スバル・ブラット

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ブラットBRAT)は、スバルブランドを展開する富士重工業(現・SUBARU)で生産されていた、レオーネベースのピックアップトラックである。輸出専用車種で、日本国内販売は行われていないが、逆輸入されたものが少数存在する。「BRAT」は、Bi-drive Recreational All-terrain Transporter の頭文字に由来する[1]

概要[編集]

アメリカでは若年層を中心に、パーソナルカーとしてのピックアップトラックの需要があり、日本車の輸入が本格化した1970年代に入ると、日本製のリル・ハスラー(Li'l Hustler:ダットサン・トラック)トヨタ・トラック(トヨタ・ハイラックス)シボレー・LUVいすゞ・ファスター)などのミニピックアップトラックが好調な販売を記録していた。

こうした中、スバルオブアメリカからの富士重工に対する「スバル・ピックアップ」を望む声は当初からあったものの、アメリカでは輸入ライトトラックに、25%という破格の高関税(いわゆるChicken tax)を課しており、フレーム付きの日本製ピックアップトラックは、ボディをキャブ部分のみの架装に留め、荷台は現地で組み付ける、「キャブシャシー」という部品扱いで輸出する「裏技」でこの高関税を回避していた。

しかしスバルではフルモノコックボディ以外の普通車を生産しておらず、こうした「荷箱分割方式」が取れない。アメリカ政府との度重なる折衝の末、荷台をボディ前半部となだらかに一体化させたデザインとしたうえで荷台に固定式のシートを2脚取り付けることで、「ピックアップ」ではない4人乗りの「乗用車」としての輸入を認められ、1977年10月から「BRAT」という専用名称[2]とともにアメリカへの輸出が始まった。

1979年発行のカートピア別冊「楽しい4輪駆動車のハンドブック」では初代ブラットがレオーネ4WDの使用実例の一つとして紹介されていたが、その中には『日本では発売できない』との記述があった。国内未導入車種にも関わらず1983年にはタミヤ(当時 田宮模型)より同車の2代目をモデルとした電動ラジコンカーが発売されるなどの形を通して一般にその存在が浸透した。

歴史[編集]

初代[編集]

1977年10月、発売。初代スバル・ブラットのベースとなったのは、A3型レオーネ2ドアセダンで、Aピラーを含むフロントウインドシールドとカウル以前、両サイドのドアは共通であるが、ボディパネルの約6割は専用部品となる。

1978年イギリスを中心に、「スバル MV」という輸出名でヨーロッパへの輸出開始。

2代目[編集]

2代目ブラット USモデル

1981年10月にAB型レオーネボディにモデルチェンジ。AB型レオーネ2ドアハードトップをベースとしていた。AB型レオーネでは唯一、「ハローツインルーフ(Halo Twin Roof)」と呼ばれるガラス製Tバールーフも設定された。

1983年からは、4灯フロントグリル、前後バンパーウレタン一体成型に変更。

1984年フロントグリルハニカムタイプに変更。アメリカ仕様は「GL」のみのモノグレードとなった。

1985年アジアオセアニア地域の需要に対応して、オーストラリアを中心に「ブランビー (Brumby) 」として輸出が開始された。また、イスラエルなど中東諸国にも「スバル・ピックアップ (Subaru Pickup) 」として1986年から輸出された。

アメリカでの販売終了後も、ヨーロッパ、アジア、オセアニア、中東には輸出が継続され、1990年までAB型レオーネのボディのまま生産された。

脚注[編集]

  1. ^ "brat" は、悪ガキ、やんちゃ坊主を意味する英俗語
  2. ^ 当時の海外向けレオーネはSUBARU+ボディ形状名(4ドアセダン等)+グレード名で呼ばれており、専用名称が与えられていたのはブラットのみであった。

関連項目[編集]