ディープ・スロート (ウォーターゲート事件)

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ディープ・スロート(Deep Throat)とは、1972年アメリカで起こったウォーターゲート事件で、事件を調査報道した『ワシントン・ポスト』の記者に指導する形で情報を示した人物の通称。長い間正体は不明であった。しかし2005年に、事件当時のFBI副長官であったマーク・フェルトであったことが判明した。この名前の由来は、事件が起こった1972年1月に公開され、大ヒットしたポルノ映画ディープ・スロート』からで、当時の『ワシントン・ポスト』編集局次長によって名付けられた。

概要[編集]

ウォーターゲート事件は1972年6月17日深夜に、米大統領選挙の予備選挙のさなかに、ワシントンのウォーターゲートビルにあったアメリカ民主党本部に5人の男が盗聴装置を取り付けるために侵入して逮捕されたことから始まった事件で、その後に当時のニクソン大統領の再選委員会の警備主任が犯行に加わっていたことが発覚した。直後に水面下でホワイトハウスの大統領補佐官らがすぐにもみ消し工作を行い、ニクソン大統領は事件6日後にこのもみ消し工作を承認した。当初は事件の詳細がつかめず、「三流のコソ泥事件」とされて同年11月の大統領選挙には何ら影響せず、ニクソン大統領が再選を果たした。この間もマスメディアも事件への関心は薄く、唯一『ワシントン・ポスト』のみが事件の報道を続けていたが、翌年の1973年3月に侵入犯のマッコードが証言でニクソン再選委員会及びニクソン政権側近が関与していると暴露し、その後に数々の不正の発覚やもみ消しを否定したニクソン大統領への疑惑が拡大して、やがて大統領執務室での会話を録音したテープの存在が明らかになってから、このテープの提出をめぐる大統領側と議会・特別検察官側との攻防が続き、特別検察官の解任、司法長官及び次官の辞任、最後には大統領のウソが録音テープから明らかになって下院で大統領弾劾の発議がされて、ニクソン大統領は辞任に追い込まれた。

当初、この事件は単なる「盗聴騒ぎ」としてそれほどには注目されていなかった。そのなかで『ワシントン・ポスト』の2人の記者、ボブ・ウッドワードカール・バーンスタインは事件発覚の日から取材を続けて、やがて取材に限界を感じていたボブ・ウッドワードは3年前の海軍在籍時にホワイトハウスに書類を逓送する役目の時にたまたま同席したFBI高官のマーク・フェルトと親しくなり、その後も記者とFBI幹部との接触を続けていたことで、1972年10月の深夜にワシントンのポトマック河畔のある駐車場でマーク・フェルトと会い、事件の真相についてにマーク・フェルトに聞いたことがこのディープ・スロートの発端である。

ボブ・ウッドワードはこの重要な取材源を隠すことに最大限の注意を払い、マーク・フェルトも自らの話を記事にすることをしないことをウッドワードに約束させて、ウッドワードとの話に応じた。ただし、後にウッドワードが述べているように、一般的に政権内部のことについての情報を提供したことはない。フェルトはウッドワードの問いかけに、具体的に答えることはせず、どこに行けばそれに関した重要な情報が得られるか、そのことを伝えていた。ウッドワードはやがてこの「政権内部の重要人物」からの情報を柱に違う角度からの記事を書いていくが、ワシントン・ポスト内でこの重要な情報源を編集局次長がディープ・スロートと名付けた。

ディープ・スロートは厳密には内部告発を行なったわけではない。世間に対して自ら何かを訴えたわけではなく、情報を自分で漏らしたわけでもない。情報を入手して世間に明かしたのは、『ワシントン・ポスト』の2人の記者である。具体的にディープ・スロートが行ったのは、情報を得る方法を記者達に示唆した事である。「ここに情報がある」という風に直接的に情報を示すかわりに、「こういう情報を探せ」という様な道筋をおおまかに示した。具体的に道筋を見つけたのは、あくまでも記者たちの仕事だった。

その後、彼らが取材し見つけたものに対して、ディープ・スロートは「それではまだ不足だ。もっと探せ」とか、「同じ種類の情報をもっと探せ。二重チェックせよ」などと言い、あるいは「それでいい」と合格点を与えることもあった。ディープ・スロートは、どのような情報があるかを明らかに知っていた事になるが、自分で直接教えることはしていないため、秘密漏洩をしたわけではない。

正体[編集]

一般にはディープ・スロートは、ウォーターゲート事件の真相を知っていたが、何らかの理由で自ら告発者となることが出来なかったと考えられた。

ディープ・スロートが誰なのかは、長い間謎であった。フレッド・ラルー(ニクソン政権幹部で、事件の隠蔽工作を行ったとされる)や、ジョージ・H・W・ブッシュヘンリー・キッシンジャーらの名が噂された。

また、レン・コロドニーとロバート・ゲトリンの著書「静かなるクーデター」(新潮社刊)では、ペンタゴンからニクソン政権に送り込まれた軍事問題補佐官、アレクサンダー・ヘイグ准将以外ではありえないと論じられた[1]

2005年5月31日、当時の連邦捜査局副長官だったマーク・フェルトが自分がディープ・スロートであったことを公表した。ディープ・スロートからの指示で事件を取材したウッドワードも、フェルトがディープ・スロートであったことを認め、ウッドワードは内幕を明かした『ディープ・スロート 大統領を葬った男』(伏見威蕃訳、文藝春秋、2005年10月)を刊行している。

フェルトは2008年12月18日、カリフォルニア州サンタローザ市内の自宅で95歳で死去している。

ただし、後に明らかになったことだが、1972年10月にウッドワードとフェルトが初めて「密会」してから数日をおかずに、大統領執務室の録音テープから、ハルデマン補佐官がワシントン・ポストに情報を入れたのはマーク・フェルトであったとニクソンに報告している。その報告の情報源はワシントン・ポスト内であったとウッドワードは後にその著作で書いている。

行為に対する評価[編集]

ディープ・スロートの正体が明らかになるとともに、行為への様々な評価が噴出した。

元上院議員のマイク・グラベルは「彼は英雄であり、自由勲章を与えられるべきだ」と告発を称賛した。一方、ニクソンのスピーチライターでもあったパトリック・ブキャナンは「彼が30年以上隠し通してきたのは、自分の行為を恥じているからだ」と非難した。43代大統領ジョージ・W・ブッシュは、フェルトの評価について「判断するのは難しい」と述べた。

動機の一つに、フェルトのFBI長官昇進問題への個人的な不満があったとされる点も、評価が分かれる一因とみられる。

映画化・テレビ化[編集]

映画監督アンドリュー・フレミングは、「ディープ・スロートの正体はわずか15歳の2人の女子学生であった」とする大胆な設定のコメディー映画『キルスティン・ダンストの大統領に気をつけろ!』(1999年。キルスティン・ダンストミシェル・ウィリアムズ主演)を製作した。

コミック『ウォッチメン』においてアラン・ムーアは、ニクソンに送り込まれたヒーロー「コメディアン」によってウォーターゲート事件は隠匿され、結果ニクソンが大統領の座に座り続けたとする歴史改変を行っている。ゲーム版においてはこの一件が中心となっており、ディープ・スロートことフェルト、およびワシントン・ポストの記者ウッドワードとバーンスタインらが殺害されるに至った経緯が描かれる。

テレビドラマ『X-ファイル』に登場する情報提供者の名も同じディープ・スロートで、設定はウォーターゲート事件で『ワシントン・ポスト』に情報提供した人物とされている。

慣用[編集]

転じて、現在「ディープ・スロート」は、「政府の不正行為に関する情報を提供する高官」「内部告発者」「密告者」などを意味する慣用句として使われている(ただし、上記の通りディープ・スロートは自ら内部告発や不正の暴露を行ったわけではない)。

脚注[編集]

  1. ^ 「ぼくはこんな本を読んできた」立花隆文藝春秋社、233頁

外部リンク[編集]