シカゴ (バンド)

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シカゴ
Chicagothebandmillbrook lar.jpg
2004年撮影
基本情報
別名
  • ザ・ビッグ・シング(1967年 - 1968年)
  • シカゴ・トランジット・オーソリティ(1968年 - 1969年)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 イリノイ州シカゴ
ジャンル
活動期間 1967年 -
レーベル
公式サイト ChicagoTheBand.com
メンバー
旧メンバー

シカゴChicago)は、アメリカロックバンドロックブラス・セクションを取り入れた形式のバンドとして有名な存在であり、同じジェイムズ・ウィリアム・ガルシオ英語版がプロデュースしたバンド、ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズと共に“ブラス・ロック”と呼ばれた。

シカゴで結成されたが、プロ・デビュー後の活動拠点はロサンゼルスである。

来歴[編集]

1967年2月15日にウォルター・パラゼイダー (Woodwinds)、ロバート・ラム (Vo,Key)、テリー・キャス (Vo,G)、ジェイムズ・パンコウ (Tb)、リー・ロックネイン (Tp)、ダニー・セラフィン (Dr)により結成[2]。当時のバンド名は「ビッグ・シング」[3]

1969年にジェイムズ・ウィリアム・ガルシオのプロデュースにより「シカゴ・トランジット・オーソリティ」としてコロムビア・レコードからデビュー。4月、アルバム『シカゴの軌跡』を発売し、Billboard 200で最高位17位を獲得[4]

1970年1月、シカゴ交通局からの苦情により現在の「シカゴ」へとバンド名を変更し[5]、『シカゴと23の誓い (シカゴⅡ)』を発売。アルバムからはシングル『長い夜』が大ヒットし、「ぼくらに微笑みを英語版[注釈 1]」「クエスチョンズ67/68英語版」、「ビギニングス英語版」、「いったい現実を把握している者はいるだろうか?英語版」などの楽曲が知れ渡るきっかけの作品[要出典]ともなった。

1971年1月には『シカゴIII』を発売し、全米2位を獲得[4]。11月にはライブ・アルバムである『シカゴ・アット・カーネギー・ホール』を発売し、全米3位を獲得[4]。続く1972年7月には『シカゴV』から「サタデイ・イン・ザ・パーク」、「ダイアログ (パート1 & 2)英語版」がヒットし、バンド史上初の全米1位を獲得した。また、同年の大統領選挙ではポール・サイモンらとともに反戦候補のジョージ・マクガヴァンを熱心に支援するなど、当時は政治的な歌詞を持つ曲が多かったが、徐々にその特徴は影を潜めた。

1973年6月、ロッキー山脈にスタジオを変え、『遙かなる亜米利加』を発売。アルバムからは「愛のきずな英語版」「君とふたりで英語版」などがヒットした。なお、ロッキー山脈で活動する姿はアメリカのテレビ番組「シカゴ・イン・ザ・ロッキーズ」として記録されており、その一部分は後のドキュメンタリー映画などにも使用されている。

1974年3月には『シカゴⅦ 市俄古への長い道』を発売するが、その内容はジャズやラテン音楽を意識したものになっており、従来の音楽性を望む声も多かった。翌1975年3月には『シカゴⅧ 未だ見ぬアメリカ』を発売、「オールド・デイズ英語版」などの楽曲で従来のシカゴらしいブラス・ロックを復活させたが、同アルバムからAOR、ポップス路線へと移行し始め、1976年6月には『シカゴX カリブの旋風英語版』からラブ・バラードである「愛ある別れ英語版」が大ヒット、全米ナンバーワンを記録するが、バンドのリーダーであるテリー・キャスロバート・ラムはこのような音楽性に強く反対した。

1977年9月、『シカゴXI英語版』を発売。方向性が見直され、ポップス路線の楽曲に加え、従来のシカゴらしいナンバーや社会風刺が再び取り入れられたが、デビューから活動を共にしてきたプロデューサーのガルシオを金銭問題により解雇せざるを得なくなり、また翌1978年1月にはキャスが拳銃暴発事故(自動式拳銃の薬室に残った弾丸の誤発射)によって死亡してしまい、バンドは低迷期に突入することになる。なお、キャスの死後、バンドは解散や改名を考えたというが、リーダーを新しく立てずにシカゴとして活動再開を決意する。

1978年9月、ギターに新しくドニー・デイカスが起用され、キャスの死後初となるアルバム『ホット・ストリート英語版』を発売。しかし音楽性がディスコ・ミュージックに移行したとして評論家から批判され、1979年8月の『シカゴ13英語版』、1980年7月のトム・ダウドプロデュースによる『シカゴXIV英語版』も共に失敗に終わる。

80年代に入ると、フル・ムーン (WEA系) に移籍。セラフィンの友人であったビル・チャンプリンの紹介によりデイヴィッド・フォスターをプロデューサーに迎え、1982年5月には『ラヴ・ミー・トゥモロウ (シカゴ16)』から「素直になれなくて (Hard to Say I'm Sorry)」(1982年ビルボード年間12位)、続く1984年5月の『シカゴ17英語版』からは「君こそすべて英語版」など、ラブ・バラード路線の楽曲が大ヒットを記録し、再ブレイクを果たした。しかし音楽性の変化により、ブラス担当のジェームズ・パンコウリー・ロックネインウォルター・パラゼイダーの三人は従来のように担当楽器を演奏させてもらえなくなった為、思い悩んだ末キーボードやギターを担当し始める。さらに、バンド活動自体がセテラとフォスターの二人による主導になりつつあったため、メンバー間の溝はより一層深まっていった。[要出典]

1985年、バンドの顔であったセテラが、ソロ活動に専念するため脱退。新ボーカリストのジェイソン・シェフが加入するものの、フォスターによる主導は続き、1986年9月の『シカゴ18』、1988年6月の『シカゴ19』も共にラブ・バラード、AOR路線でヒットを記録するが、遂にメンバーは不満によりフォスターを解雇する。

1991年1月、新しくプロデューサーを迎え21作目のアルバム『シカゴ21英語版』を発売。しかし売り上げが低迷したことからバンドとレコード会社の関係が悪化し、『シカゴ22』として製作された次作『ストーン・オブ・シシファス英語版』はレコード会社の希望する路線と異なっていたことから、アルバム発売が中止されてしまう(2008年5月6日放送『ベストヒットUSA』での、ロックネインとパンコウの発言より)[出典無効]。これがきっかけとなり、バンドはジャイアント・レコードへ移籍。1995年5月にはビッグバンド・ジャズのカヴァー集であるアルバム『ナイト・アンド・デイ〜ビッグ・バンド』を発売した。

1998年8月、初のホリデイ・アルバム『シカゴ25〜クリスマス・アルバム〜』を発売。プロモーション活動も精力的に行い、同時期のベスト・アルバム数枚も大ヒットを記録した。

2004年、アース・ウィンド・アンド・ファイアーとのジョイント・コンサートを開催し、成功を収める。ロバート・ラムは後にこのコンサートを「近年では一番好きなライブ」と語っている。

2006年3月、ジェイ・ディマーカスをプロデューサーに迎え、15年ぶりのオリジナル・アルバムである『シカゴXXX』を発売。また、2008年6月には、かねてからお蔵入りとなっていた『シカゴ22』が『シカゴ32 ストーン・オブ・シシファス』としてリマスターされ発売された。

2014年7月、8年ぶりのオリジナル・アルバムである『シカゴ36"NOW"』を発売。

2016年4月、ロックの殿堂入りを果たした[6]。授賞式でのパフォーマンスでは「サタデイ・イン・ザ・パーク」「いったい現実を把握している者はいるだろうか?」「長い夜」の三曲を披露し、元ドラマーのセラフィンも演奏に参加した。同じく元メインボーカリストのセテラも式典でプレイしたいと発言していたが、ラム曰く、自分のバンドの楽曲を演奏したがっていたこと、「長い夜」のキーをAからEに下げたがっていたこと(ブラスがあるためこのような大きなキーチェンジは難しかった)などの理由でバンド側との話し合いが決裂し、式典に出席することはなかった。

2017年1月1日、米CNNにおいて2013年に撮影されたシカゴのドキュメンタリー映画『ザ・ヒストリー・オブ・シカゴ ナウ・モア・ザン・エヴァー』が公開され、後に海外でDVDも発売された(日本では2022年2月に発売予定である)。また、同年にはラム、パンコウ、セテラがソングライターの殿堂入りを果たした。

2018年からメンバーが大きく入れ替わり、新型コロナウイルスの影響でライブ活動がストップしたものの、現在ではツアーを精力的に行い、ラムは2022年の1月〜4月の間にニュー・アルバム『シカゴ38』の発売を公言している。

メンバー[編集]

前期[編集]

前身となったバンド「ビッグ・シング」は、ロバート・ラム(Vo,Key)、テリー・キャス(Vo,G)、ジェイムズ・パンコウ(Tb)、ウォルター・パラゼイダー(Woodwinds)、リー・ロックネイン(Tp)、ダニー・セラフィン(Drums)の6人で結成され、さらにピーター・セテラ(Vo,Bass)が加わった。

その後、元セルジオ・メンデスのメンバー、ラウヂール・ヂ・オリヴェイラポルトガル語版英語版(Perc)が加入(アルバムへの参加はVIIから14まで)[1]。アルバム『XI』のリリース後には、テリー・キャスが死亡している[1]。またアルバム『Hot Streets(12)』で元スティーヴン・スティルスのバンドメンバー、ドニー・デイカス(Vo,G)が参加するが、アルバム『13』のリリース後、ほどなく解雇される[1]

後期[編集]

アルバム『16』より、元サンズ・オブ・チャンプリンのビル・チャンプリン(Vo,Key,G)が参加する[1]

『17』ではクレジットのみ、クリス・ピニック(G)がメンバーとして表記される(ちなみに、アルバム内ジャケットにあるメンバーの集合写真にはクリスを含まない7人のみが写る)。

『17』を最後に、当時のシカゴのヒット曲でヴォーカルを担当していたピーター・セテラ(Vo,b)がソロ活動に専念するため、脱退[1]。代わって『18』より元キーンのジェイソン・シェフ(Vo,b)が加入[1]

19』を最後に、オリジナル・メンバーであるダニー・セラフィン(Drums)が解雇される[1]。理由としては1989年に行ったロンドン公演でダニーは妻とロンドン観光に出かけリハーサルを無断欠席、挙句には時差ボケもあり、その日のライブは酷い物になった。そこでメンバーと喧嘩になりバンド側から解雇されたという。ロバート・ラムによれば「彼は音楽以外のビジネスなどにのめり込み、バンドのことを考え出さなくなった。彼はバンドを2つに分けてしまう可能性があったし、辞めさせざるをえなかった。」『19』でセッション参加していたドウェイン・ベイリー(G)は、『TWENTY 1』より正式メンバーとなる[1]

『ナイト・アンド・デイ』製作中にはドウェイン・ベイリーが解雇され、代わってキース・ハウランド(G)がメンバーとして迎えられる。なお、このアルバムのレコーディングにはブルース・ガイチ(G)が参加。2006年3月には『XXX』が『TWENTY 1』以来15年ぶりとなる全曲新作のオリジナル・アルバムとしてリリースされるが、健康問題により、リー・ロックネイン(Tp)はレコーディングには参加していない。

2009年8月、ビル・チャンプリン(Vo,Key,G)が脱退。理由としてはビル・チャンプリン本人が、「ここにいる観客が来た理由は一つしかない、自分を見に来ている」と発言したためだという。ルー・パーディニ(Vo,Key)がメンバーに加入し、チャンプリンが担当していたボーカル(I'm a manの3番手など)も引き継いでいる。2009年、トリス・インボーデンがガンによる病気療養の間、ドリュー・ヘスターが代役でドラムを担当した。インボーデンの復帰後、ヘスターは、パーカッションとしてライブに参加しており、正式メンバーに近い活動をしていた[7]

2012年、ドリュー・ヘスターが離れ、ウォルフレッド・レイエス Jr.がパーカッション担当の正式メンバーとして加入した。

2016年5月、長年ピーター・セテラの後任として活躍してきたジェイソン・シェフが、家族の健康上の理由で脱退し、ジェフ・コーフィーが加入した。ジェフ・コーフィーは元メンバーのピーター・セテラジェイソン・シェフアース・ウィンド・アンド・ファイアーとのジョイント時を含む)のパートを引き継いでいる。

2017年12月、ウォルター・パラゼイダーがバンドから正式に脱退し、2005年から代役を務めてきたレイ・ハーマンが正式メンバーとして迎えられる。なお、パラゼイダーは2016年にツアーからの引退を表明しており、ロバート・ラムは『ニュージャージー・ヘラルド英語版』紙のインタビューより、「ウォルターは心臓の状態によりツアーからは脱退している。シカゴは現在『シカゴ37』を製作中であるが、そこにウォルターが参加できるかは不明である」と語っていた[8]

2018年1月17日、ドラムスのトリス・インボーデンがシカゴを脱退、ツアーにこれ以上同行しないことを明かした。理由としては妻ともっと時間を過ごしたいとのこと。

2018年1月19日、ベースのジェフ・コーフィーが脱退。元ドラムスのトリスと同じように家族との時間を大切にしたいということである(2018年1月22日、元ベースのジェイソン・シェフが自身のFacebookを更新し、彼に感謝のメッセージを送り、ピーター・セテラも1985年に自分に同様のことをしてくれたことを明かした)。

同日、新メンバーが発売された。ドラムスには、パーカッションとして在籍していたウォルフレッド・レイエス Jr. が務めることになり、リードボーカルには、今まで通りのベースが弾けて高音が出せるプレーヤーを選ばず、カナダのニール・ドネルが選ばれた。彼はシカゴのカバーをハイレベルで行っており、シカゴのライブにもゲストプレーヤーとして「You're the Inspiration」を歌ったことがある。ベースにはブレット・シモンズが加入し、パーカッションにはウォルフレッド・レイエスの弟であるダニエル・レイエスが参加した。

その後、一時的なメンバーだったダニエル・レイエスはツアーを離れ、2018年のツアーより、ラモーン・イスラスが加入した。

2021年11月15日、ギターのキース・ハウランドが転倒により手首を骨折し、同年12月1日、正式にバンドからの脱退を表明した。それに伴い代役はピーター・セテラの元ギタリストであるトニー・オブロータが務め、後に正式加入した。

2022年1月21日、ヴォーカル、キーボードのルー・パーディニが脱退。

2022年5月、ベースのブレット・サイモンズが脱退。後任はエリック・ベインズ。


Lou PardiniKeith HowlandBruce GaitschTris ImbodenDawayne BaileyJason ScheffBill ChamplinChris PinnickDonnie DacusLaudir de OliveiraTerry KathPeter CeteraDanny SeraphineWalter ParazaiderLee LoughnaneJames PankowRobert Lamm
Subs (By Year)
Nick Lane - trombone (since 1999)
Larry Klimas - woodwinds (since 2003)
Ray Herrmann - woodwinds (since 2005)
Tom Timko - woodwinds (2005)
Lee Thornburg - trumpet (1992 and recently)
Steve Jankowski - trumpet (1992, 2006, 2007)
Brian Hicks - trumpet (1976)
Lou Pardini - keyboards, vocals (September 2007 and Replacing Bill Champlin as of August 2009)
Drew Hester - drums (2009 January-August), percussion (2010)

ディスコグラフィ[編集]

スタジオ・アルバム[編集]

邦題 原題 最高位
(US)
[9]
1969 シカゴI (シカゴの軌跡) The Chicago Transit Authority
17
1970 シカゴII (シカゴと23の誓い) Chicago
4
1971 シカゴIII Chicago III
2
1972 シカゴV Chicago V
1
1973 シカゴVI (遥かなる亜米利加) Chicago VI
1
1974 シカゴVII (市俄古への長い道) Chicago VII
1
1975 シカゴVIII (未だ見ぬアメリカ) Chicago VIII
1
1977 シカゴX (カリブの旋風) Chicago X
3
1978 シカゴXI Chicago XI
6
1979 ホット・ストリート Hot Streets
12
1979 シカゴ13 Chicago 13
21
1980 シカゴ14 Chicago XIV
71
1982 ラヴ・ミー・トゥモロウ (シカゴ16) Chicago 16
9
1984 シカゴ17 Chicago 17
4
1986 シカゴ18 Chicago 18
35
1988 シカゴ19 Chicago 19
37
1991 シカゴ21 Twenty 1
66
1995 ナイト・アンド・デイ~ビッグ・バンド Night & Day: Big Band
90
1998 シカゴ25 ~クリスマス・アルバム~ Chicago XXV: The Christmas Album
47
2006 シカゴXXX Chicago XXX
41
2008 シカゴ32 ストーン・オブ・シシファス Chicago XXXII: Stone of Sisyphus
122
2011 Chicago XXXIII: O Christmas Three[10]
170
2013 Chicago XXXV: The Nashville Sessions[10]
2014 シカゴ36"NOW" Chicago XXXVI: Now
82
2019 Chicago XXXVII: Chicago Christmas[10]

シングル[編集]

  • Questions 67 and 68 (1969年)
  • Beginnings (1969年)
  • Make Me Smile (1970年) - ぼくらに微笑みを
  • 25 or 6 to 4 (1970年) - 長い夜
  • Does Anybody Really Know What Time It Is? (1970年) - いったい、現実を把握している者はいるだろうか?
  • Free (1971年) - 自由になりたい
  • Lowdown (1971年)
  • Beginnings (1971年)
  • Questions 67 and 68 (1971年)
  • Saturday in the Park (1972年) - サタデイ・イン・ザ・パーク
  • Dialogue (Part I & II) (1972年)
  • Feelin' Stronger Every Day (1973年) - 愛のきずな
  • Just You 'N' Me (1973年) - 君とふたりで
  • (I've Been) Searchin' So Long (1974年) - 遥かなる愛の夜明け
  • Call On Me (1974年) - 君は僕のすべて
  • Wishing You Were Here (1974年) - 渚に消えた恋
  • Harry Truman (1975年) - 拝啓、トルーマン大統領
  • Old Days (1975年) - 追憶の日々
  • Brand New Love Affair (Part I & II) (1975年) - 明日のラブ・アフェア
  • Another Rainy Day In New York City (1976年) - 雨の日のニューヨーク
  • If You Leave Me Now (1976年) - 愛ある別れ
  • You Are On My Mind (1977年) - 君のいない今
  • Baby, What A Big Surprise (1977年) - 朝もやの二人
  • Little One (1978年) - 愛しい我が子へ
  • Take Me Back To Chicago (1978年) - シカゴへ帰りたい
  • Alive Again (1978年)
  • No Tell Lover (1978年)
  • Gone Long Gone (1979年)
  • Must Have Been Crazy (1979年)
  • Street Player (1979年)
  • Song For You (1980年)
  • Thunder And Lightning (1980年)
  • Hard to Say I'm Sorry (1982年) - 素直になれなくて
  • Love Me Tomorrow (1982年)
  • What You're Missing (1983年)
  • Stay the Night (1984年)
  • Hard Habit to Break (1984年) - 忘れ得ぬ君へ
  • You're the Inspiration (1984年) - 君こそすべて
  • Along Comes a Woman (1985年) - いかした彼女
  • 25 or 6 to 4 (New Version) (1986年) - 長い夜
  • Will You Still Love Me? (1986年) - スティル・ラブ・ミー
  • If She Would Have Been Faithful... (1987年) - フェイスフル
  • Niagara Falls (1987年)
  • I Don't Wanna Live Without Your Love (1988年)
  • Look Away (1988年) - (作曲:ダイアン・ウォーレン
  • You're Not Alone (1989年)
  • We Can Last Forever (1989年)
  • What Kind Of Man Would I Be? (1989年)
  • Hearts In Trouble (1990年)
  • Chasin' the Wind (1991年)
  • Explain It to My Heart (1991年)
  • You Come To My Senses (1991年)
  • Dream a Little Dream of Me (1995年)
  • Here In My Heart (1997年)
  • The Only One (1997年)
  • All Roads Lead to You (1998年)
  • Show Me a Sign (1998年)
  • Back to You (1999年)
  • Feel (2006年)
  • Love Will Come Back (2006年)
  • Let's Take a Lifetime (2008年)
  • My Favorite Things (2011年)
  • All Over the World(2019年)
  • Sleigh Ride 2019(2019年)

映画/ラジオ番組・TV番組での楽曲使用[編集]

日本公演[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 日本では1972年にヒットした。
  2. ^ 元々は2009年9月16日 中京大学文化市民会館、19,20日 東京国際フォーラム、22日 神戸国際会館こくさいホールで公演予定だったが、ロバート・ラムの直前の怪我の為に振替となった。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o Ruhlmann, William. Chicago Biography, Songs & Albums - オールミュージック. 2021年12月28日閲覧。
  2. ^ Seraphine 2011, pp. 29–49.
  3. ^ Ruhlmann 1991, p. 1.
  4. ^ a b c Chicago Chart History (Billboard 200)”. Billboard. Billboard Media. 2021年12月28日閲覧。
  5. ^ Ruhlmann 1991, p. 3.
  6. ^ Greene, Andy (2016年4月13日). “2016年『ロックの殿堂』セレモニー総括:N.W.A.、チープ・トリック・ディープ・パープルが受賞”. Rolling Stone Japan. CCCミュージック・ラボ. 2021年12月28日閲覧。
  7. ^ BILL CHAMPLIN COMES FULL CIRCLE, LEAVING HERITAGE ROCK BAND CHICAGO TO RETURN TO HIS SOLO CAREER”. Bill Champlin Official Website (2009年8月10日). 2009年8月14日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2021年12月30日閲覧。
  8. ^ Price, Robert (2017年8月10日). Chicago feeling 50 years young. (インタビュー). New Jersey Herald.. オリジナルの10 August 2017時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170810060413/http://www.njherald.com/20170810/chicago-feeling-50-years-young 2021年12月28日閲覧。 
  9. ^ Chicago – Awards: AllMusic”. AllMusic. Rovi Corporation. 2016年7月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月7日閲覧。
  10. ^ a b c 日本国内盤未発売

参考文献[編集]

  • Ruhlmann, William James (1991年). 『Chicago Group Portrait (Box Set)』のアルバム・ノーツ [CD booklet]. New York City, NY: Columbia Records.
  • Seraphine, Danny (2011). Street Player: My Chicago Story. John Wiley & Sons, Inc.. ISBN 0-4704-1683-1 

外部リンク[編集]