあたって、寝屋川車庫で走行休止となっていた2825に3種類の塗装が施されていた(「鉄道ファン」2008年12月号より)。その後、2825も新塗装化されている。

ただし、廃車後寝屋川車庫内で教材車として活用されている2615号と2820号の2両は2017年9月現在も旧塗装のままである[21]

京阪ミュージアムトレイン

京阪ミュージアムトレイン - 中書島駅
公開時の様子 - 同上

2010年、京阪開業100周年記念事業として実施された巡業展示「京阪ミュージアムトレイン」として、2602-2702-2802-2712-2812 の5両が使用された。これらの車両は座席を撤去のうえ展示物が配置されたほか、塗装を1550型(初代600型)をイメージしたモスグリーンに塗りかえている[22][23]

廃車

寝屋川車庫の教材車となった2820号。後方に2615号を連結。

0番台

0番台に関しては、2001年から廃車が始まっており、2001年12月28日付けで2622F(4両編成)と2905・2906・2910が、2002年3月18日付けで2611F(4両編成)が、同年4月22日付けで2627-2827と2714-2814が、同月25日付けで2616F(4両編成)が廃車となった[24]

このとき廃車となった車両は2003年3月に外部への売却先を募集し、2627号車の前頭部カットモデルが個人の鉄道ファンに譲渡された。また、2811号車の前頭部がキッズプラザ大阪に譲渡され、館内で車椅子の体験設備として用いられている。このほか、台車(FS-509・FS-327A各1基)が東京大学生産技術研究所に譲渡された[1]

続いて2006年3月29日付けで2618-2918・2907・2908が廃車となった[24]

2200系列と連結されていた2629-2729-2829も、2009年9月12日のダイヤ変更で、編成を組んでいた2218ほか4両とともに運用から外れ、ともにそのまま11月30日に廃車された[25]。また、2610F・2612-2912・2909も同日付けで廃車となった。

2010年12月31日には、先述の京阪ミュージアムトレインとして使用された2602・2702・2802・2712・2812が廃車となった[26]

新塗装化された2604Fも2011年6月30日付けで一緒に編成を組んでいた2724-2824と共に廃車となった[27]

2012年4月から7月にかけて13000系4両編成5本(13001F - 13005F)が投入され、2613F・2615F・2617F・2620F・2621Fの4両編成5本が廃車となった[28]。このうち、2615Fと2620Fのそれぞれ片方の先頭車で2両編成を組成し(2615-2820)、寝屋川車庫の教材車となった。

さらに、2013年4月30日付けで2606・2706・2806・2626・2826・2605・2705・2805が、同年5月31日付けで2628・2828・2608・2708・2808が廃車となった[29]。続いて、2013年3月より宇治線の予備編成となっていた2623Fが2015年7月31日付けで廃車となった[30]

2016年度から2020年度までは、京橋駅のホームドア設置に伴い、乗降位置が異なる5000系の置き換えが優先され、本形式の廃車はなく、2021年(令和3年)4月時点で、2000系からの車体流用車である0番台は7両編成3本が在籍した[31]。そのうち2624と2818は2000系1次車の車体を流用した車両で(流用元の車体は2007および2006)、車体塗装の変更、前照灯のLED化等を経ながら2019年には車体の製造から60年を迎えた[32]。その後、5000系の置き換えがおおむね完了したことにより2021年より廃車が再開され、7月6日付けで2609Fが廃車となった[33]。このうち、2609Fのそれぞれ片方の先頭車で2両編成を組成し(2609-2825)、2代目の寝屋川車庫の教材車となり(2615-2820)を置き換えた[34]

さらに2022年9月12日付けで2601・2701・2801が廃車となった[35]

30番台

一方で、30番台に関しては、登場以降、先頭車前面貫通幌の撤去、車体塗装の新塗装への変更、前照灯のLED化が行われたものの、更新工事は実施されないままで[36]、2023年4月現在も7両編成28両全車が在籍している[2]

運用

本系列のうち0番台は2000系時代から普通運用が主体となっている。30番台は当初急行にも使われていたが、本線で2200系6000系による8両編成の運用が開始されてからはこちらも普通運用が主体となった。ただ本形式も不定期的ではあるが8両編成での運用実績はある。2003年9月のダイヤ改定頃、6両編成での運用は消滅し、組み替えの上、全編成が4・5・7両となった。また、このダイヤ改正で、平日朝ラッシュ時に交野線・私市駅発本線淀屋橋駅行き直通列車のK特急「おりひめ」が、同夕ラッシュ時には天満橋駅発私市行きの準急「ひこぼし」が設定され、イベント時などを除き前者には本系列5両編成が[注 14]、後者には1900系または本系列の5両編成が充当となっていた[37]。 30番台も5両編成で宇治線・交野線に入線したことがあり、「おりひめ」に充当されたこともある[38]

2007年9月からの交野線で実施されているワンマン運転には対応しておらず、ワンマン運転を行う運用には入っていない。

「おりひめ」・「ひこぼし」は2008年10月19日のダイヤ改定でそれぞれ交野線・中之島線直通の通勤快急・快速急行となり、ともに本系列5両編成が充当されていた[37]10000系を充当していた「ひこぼし」の1本を除く)が、2013年3月16日のダイヤ改定で廃止された。

また、13000系の登場と宇治線でのワンマン運転開始により、2013年5月をもって、4両編成についても2600系の定期運用はなくなった[39]

以降は他形式の7両編成と同じく急行以下のみの運用となったが、2016年3月19日のダイヤ改正では7両編成による通勤快急・快速急行運用が設定されたことにより、「おりひめ」、「ひこぼし」運用ではないものの、本系列の通勤快急・快速急行運用の機会が3年ぶりに復活している。

2021年9月のダイヤ改正以降、0番台車による定期運用はなくなっている[40]

過去の組成表

2001年

2001年4月1日現在。廃車開始前の編成。

7両編成

←出町柳                                       淀屋橋→
形式 2600形 2900形 2700形 2900形 2700形 2700形 2800形 廃車 備考
区分 Mc T M T M M Tc
車両番号 2632 2942 2742 2952 2752 2732 2832
2634 2944 2744 2954 2754 2734 2834
形式 2200形 2300形 2350形 2350形 2600形 2700形 2800形 廃車 備考
区分 Mc M T T Mc M Tc
車両番号 2218 2308 2358 2373 2629 2729 2829 2009年11月30日 京都方4両は2200系

6両編成

←出町柳                           淀屋橋→
形式 2600形 2900形 2700形 2900形 2600形 2800形 廃車 備考
区分 Mc T M T Mc Tc
車両番号 2631 2941 2741 2951 2628 2828 7両編成化
2633 2943 2743 2953 2626 2826 7両編成化
形式 2600形 2900形 2600形 2900形 2700形 2800形 廃車 備考
区分 Mc T Mc T M Tc
車両番号 2614 2914 2607 2907 2707 2807 2006年3月29日(2907)

2009年11月30日(2607-2707-2807)

5両編成

←出町柳                     淀屋橋→
形式 2600形 2700形 2800形 2700形 2800形 廃車 備考
区分 Mc M Tc M Tc
車両番号 2601 2701 2801 2718 2818 7両編成化
2602 2702 2802 2712 2812 2010年12月31日 京阪ミュージアムトレイン
2603 2703 2803 2713 2813
2604 2704 2804 2724 2824 2011年6月30日
形式 2600形 2700形 2800形 2600形 2800形 廃車 備考
区分 Mc M Tc Mc Tc
車両番号 2605 2705 2805 2625 2825
形式 2600形 2900形 2600形 2700形 2800形 廃車 備考
区分 Mc T Mc M Tc
車両番号 2612 2912 2610 2710 2810 2009年11月30日
2624 2924 2606 2706 2806
形式 2600形 2900形 2700形 2700形 2800形 廃車 備考
区分 Mc T M M Tc
車両番号 2613 2913 2753 2733 2833 4両編成化
2618 2918 2751 2731 2831 2006年3月29日(2618-2918)

4両編成

←出町柳                          淀屋橋→
形式 2600形 2900形 2700形 2800形 廃車 備考
区分 Mc T M Tc
車両番号 2608 2908 2708 2808 2006年3月29日(2908) 5両編成化
2609 2909 2709 2809 2009年11月30日(2909)
2611 2911 2711 2811 2002年3月18日
2615 2915 2715 2815
2616 2916 2716 2816 2002年4月25日
2617 2917 2717 2817
2619 2919 2719 2819 組成変更
2620 2920 2720 2820
2621 2921 2721 2821
2622 2922 2722 2822 2001年12月28日
2623 2923 2723 2823
形式 2600形 2800形 2700形 2800形 廃車 備考
区分 Mc Tc M Tc
車両番号 2627 2827 2714 2814 2002年4月22日

半端車

形式 2900形 廃車
区分 T
車両番号 2905 2001年12月28日
2906
2910

2012年

2012年4月1日現在。13000系投入前の編成。
7両編成

←出町柳                                           淀屋橋・中之島→
形式 2600形 2700形 2900形 2700形 2800形 2600形 2800形 廃車 備考
区分 Mc M T M Tc Mc Tc
車両番号 2601 2701 2801 2718 2818 2619 2819 2022年9月12日(2601-2701-2801)
形式 2600形 2700形 2900形 2600形 2900形 2700形 2800形 廃車 備考
区分 Mc M T Mc T M Tc
車両番号 2605 2705 2805 2613 2913 2713 2813 2012年6月30日(2613-2913-2713-2813)

2013年4月30日(2605-2705-2805)

形式 2600形 2900形 2700形 2700形 2800形 2600形 2800形 廃車 備考
区分 Mc T M M Tc Mc Tc
車両番号 2609 2919 2719 2709 2809 2625 2825 2021年7月6日
形式 2600形 2900形 2700形 2700形 2800形 2600形 2800形 廃車
区分 Mc T M M Tc Mc Tc
車両番号 2614 2914 2603 2703 2803 2626 2826 2013年4月30日(2626-2826)
形式 2600形 2900形 2700形 2900形 2700形 2700形 2800形 廃車 備考
区分 Mc T M T M M Tc
車両番号 2631 2941 2741 2951 2751 2731 2831
2632 2942 2742 2952 2752 2732 2832
2633 2943 2743 2953 2753 2733 2833
2634 2944 2744 2954 2754 2734 2834

5両編成

←出町柳                                淀屋橋・中之島→
形式 2600形 2900形 2700形 2700形 2800形 廃車 備考
区分 Mc T M M Tc
車両番号 2624 2924 2606 2706 2806 2013年4月30日(2606-2706-2806)
2628 2828 2608 2708 2808 2013年5月31日

4両編成

←出町柳                          淀屋橋・中之島→
形式 2600形 2900形 2700形 2800形 廃車 備考
区分 Mc T M Tc
車両番号 2615 2915 2715 2815 2012年7月31日
2617 2917 2717 2817 2012年6月30日
2620 2920 2720 2820 2012年6月30日
2621 2921 2721 2821 2012年7月31日
2623 2923 2723 2823 2015年7月31日 宇治線 予備編成

現在の組成表

2023年4月1日現在[2]

0番台
← 出町柳・私市・宇治
淀屋橋・中之島 →

形式 2700形 2800形 2700形 2800形 廃車 備考
区分 M Tc M Tc
車両番号 2718 2818 2619 2819 10年以上、編成を組んでいた、2601編成(2601・2701・2801)は2022年に廃車となり、2601はくずはモール内の「SANZEN-HIROBA」にてカットモデルを展示。2818は元2000系1次車。
形式 2600形 2900形 2600形 2900形 2700形 2700形 2800形 廃車 備考
区分 Mc T Mc T M M Tc
車両番号 2624 2924 2614 2914 2603 2703 2803 2924は元2200系(2251)、2624は元2000系1次車
30番台
← 出町柳・私市・宇治
淀屋橋・中之島 →

形式 2600形 2900形 2700形 2900形 2700形 2700形 2800形 廃車 備考
区分 Mc T M T M M Tc
車両番号 2631 2941 2741 2951 2751 2731 2831
2632 2942 2742 2952 2752 2732 2832
2633 2943 2743 2953 2753 2733 2833
2634 2944 2744 2954 2754 2734 2834

保存車

2601号車が、2023年4月にくずはモールの「SANZEN-HIROBA」がリニューアルされた際に、運転台部分がカットボディの形で保存されている[41][42]

その他

前面に転落防止幌の痕跡が残る2803号車(前照灯LED化改造後)
  • 2621Fは、新型クーラーの性能確認と併せて光ファイバーによる列車モニタの試験車となった。
  • 2626Fと2628Fの4両は、1986年(昭和61年)の京都地下線の工事に試運転車両として松原通り付近に設けられた仮設搬入口から搬入され、地下線での地下設備の確認・試運転・ATS装置の確認、最後に運転士の訓練運転などに使用された。
  • 2004年から2008年にかけて連結部に転落防止幌が設置された。
  • 2009年から、検査入場した車両に対して防護無線の取り付けが行われている。
  • 京阪では2014年から在来車の前照灯をシールドビームからLEDに交換する改造が行われている[43]
  • 2803号車は一時期中間に入っていた関係で前面に転落防止幌が付いていた痕跡が残っている。
  • 上記の「SANZEN-HIROBA」では2600系の運転シミュレーターが設置されており本線特急の運転ができる(①京橋駅→枚方市駅 ②特急 樟葉駅→丹波橋駅 ③特急 丹波橋駅→出町柳駅)。

脚注

注釈

  1. ^ 0番台は2両固定編成、3両固定編成などがありそれらを組み合わせ4両・5両・6両・7両・8両編成での運用があった。30番台は登場時より7両貫通編成であるが分割した上で0番台と連結可能。2019年7月現在は全て7両編成。
  2. ^ 2630番台や2630系とも呼ばれる(鉄道ピクトリアル2009年8月臨時増刊号245ページ)。また、製造経緯の違いから、別系列の2630系として扱い、0番台から独立して記述している書籍もある(鉄道ピクトリアル1991年12月臨時増刊号218ページ)。なお、書籍によっては番台のほか、番と表記する書籍もあるが、本記事では番台で統一する。
  3. ^ 2000系が高加減速車であることに由来する。
  4. ^ 700系(2代目)も2000系と同様に車体流用する形を取って1977年より順次1000系(3代目)として落成した。また、600系(2代目)の車体と1800系の電装品とを組み合わせた1800系(2代目)も落成した。一方、1300系1700系は、昇圧対応化改造の対象に入らず、昇圧実施翌日の1983年12月4日に全廃となった。
  5. ^ 2000系時代からの車籍は受け継がれていないため、「代替新造」扱いとなっている。
  6. ^ 現在ではさらに、シールドビームからLEDに交換されている(後述、その他の節参照)。
  7. ^ 深草車庫淀車庫への移転により固定編成の入出庫制限が解消されたため、30番台以降の各形式では固定編成となった。
  8. ^ ただし、2000系1次車が竣工した1959年(昭和34年)から2200系増備用の2350型80番台車が竣工した1985年(昭和60年)までの間、特急用を除き、5000系(1970年登場)と1000系(1977年登場、700系改造車)と6000系(1983年登場)が製造されている。
  9. ^ 2000系、2200系2400系、2600系0番台・30番台。
  10. ^ 中間車単位では1985年(昭和60年)に、2200系の増備車として製造された2350型80番台車が「卵型電車」の最後の製造となった。
  11. ^ 電流460 A、分巻界磁電流65 A、架線電圧1,500 V時(印加電圧375 V)の定格回転数1,580 rpm
  12. ^ 1,500 V昇圧後の抵抗制御段数は永久直列18段である。
  13. ^ 離線防止対応として必ずパンタグラフ2台から集電可能、かつユニット間に高圧引通しを出さないとの設計思想により、4両編成でも2両ユニット×2に分割可能な編成ではT車にもパンタグラフが取り付けられている。
  14. ^ 種別幕に「K特急」幕を持っていないため、黒地に赤文字の「特急」幕を表示し、「おりひめ」のヘッドマークを掲げていたが、2008年8月頃から方向幕が順次更新され、赤地に白文字の「特急」幕や「K特急」幕を表示する場面も見られた。

出典

  1. ^ a b 『私鉄車両年鑑2013』、イカロス出版、2013年、74頁
  2. ^ a b c ジェー・アール・アール編『私鉄車両編成表2023』交通新聞社、2023年、144頁。
  3. ^ 青野邦明『京阪電気鉄道』私鉄の車両15、保育社、1986年、32頁
  4. ^ JTBパブリッシング「京阪電車まるまる1冊」90ページ
  5. ^ メディアックス「京阪電気鉄道完全データDVD BOOK」41ページ
  6. ^ JTBパブリッシング「京阪電車まるまる1冊」90ページ
  7. ^ 以上5項目の出典は『京阪電車』JTBパブリッシング 清水祥史 103ページ。
  8. ^ 『私鉄車両年鑑2013』、イカロス出版、2013年、74頁。
  9. ^ a b c 福島温也「京阪電気鉄道 現有車両プロフィール 2009」、『鉄道ピクトリアル2009年8月臨時増刊号』第822巻、電気車研究会、2009年、248頁
  10. ^ 青野邦明『京阪電気鉄道』私鉄の車両15、保育社、1986年、36頁
  11. ^ a b 青野邦明『京阪電気鉄道』私鉄の車両15、保育社、1986年、152 - 153頁
  12. ^ 清水祥史 『京阪電車』 JTBパブリッシング、2017年、104頁。
  13. ^ 「京阪電気鉄道 現有車両車歴表」『鉄道ピクトリアル2009年8月臨時増刊号』第822巻、電気車研究会、2009年、280 - 283頁。
  14. ^ 『京阪電車』60ページ 清水裕史 JTBパブリッシング
  15. ^ 福島温也「京阪電気鉄道 現有車両プロフィール 2009」、『鉄道ピクトリアル2009年8月臨時増刊号』第822巻、電気車研究会、2009年、245頁
  16. ^ 『鉄道ピクトリアルNo.695』pp.205-207
  17. ^ 福島温也「京阪電気鉄道 現有車両プロフィール 2009」、『鉄道ピクトリアル2009年8月臨時増刊号』第822巻、電気車研究会、2009年、246 - 248頁
  18. ^ 福島温也「京阪電気鉄道 現有車両プロフィール 2009」、『鉄道ピクトリアル2009年8月臨時増刊号』第822巻、電気車研究会、2009年、247頁
  19. ^ Kプレス2013年6月号(vol.171) - 「くらしの中の京阪6月号 vol.448」内「京阪線車両のカラーデザイン変更が完了しました」を参照。
  20. ^ 京阪で新旧混色編成が運転中」交友社、2016年8月4日閲覧
  21. ^ ヒルこれ:かんさい鉄道車両めぐり2017年9月12日放送分 - 『ぐるっと関西おひるまえ』、NHK、2017年10月23日閲覧
  22. ^ 京阪ミュージアムトレイン完成。(編集長敬白) - 鉄道ホビタス(ネコ・パブリッシング、2010年7月7日付、2011年7月14日閲覧)
  23. ^ 京阪電車開業100周年記念事業 「京阪ミュージアムトレイン」の展示を 7/10(土)から開始します (PDF) (報道発表資料) - 京阪電気鉄道(2010年6月23日付) ※展示時に配布されたリーフレット『京阪ミュージアムトレイン』にも同じ主旨の記述あり。
  24. ^ a b 京阪電気鉄道(株)鉄道事業部技術課「車両総説」『鉄道ピクトリアル2009年8月臨時増刊号』第822巻、電気車研究会、2009年、47頁。
  25. ^ 鉄道ファン2010年3月号に「2200系+2600系の2218Fは2009年12月に解体された」との投稿記事あり
  26. ^ 「大手私鉄車両ファイル2011」『鉄道ファン』2011年9月号、交友社、特別付録。
  27. ^ 出典・「関西の鉄道」№60 2012年新春号102頁「京阪だより」
  28. ^ 月刊「鉄道ファン」2013年8月号付録『大手私鉄車両ファイル』
  29. ^ ジェー・アール・アール「私鉄車両のうごき」『鉄道ダイヤ情報 2014年1月号』交通新聞社、2013年、126頁。
  30. ^ ジェー・アール・アール編『私鉄車両編成表2016』交通新聞社、2016年、199頁。
  31. ^ ジェー・アール・アール編『私鉄車両編成表2021』交通新聞社、2021年、144頁。
  32. ^ 伊原薫「関西民鉄電車のうごき」『鉄道ジャーナル』2019年4月号、p.41
  33. ^ ジェー・アール・アール編『私鉄車両編成表2022』交通新聞社、2022年、204頁。
  34. ^ 西野信一「2600系ものがたり」『鉄道ピクトリアル』2022年10月臨時増刊号(通巻1004号)、電気車研究会、pp.173 -193
  35. ^ ジェー・アール・アール編『私鉄車両編成表2023』交通新聞社、2023年、203頁。
  36. ^ 30番台最後の編成(2634F)竣工の約1年半後に登場した6000系は、2014年(平成26年)から順次リニューアル工事(更新工事)が施工されている。
  37. ^ a b 中村卓之「京阪電気鉄道 列車運転の興味」『鉄道ピクトリアル2009年8月臨時増刊号』第822巻、電気車研究会、2009年、208頁
  38. ^ 京阪電車 JTBパブリッシング 清水祥史 102、104頁
  39. ^ 清水祥史 『京阪電車』 JTBパブリッシング、2017年、106頁。
  40. ^ 中村卓之「沿線利用者から見た『京阪間ライバル達』の昨日今日明日」『鉄道ピクトリアル』2022年10月臨時増刊号(通巻1004号)、電気車研究会、p.172
  41. ^ こころ まちつくろう 活動ポートvol.48 愛された車両が新SANZEN-HIROBAへ。 (PDF) - 京阪電気鉄道(2023年4月)2023年8月10日閲覧。
  42. ^ ジェー・アール・アール編『私鉄車両編成表2023』交通新聞社、2023年、143頁。
  43. ^ 清水祥史 『京阪電車』 JTBパブリッシング、2017年、145頁。

外部リンク