ディープ・スロート (映画)

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ディープ・スロート
Deep Throat
Deep throat PD poster (restored).png
監督 ジェラルド・ダミアーノ
脚本 ジェラルド・ダミアーノ
製作 ウィリアム・J・リンクス
ルイス・ペライノ
フィル・ペライノ
出演者 リンダ・ラヴレース
ハリー・リームス
ドリー・シャープ
ビル・ハリソン
公開 1972年6月12日アメリカ合衆国の旗
上映時間 61分
製作国 アメリカ合衆国
言語 英語
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ディープ・スロート』(Deep Throat)は、ジェラルド・ダミアーノの脚本、監督、リンダ・ラヴレースの主演で1972年夏に公開された成人映画

内容は、喉の奥にクリトリスがあるという設定の女性が登場する、フェラチオをテーマにするポルノ作品である。 公開後は世界中の映画館で上映され、興行的大成功を収めて、1970年代ポップカルチャーに大きな影響を与えた。上映時間61分。

製作スタッフ[編集]

概要[編集]

ルイス・"ブッチ"・ペライノによって製作された。制作費は2万2千から2万5千ドル(約550万円)[1]で、 ブッチはその大半を父親のアンソニー・"ビッグ・トニー"・ペライノと叔父のジョー・"ザ・ホエール"・ペライノに頼んで出してもらった。撮影場所には、ニュージャージーの某アパートの一室を使い、三日間で完成させた[1]

この映画は公開されると、ポルノ映画としては空前の大ヒットとなった。トータルの興行収入は約6億ドル、当時の円換算で2000億近いとする、信頼性が怪しい説[2]もある一方、"ビッグ・トニー"がマフィアのコロンボ一家に所属していたためFBIがこの映画の利益を調査し、およそ1億ドルの収入があったと推定している[3]。これは同時期の大作「ゴッドファーザー」の興行収入の1/3を超える金額である。

日本公開[編集]

日本では、東映系の洋画配給会社・東映洋画が輸入したが、ハリー・リームスら俳優の性器丸出しのわいせつなシーンカットの嵐で、日本でまともに映写できるのは15分程度と1本の映画として成り立たず、元々70分しかない短い映画が公開不能になった[4][5]。頭を抱えた東映は同じダミアーノ監督『ミス・ジョーンズの背徳』とくっつけて二部構成にする苦肉の策をとった[5]。そこで、話の辻褄を合わせるため、ピンク映画の監督・プロデューサー向井寛に頼み[4]、向井が日本国内で外人女性を使って演出したオリジナルシーンを撮り足し一本に仕上げた[5]。結局『ディープ・スロート』は1975年8月に日本で公開され、作品そのものの持つ知名度と大宣伝により、配収1億7000万円のヒットになった[5]。この功労により東映は向井に大きな権限を与え、これを機に向井は東映から「500万円ポルノ」を大量に発注しユニバースプロを設立、これが後に獅子プロダクションへと移行し片岡修二滝田洋二郎らを育て、また不遇だったピンク映画出身監督に一般映画制作のチャンスを与える先例となった[4][5]

関係者[編集]

  • 監督のジェラルド・ダミアノは本名を出すのをはばかり、変名の「ジェリー・ジェラルド」としてクレジットされた。さらにダミアノはパーティーの場面で短時間現れる。クレジットに彼は「アル・ゴーク」と記述された。彼は収益に対する3分の1の権利を持っていたが、映画が大成功するとペライノらに取り分を踏み倒された。
  • 主演のリンダ・ラヴレースは本作の大ヒットで、一躍ポルノ界の大物女優にのしあがったが、本作の出演料は1200ドルだったという。のちに出版した自伝では、夫のチャック・トレイナーが彼女を無理やり出演させ、さらに出演料を横取りしたとして非難している。
  • 共演のハリー・リームスは、もともとも製作スタッフとして200ドルで雇われたのだが、100ドルの上乗せで映画にも出演することにした[6]
  • リンダの夫チャック・トレイナーも撮影のマネージャーとして働いていた。一時は俳優して出演しようとしたが、カメラの前で勃起することができなかった。リンダ・ラヴレースとは1974年に離婚し、別のポルノスターのマリリン・チェンバースと浮名を流した。

脚注[編集]

  1. ^ a b 週刊サンケイ、1982年1月21日号p150-154
  2. ^ Fenton Bailey (2005年3月5日). “'Throat' Gets Cut, Directors Perform Surgery”. World of Wonder. World of Wonder Productions. 2005年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年2月18日閲覧。
  3. ^ 英文Wikipediaの記述による
  4. ^ a b c 杉作J太郎・植地毅(編著) 『東映ピンキー・バイオレンス浪漫アルバム』 徳間書店1999年、252-255頁。ISBN 4-19-861016-9
  5. ^ a b c d e 二階堂卓也 『ピンク映画史』 彩流社2014年、311-317頁。ISBN 978-4779120299
  6. ^ 当時のアメリカのポルノ俳優の出演料は、1日150ドル~200ドル(約33,000円~44,000円)、撮影クルーは1日150ドル、助監督は50ドル(約11,000円)。1本の製作費はどこかのアパートを借りて撮影すると約5,000ドル(約110万円)程度であった(週刊サンケイ、1982年1月21日号p150-154)。地方ロケが入ると製作費はこれより高くなる。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]