ロバート・ラム
ロバート・ラム | |
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基本情報 | |
生誕 | 1944年10月13日(80歳) |
出身地 | アメリカ・ニューヨーク市 |
ジャンル | ロック、ブラス・ロック |
担当楽器 |
ボーカル キーボード ギター |
活動期間 | 1967年 - |
共同作業者 |
シカゴ ベックリー・ラム・ウィルソン |
公式サイト |
robertlammsolo |
ロバート・ラム(Robert William Lamm、1944年10月13日 - )は、アメリカのミュージシャン、キーボーディスト、シンガーソングライターである。
ブラス・ロックバンドとしてスタートしたシカゴの創立メンバーであり、キーボード、ボーカルを担当した。1975年からはソロ名義でも活動している。また、同バンドのヒット曲のかなりの部分は、ラムのペンによるものであり、2017年にはソングライターの殿堂入りを果たした。
略歴
[編集]ロバート・ラムは、ニューヨーク市のブルックリンで生まれた。彼の両親は、ジャズのレコード・コレクションを多数持っていたという。彼は子供時代に。ブルックリン・ハイツのグレース聖公会教会の少年合唱団で歌を歌った。[1]15歳の時、家族と共にシカゴに転居し高校時代はレイ・チャールズに憧れ、シカゴのルーズベルト大学で音楽の授業に参加した事をきっかけに、美術から音楽へ転向した。 ルーズベルト大学時代には大学を通じて多数のバンドに参加し、1963年には「ザ・ワンダラーズ」のメンバーとしてシングル盤を数枚録音した。
1967年、シカゴのノースサイドにあるクラブでカルテットを演奏していたところ、パラゼイダー、セラフィンらによってスカウトされ、それがきっかけとなり同年2月15日、デ・ポール大学の学生が中心となり、ウォルター・パラゼイダー、テリー・キャス、ダニー・セラフィン、リー・ロックネイン、ジェームズ・パンコウらと共にシカゴの前身となる「ビッグ・シング」を結成。翌年の1968年、「シカゴ・トランジット・オーソリティ」とバンド名を改め、そのさらに翌年である1969年にアルバム「シカゴの軌跡」でデビュー。同アルバム内では「いったい現実を把握している者はいるだろうか?」や「ビギニング」などを作曲し、これらがラムの初出作となった。シカゴには他に「クエスチョンズ67&68」「ぼくらに微笑みを」などの代表曲がある。
1970年代に入ってからも、シカゴのメンバーとして「長い夜」「サタデイ・イン・ザ・パーク」「ダイアログ」「俺たちのアメリカ」「愛の絆」「君と二人で」「拝啓トルーマン大統領」「オールド・デイズ」などの代表曲を生み出し、1974年にはソロアルバムである「華麗なるロバート」を発表。だが、シカゴは1974年ごろから音楽性を変更し、それまでのブラス・ロック・サウンドから、アダルト・コンテンポラリーのグループへと変身してしまった。また、テリー・キャスが銃の暴発事故で亡くなったことは、シカゴにとって大きな打撃となった。1982年には、シカゴは「素直になれなくて」のカムバック・ヒットを放っている。1980年代以降ライターとしては一線から退くものの、バンド内では従来のヒット曲をキーを変更せずに歌い続け、2004年にはソロとしても大規模なコンサートを開催した。2016年にはシカゴとしてロックの殿堂入り、翌年2017年にはメンバーのパンコウ、元メンバーのピーター・セテラと共にソングライターの殿堂入りを果たした。
彼は、ショルダーキーボード(keytar)を操るミュージシャンの一人である。
ディスコグラフィ
[編集]スタジオ・アルバム
[編集]- 『華麗なるロバート』 - Skinny Boy (1974年)
- 『マイ・ネイバーフッド』 - Life is Good in My Neighborhood (1993年)
- In My Head (1999年)
- Subtlety & Passion (2003年)
- Too Many Voices (2004年) ※「In My Head」の改題再発盤。
- The Bossa Project (2008年)
- Living Proof (2012年)
コンピレーション・アルバム
[編集]- Time Chill : A Retrospective (2017年)
シングル
[編集]- "Where You Think You're Going?" (1972年)
- "Oh Little Town of Bethlehem" (1991年)
ライヴ・アルバム
[編集]- Leap of Faith : Robert Lamm Live in New Zealand (2005年)
脚注
[編集]- ^ Iwasaki, Scott. “Chicago brings 29-year musical journal to Utah”. Deseret News 7 August 2024閲覧。