ミッキー・カンター

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マイケル・"ミッキー"・カンター
Michael "Mickey" Kantor
MichaelKantor.jpg
生年月日 (1939-08-07) 1939年8月7日(81歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
Flag of Nashville, Tennessee.png テネシー州ナッシュビル
出身校 ヴァンダービルト大学
所属政党 民主党
称号 経済学・経営学学士
配偶者 ヴァレリー・ウッズ(1978年に死亡)
ハイジ・シュルマン(1982年から)
子女 4人

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
31代目商務長官
在任期間 1996年4月12日 - 1997年1月21日
大統領 ビル・クリントン

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
11代目通商代表
在任期間 1993年 - 1997年
大統領 ビル・クリントン
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マイケル・"ミッキー"・カンター(Michael "Mickey" Kantor, 1939年8月7日 - )はアメリカ合衆国の政治家・弁護士・民間企業の役員である。ビル・クリントン政権1期目で11代目アメリカ合衆国通商代表・同じくビル・クリントン政権1期目で31代目アメリカ合衆国商務長官を務めた。

経歴[編集]

1939年8月7日にアメリカのテネシー州ナッシュビルに誕生する。ヴァンダービルト大学において経済学と経営学のの学士号を1961年に取得し(在学中にゼータ・ベータ・タウフラタニティに加入したと言われている)、1968年にはジョージタウン大学ローセンターで法務博士の学位を取得する。この間アメリカ海軍士官として4年間軍務に就く。

1992年アメリカ合衆国大統領選挙における民主党の選挙対策委員長を務め、当選したビル・クリントン大統領の時代である1993年から1997年まで11代目アメリカ合衆国通商代表を務める。その際、1996年4月3日にロナルド・ハーモン・ブラウン商務長官がクロアチアで発生した航空事故で死去した際に同じく翌1997年1月21日までアメリカ合衆国商務長官を兼務する。

アメリカ合衆国通商代表時代[編集]

通商代表時代は自由貿易主義者として世界貿易機関ウルグアイ・ラウンド北米自由貿易協定(NAFTA)の創設のためのアメリカの主張を取りまとめる。またマイアミサミットやAPEC(アジア太平洋経済協力)の創設に関与する。また創設されたばかりのEU(欧州連合)の欧州委員会と協力し、大西洋を挟んだ市場の拡大に努める。

遺伝子組み換え作物市場の90パーセントを独占するアメリカ企業であるモンサント (企業)の役員を務めた経験を持ち、遺伝子組み換え作物市場拡大に政治面からも大いに尽力している[1]

その他[編集]

シカゴの国際法務会社において法務に携わる。

家族について[編集]

妻を飛行機事故で亡くした後、再婚した。

脚注[編集]

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公職
先代:
カーラ・アンダーソン・ヒルズ
アメリカ合衆国通商代表
1993年 - 1997年
次代:
シャリーン・バーシェフスキ
先代:
ロナルド・ハーモン・ブラウン
アメリカ合衆国商務長官
1996年4月12日 - 1997年1月21日
次代:
ウィリアム・デイリー