ノーマン・ミネタ

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ノーマン・ミネタ
Norman Mineta
Norman Mineta, official portrait, DOT.jpg
ノーマン・ミネタ
生年月日 (1931-11-02) 1931年11月2日(89歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
Flag of San José, California.svg カリフォルニア州サンノゼ
出身校 カリフォルニア大学バークレー校ビジネススクール学士課程卒業
所属政党 民主党
配偶者 メイ・ヒノキ
デニ・ブラントナー
子女 4人

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
14代目運輸長官
在任期間 2001年1月25日 - 2006年7月7日
大統領 ジョージ・W・ブッシュ

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
33代目商務長官
在任期間 2000年7月21日 - 2001年1月20日
大統領 ビル・クリントン

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
Seal of the United States House of Representatives.svg 下院議員
選挙区 カリフォルニア州第13区(1975年から1993年)
カリフォルニア州第15区(1993年から1995年)
当選回数 11回
在任期間 1975年1月3日 - 1993年1月3日
1993年1月3日 - 1995年10月10日

Flag of San José, California.svg サンノゼ
59代目市長
在任期間 1971年1月9日 - 1975年1月9日
州知事 ロナルド・レーガン
ジェリー・ブラウン

Flag of San José, California.svg サンノゼ
市議会議員
在任期間 1967年1月9日 - 1971年1月9日
市長 ロン・ジェームズ
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ノーマン・ヨシオ・ミネタ(Norman Yoshio Mineta、1931年11月2日 - )は、アメリカ合衆国の政治家で元アメリカ陸軍将校。民主党員。59代目サンノゼ市長・ビル・クリントン政権2期目で33代目アメリカ合衆国商務長官・ジョージ・W・ブッシュ政権1期目と2期目で14代目アメリカ合衆国運輸長官を歴任。日系アメリカ人としてはまたアジア系アメリカ人として初めての閣僚である。

略歴[編集]

1908(明治41)年にアメリカに渡った静岡県清水町久米田出身の父の国作と三島市大宮町出身の母のかね(旧姓は渡邊)のもとでアメリカのカリフォルニア州サンノゼで2男3女の末子として誕生する。第二次世界大戦中はワイオミング州ハートマウンテン日系人収容所に収容され、ここで慰問に来たボーイスカウト団員のアラン・シンプソン(後のワイオミング州選出上院議員)と知り合い、生涯の盟友となる。

1953年カリフォルニア大学バークレー校ビジネススクール学士課程を卒業。この年アメリカ陸軍に入り、日本・韓国で情報将校を務める。その後父の経営するミネタ保険会社に勤め、1967年にサンノゼ市会議員に当選した。

1971年にはハワイを除くアメリカ本土では日系人として初めて大都市のサンノゼ市長に当選した。1974年にはやはりアメリカ本土では初めてアメリカ合衆国下院議員に当選した。1995年まで20年以上に渡って下院議員を務め、その間大部分は運輸委員会に所属した他、1988年には太平洋戦争中に行われた日系人の強制収容に対するアメリカ合衆国政府による公式の謝罪及び賠償を規定したCivil Liberties Act(市民の自由法 (英語))の成立を陰で支えた[1]

その後[編集]

ロッキード・マーティン社副社長を経て、2000年7月21日から2001年1月20日までビル・クリントン政権2期目の33代目アメリカ合衆国商務長官を務めた。2001年1月25日から2006年7月7日まで共和党ジョージ・W・ブッシュ政権1期目と2期目で14代目アメリカ合衆国運輸長官を務め、運輸長官としては最長の任期であった[1]。2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件では運輸省でニューヨークの事件を知り、ホワイトハウスから呼び出されホワイトハウスの地下深くのPEOC (President's Emergency Operating Center、大統領危機管理センター) で対応に当たる。アメリカ史上初めて全ての民間航空機の緊急着陸を命令し、国内を飛んでいた4638機の飛行機を2時間20分で全て強制的に着陸させ、アメリカに飛んで来る飛行機の受け入れを拒否し、ヨーロッパ・アジアから飛んで来る飛行機の受け入れをカナダに依頼した[2]。多くのアメリカのジャーナリストが人種プロファイリングを支持する中で自身を含む日系人の強制収容を身をもって体験したミネタはこれを拒否し、各方面から批判を浴びる中でCBSの番組である「60ミニッツ」に出演し、イスラム教徒やアラブ系への人種差別を非難し、特定の人種に対するスクリーニングを断固として拒否した。一方でそれまで航空会社の自主判断に任されていた空港での安全検査をアメリカ連邦航空保安局に一括し、連邦政府職員による全航空機搭乗者を対象とした検査強化で対応した。

空港の名前[編集]

2001年11月にミネタの地元のサンノゼ国際空港はミネタの長年の功績を顕彰して、この空港の正式名称を「ノーマン・Y・ミネタ・サンノゼ国際空港」と改称した。

現在[編集]

現在はヒル&ノールトン社の副会長を務めている。

栄典[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b ノーマン・ヨシオ・ミネタ”. JAPANESE AMERICAN NATIONAL MUSEUM. 2013年10月11日閲覧。
  2. ^ ノーマン・ミネタ”. 河野太郎公式ブログ ごまめの歯ぎしり (2009年3月18日). 2013年10月11日閲覧。

外部リンク[編集]

  • United States Congress. "ミネタ (id: M000794)". Biographical Directory of the United States Congress (英語).
  • ノーマン・ミネタ氏インタビュー 全米日系人博物館、ディスカバーニッケイプロジェクト (2008年)
先代:
ロン・ジェイムズ
サンノゼ市長
第59代:1971年 - 1975年
次代:
ジャネット・ヘイズ
先代:
ウィリアム・デイリー
アメリカ合衆国商務長官
第33代:2000年 - 2001年
次代:
ドナルド・エヴァンズ
先代:
ロドニー・ステイラー
アメリカ合衆国運輸長官
第14代:2001年 - 2006年
次代:
マリー・ピーターズ