ヴァンフォーレ甲府経営危機問題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
ヴァンフォーレ甲府 > ヴァンフォーレ甲府経営危機問題

ヴァンフォーレ甲府経営危機問題(-こうふけいえいききもんだい)は、2000年に日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)・ヴァンフォーレ甲府の債務超過が発覚し、チームの存続が危ぶまれた問題である。 

概要[編集]

1965年に誕生し、旧JFLに所属していた甲府クラブはJリーグ参入に着手、1995年ヴァンフォーレ甲府に改称し、1997年には参入の条件になっているクラブ法人化と小瀬陸上競技場のホームタウン化準備など準備を行った結果、1999年から設置されるJリーグ ディビジョン2(J2)への参入が決定した。

しかし早急な参入準備を行なった結果、準備期間の1997年1998年の2年間だけで3億9,000万円の累積赤字を計上し、この時点で資本金を大幅に上回る債務超過に陥っていた。クラブは経費削減のため人件費抑制を行なうが、これが原因により主力選手が多く流出したためJリーグ初年度の1999年は戦力が低下。さらに前年までユニフォームスポンサーをしていた企業が相次いで撤退し、代わりの企業が見つからなかったことでスポンサー収入も低迷。宣伝不足および弱体化したクラブに観客動員も一試合平均1,469人と伸び悩み、昨年の旧JFL4位という好成績が一転、シーズンを通して5勝しかできずに最下位に終わり、3年連続赤字決算となった。

2000年は運営健全化を優先し、主力選手の大量放出や6人の選手に対してアマチュア契約を結ぶなど前年以上の支出抑制を実施するが、前年同様シーズン開始までにユニフォームスポンサーが決まらず、また所属選手やサポーターが商店街でビラ配りを行なうなどしてクラブサポーター加入や来場を呼びかけたものの、前年の弱いチームに愛想をつかした山梨県民の反応は鈍く、観客動員は一試合平均1,850人と伸び悩んだ。さらに極端な人件費抑制によりチームはさらに弱体化し、シーズン中に19連敗および26試合連続未勝利(1分25敗)[注 1]を記録するなどチームは崩壊し、前年同様最下位を独走していた。

そしてシーズンが終わりかけた11月に単年度ベースで6,000万円、4年連続の赤字を計上することが見込まれ、資本金3億3,500万円[注 2]に対して累積赤字は4億5,000万円以上と1億2,000万円近くの債務超過に陥っていることが発覚。競技場使用料や選手に対する給与支払いが遅れる状況に陥るなどヴァンフォーレ甲府はチーム存続の窮地に立たされることになる。

原因[編集]

経営危機に陥った原因として以下の点が挙げられる。

クラブチームとしての問題[編集]

ヴァンフォーレ甲府は創設以来親会社が介入しないクラブチームであり、JSL2部時代は川手良萬による実質的な個人運営、川手が逝去後は甲府クラブのOBによって支えられていた。Jリーグ参入時も山日YBSグループや山梨県をはじめとする初期投資を受けたが、参入準備等は甲府クラブのOBが主体で赤字が発生しても親会社の広告費を使用しての補填が不可能な点が挙げられる。ヴァンフォーレが参入するまで親会社を持たないクラブチームとしてJリーグに参戦していたのは清水エスパルスのみであった。しかもヴァンフォーレ甲府が参入した当時はアジア通貨危機などの影響により親会社を持つチームやJリーグを目指すチームも相次いで撤退や縮小を余儀なくされるなど苦しい状況に置かれていた(後述)。

元々甲府が山梨県立甲府第一高等学校のOBによって結成されたチーム[注 3]であり、さらに当時のホームタウンである甲府盆地一帯に本社を置く大企業はなく、東証一部上場企業が山梨中央銀行のみ[注 4][注 5]である。また、支店や工場を置く大企業はあるが上述の不況により撤退が相次いでいたさなかであり[注 6]、ヴァンフォーレ甲府の資本介入を行なう余裕のある所はない状態であった。

営業収支での問題[編集]

経営危機の原因として放漫な経営が挙げられることがあるが、後述のクラブ経営収支を見てもわかるとおり当時の営業費用は2億から3億円とJ2でも最低レベルの予算で運営しており、実際に事務処理では極力裏紙を使い回す、練習場を設けず市内の広場などを回り練習する、義務付けられているユースチームの設立を保留する[注 7]など限界まで経費削減を行っている。しかし大企業の少ない土地柄と営業能力の不備によりスポンサー不足に悩まされ、参入前年の1998年についていたユニフォームスポンサーもJ参入時に撤退、2000年秋まで約1年半もの間ユニフォームスポンサーがつかない状況が続いた。これが影響し、営業収入が営業費用を上回ることはなく赤字が積み重なり、結果として経営危機に陥ってしまった。

営業能力が乏しかった原因として、経営陣が経営や営業とは無縁のいわば「素人」で固められたこと挙げられる。例えば当時の社長である深澤孟雄は元高校教師であり、会社の経営や営業に関しては知識も経験も皆無であった。また甲府クラブOBであり、監督として高校サッカー選手権で数々の実績を挙げていた横森巧もプロ化に推進した1人であり、「J2に参戦しないと山梨のサッカーは沈没してしまう」と山梨県に強く訴えたが、「(Jリーグ)入ったはいいが、経営については非常に悩んだ」と経営の難しさについて述べている[1]。結果甲府クラブのOBや県サッカー関係者がプロ化を目指し法人設立などそれらが達成したものの、経営の難しさから手を引いて社長の深澤に押し付けた状態となり、深澤や当時の山梨県サッカー協会会長などが私財を担保にするなど収益を捻出したが、アマチュアと違い支出が大幅に掛かるプロチームでは埋められるものではなかった[2]。なお、これに関連しエンブレムおよび商標をクラブ所有ではなくチーム名改称時の会長個人の所有とし、法人化の際商標権および営業権を譲渡する代わりに使用料を払っていたことからその後の商標権問題に発展することとなる。

問題発覚後の経過[編集]

2000年度[編集]

経営危機が発覚し、筆頭株主である山日YBSグループや山梨県、甲府市など設立時に出資した地方自治体による話し合いが持たれ、この席で運営会社は支援の追加を要請した[3]。しかし自治体側は運営会社設立時の経緯(詳しくはヴァンフォーレ山梨スポーツクラブを参照)から金銭面の支援を断り、山日YBSグループも改善されないチーム状況を理由に同様の立場であった。また社団法人日本プロサッカーリーグ側からも来年度のスケジュールの都合を理由に早急な結論を求められていが、最高年俸480万円の選手の契約が期限1ヶ月前を過ぎた12月28日になっても決まらず、山梨県もチームの存続の是非を問う掲示板を設けた[4]が、開設当初に寄せられた回答は否定的見解が多く、このまま解散もやむなしの空気が漂っていた。

これに対し危機感を抱いたサポーター有志が立ち上がり、サポータークラブHINCHASをはじめ存続活動を行うため「ヴァンフォーレの会」や「ヴァンフォーレ甲府の存続を求める会」などの各会派が結成され、競技場や甲府駅周辺にて署名活動や募金活動を実施した結果、各自治体の議員やOB有志、さらには他チームのサポーターらの協力もあり27,000人分の署名を集めることに成功した。また、総務省から山梨県に出向していた平嶋彰英総務部長が水面下で奔走した他[2]、当時チェアマンだった川淵三郎も見かねて山梨県や甲府市などに支援を要請するなど積極的に動いた結果、2月に行なわれた第1回経営委員会で2001年度はチームを存続させることが決定。しかし、2002年以降の存続には「平均観客動員数3,000人以上」(2000年実績:1,850人)、「クラブサポーター数5000人以上」(同:2,698人)、「スポンサー収入 5000万円以上」(同:2,600万円)の三条件が課せられ、これが達成されない場合は解散という厳しい条件を突きつけられた。

2001年度[編集]

2000年の実績より倍近い存続条件を突きつけられたチームであったが、平嶋総務部長の要請により筆頭株主の山日YBSグループからグループ会社の取締役である海野一幸が送り込まれ、経営の健全化が図られる。海野は元記者で山梨県の企業と密接であり、かつ営業に関するアイディアが豊富であった。また懸命な営業努力の結果ユニフォームやピッチ看板に名乗りを挙げるスポンサーが次々と現れ、「スポンサー収入」の条件が6月中にクリアされる。残る2つの条件も連日報道される経営危機に関心を示し、クラブサポーターの加入や競技場へ足を運ぶ人達が次第に増えていき、10月の時点で達成できる見込みとなった。上記目標を達成しても4,000万円の赤字が見込まれた決算も資金のかわりに物資やサービスを提供する自治体や企業、さらにボランティアによる協力のおかげで経費が圧縮され、最終的に法人化後初の単年度黒字に転換された。そして10月に実施された主要株主会議にて2002年度以降のチーム存続が決定し、経営危機問題はひとまず終息した。

2002年度以降[編集]

2002年以降も依然経営状況は厳しいものの海野社長をはじめとする人たちの努力により単年度黒字を記録し続け、更に2006年にディビジョン1(J1)へ昇格したことによりスポンサー収入および平均観客動員数・クラブサポーター数も大幅に増加。この年の決算報告で債務超過が解消されたことが発表され、チーム消滅の危機は脱出した。当時約4億5000万円あった累積赤字も2016年に解消した。

同時期に経営問題が発生したチーム[編集]

経営危機が発覚した前後3年(1997年から2003年)に経営難を理由にチーム消滅や経営移管が行なわれたチームを挙げる。

  • 鳥栖フューチャーズ:1996年シーズン終了後にメインスポンサーのPJMジャパンが撤退したことから経営難が表面化し、1997年1月に運営元の佐賀スポーツクラブが解散を決議しチーム消滅。なお、フューチャーズの消滅後に事実上の後継チームとしてサガン鳥栖が設立されたがサガンも経営難が続き、2005年に「株式会社サガン鳥栖」から「株式会社サガンドリームス」に経営移管されている。
  • 横浜フリューゲルス:1998年に親会社の1つである佐藤工業が経営難を理由に撤退を表明。全日本空輸単独でのチーム運営が困難であることから横浜マリノス(現横浜F・マリノス)と形式上は合併。実質上のチーム消滅。
  • 清水エスパルス:1997年11月に地元テレビ局や清水市民の出資により運営されていた「エスラップ・コミュニケーションズ」が20億の債務を抱え破綻。その後鈴与をはじめとする地元企業の出資により「株式会社エスパルス」が設立され移管。
  • ベルマーレ平塚:1998年に親会社のフジタが撤退。クラブチーム化し、2000年より湘南ベルマーレに改称。
  • 水戸ホーリーホック:2001年に経営危機問題が発生。経営陣が交代するなどし再建を目指す。2011年に公式試合安定開催基金受けるなどしたが、現在もチームは継続中。
  • ヴィッセル神戸ダイエーの撤退などにより経営が悪化し、2003年に運営会社の「株式会社ヴィッセル神戸」が破綻。その後楽天の代表である三木谷浩史の関連会社「クリムゾングループ」が経営権を取得し、「株式会社クリムゾンフットボールクラブ」へ移管。

上述以外にも福島FCコスモ石油四日市FCなどがJリーグ参入を目指していたものの自治体からの同意が得られず、また経営の難しさからそのままチーム解散に陥ったケースがあった。

評価[編集]

アジア通貨危機や失われた10年のさなかで経営基盤の弱いチームが数億円の運営費を求められるリーグでいかに経営が難しかったかを物語る一方で、そのクラブチームがどのように運営をしていくかの見本として現在も甲府の例が取り上げられることが多い。例として大塚製薬サッカー部がクラブチーム徳島ヴォルティスとしてJリーグに参入する際、参入に積極的だった飯泉嘉門が甲府の例を参考にしたり、ザスパ草津(現在はザスパクサツ群馬)や愛媛FCFC岐阜といった創立時から一貫して親会社を持たないクラブチームが続々と参入するきっかけともなった。海外からも2017年よりKリーグチャレンジに参入する安山グリナースFCのスタッフが甲府へ研修に来るなどしている[5]

Jリーグも通常のリーグ戦に影響が出る事態に陥る可能性があったことから対策に乗り出し、2005年より公式試合安定開催基金を設立。さらに2013年よりJリーグクラブライセンス制度が導入された。特に後者については経営に関して厳格化されており、「3期連続の当期純損失(赤字)を計上していないこと」「3年連続債務超過に陥っていないこと」「移籍金や給与の未払いが生じていないこと」についてA等級基準(ライセンス交付のために無条件に必須とされる基準)とされ、現在のルールだと2005年まで債務超過状態だった甲府はJ3ライセンスも発給されない(Jリーグから強制脱退。但しチームが存続可能であればJリーグ百年構想クラブとして日本フットボールリーグ以下のリーグで戦うことは可能)ことになる。一方でJ3ライセンスに関しては参入条件は緩和されており、スタジアムはJ2ライセンスの「10,000人以上の照明施設を有するスタジアム(芝生席は座席として認めない)」から「5,000人以上のスタジアム(照明施設はなくともよいが設置することが望ましい、芝生席は審査を経て座席として認められる)」、Jリーグの選手契約条件は「A契約がJ1の場合は15人以上、J2の場合は5人以上に対しJ3は3人以上」、下部組織も「U-18、U-15、U-12の3組織(U-12はスクールで代替可)を有すること」から「U-18、U-15、U-12の3組織のうち少なくとも1つを有すること」と財政面の負担が軽減されるよう配慮された基準となっている。なお、甲府はJリーグクラブライセンス制度導入以降J1ライセンスを取得し続けている。

海野は2004年7月にJリーグの監事、2006年7月には理事に選任され2012年までJリーグの運営に関わり、2016年には新設されたJリーグの「クラブ経営アドバイザー」に就任。同年これまでの実績を評価され日本プロスポーツ大賞功労賞を受賞している[6]

参考資料[編集]

1997年の法人化から2006年の債務超過解消までとする。

クラブ経営収支[編集]

年度 営業収入 営業費用 経常利益 当期純利益 繰越損益 成績 出来事
リーグ 順位/チーム数
1997年 111,510 263,381 -151,870 -151,870 -151,870 旧JFL 6位/16チーム クラブ法人化
1998年 74,115 312,937 -238,821 -238,821 -390,692 旧JFL 4位/16チーム Jリーグ(J2)参入決定
1999年 209,939 226,412 -16,473 -939 -391,632 J2 10位/10チーム  
2000年 182,604 240,285 -57,681 -58,563 -450,195 J2 11位/11チーム クラブ存続危機
2001年 251,748 240,211 5,286 2,582 -447,613 J2 12位/12チーム 経営再建元年
2002年 364,101 352,560 7,891 3,412 -444,200 J2 7位/12チーム  
2003年 498,352 475,428 18,742 8,236 -435,964 J2 5位/12チーム  
2004年 582,334 548,170 30,687 15,587 -420,376 J2 7位/12チーム  
2005年 670,669 575,844 91,763 48,977 -371,399 J2 3位/12チーム J1昇格
2006年 1,343,209 1,100,114 245,589 134,918 -236,481 J1 15位/18チーム クラブ債務超過解消
  • 各項目の単位は千円
  • 資料:ヴァンフォーレ甲府第27回経営委員会資料 [1]

クラブ目標値・実績値[編集]

年度 目標 実績
広告収入 クラサポ数 平均観客動員 広告収入 クラサポ数 平均観客動員
1997年   67,422 n.a. n.a.
1998年 34,607 n.a. 1,043
1999年 22,720 n.a. 1,469
2000年 25,578 2,698 1,850
2001年 50,000 5,000 3,000 60,785 5,588 3,130
2002年 80,000 6,000 3,200 101,822 6,026 4,914
2003年 130,000 6,500 4,800 159,930 6,557 5,796
2004年 200,000 6,000 5,300 220,420 6,028 6,370
2005年 230,000 6,400 6,200 245,922 5,771 6,931
2006年 600,000 10,000 12,700 571,456 9,950 12,213
  • 単位は広告収入が千円、クラサポ(クラブサポーター)数と平均観客動員が人。2000年以前のクラサポ数は不明。
  • 資料:ヴァンフォーレ甲府第27回経営委員会資料(上記参照)

脚注[編集]

注釈
  1. ^ 当時は引き分けがあっても連勝・連敗がカウントされ、6連敗のあとの1引き分けを挟んだ19連敗を合わせ、25連敗とされていた。現在のルールでは19連敗に訂正されている。尚、未勝利記録は2003年サガン鳥栖が超えている。(2010年-2011年にギラヴァンツ北九州が35試合に更新)
  2. ^ 2000年当時の数値。株主増などによる増資により、2009年現在は3億6,700万円。
  3. ^ 山梨県では他にも山梨県立韮崎高等学校のOBで結成された韮崎アストロス山梨県立機山工業高等学校のOBで結成された機山クラブ(学校の統合により解散)など学校のOBで結成されたチームが多い。
  4. ^ 現在はキトーも含む。山梨県全体ではファナック富士急行もあるが当時はホームタウン外であった郡内地方に本社がある。
  5. ^ 山梨中央銀行は2015年からユニフォームスポンサー
  6. ^ 当時山梨県には日立甲府がバスケットボール部があったが、1999年に日立製作所が資本から撤退し甲府クィーンビーズとしてクラブチーム化。県内資本のシャトレーゼも2003年に日本ハンドボールリーグから脱退しハンドボール部を解散するなどヴァンフォーレ甲府だけでなく県内のスポーツチームはどこも縮小や撤退を余儀なくされている。
  7. ^ ユースチーム(現・U-18)の設立はJ参入3年目の2001年。なお、ジュニアユース(現・U-15)は参入時から存在する。
出典
  1. ^ Jリーグプレビューショー第16回放送より
  2. ^ a b クラブの存続を左右した激動の1年 奇跡の甲府再建・海野一幸会長 第2回
  3. ^ 「サッカーJ2 VF甲府 経営ピンチ」(2000年12月27日、山梨日日新聞)
  4. ^ 「ホントにヤバイ 甲府が消える!?」(2000年12月29日、日刊スポーツ
  5. ^ 「ヴァンフォーレ甲府 韓国2部の安山市民球団が研修参加「黒字経営続けている理由を知りたい」(2016年11月26日、スポーツ報知
  6. ^ 海野一幸会長が「2016年第49回内閣総理大臣杯 日本プロスポーツ大賞 功労賞」受賞のお知らせ(2016年12月20日、ヴァンフォーレ甲府公式)

外部リンク[編集]

経営委員会公式(山梨県庁HP内)