オーバーン (ニューヨーク州)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
オーバーン
Auburn, New York
—    —
記念市役所(2012年撮影)
愛称:歴史の故郷
オーバーンの位置(ニューヨーク州内)
オーバーン
オーバーン
ニューヨーク州内でのオーバーンの所在地
座標: 北緯42度56分 西経76度34分 / 北緯42.933度 西経76.567度 / 42.933; -76.567
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニューヨーク州の旗 ニューヨーク州
カユガ郡
法人化 1815年(ビレッジ)
1848年(市)
行政
 - 種別 市政委員会・マネジャー方式
 - 市長 マイケル・D・クィル・シニア(民主党)
 - 市マネジャー ダグラス・A・セルビー
面積
 - 計 8.4mi2 (21.8km2)
 - 陸地 8.3mi2 (21.6km2)
 - 水面 0.1mi2 (0.2km2)
標高 686ft (209m)
人口 (2010年)
 - 計 27,687人
等時帯 東部標準時 (UTC-5)
 - 夏時間 東部夏時間 (UTC-4)
郵便番号 13021, 13022, 13024
市外局番 315
FIPS code 36-03078
GNIS feature ID 0942692
ウェブサイト www.auburnny.gov

オーバーン: Auburn)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州の中央部西寄り、カユガ郡にある都市であり、同郡の郡庁所在地である[1]フィンガー湖群の1つ、オウワースコウ湖の北端に位置している。2010年国勢調査での人口は27,687人だった[2]。市内に最高警備度のオーバーン矯正施設がある。アメリカ合衆国国務長官を務めたウィリアム・スワード奴隷制度廃止運動家ハリエット・タブマンの家がある。スワードの家はハウス博物館になっている。

歴史[編集]

「ニューヨーク州オーバーン」1909年制作、ウィリアム・ブルース(1861年-1911年)画
オーバーン工場、1907年
ステート通り、1910年

オーバーン周辺の地域は、ヨーロッパ人が接触し、記録が残される以前の長い間、イロコイ族の領土だった。

オーバーンの町は、アメリカ独立戦争の後でニューヨーク州西部が開拓された時代である1793年に設立された。設立者のジョン・L・ハーデンバーグは、独立戦争の間にイロコイ族に対抗したサリバン・クリントン遠征に従軍したベテランだった。ハーデンバーグはオウワースコウ川の傍に、幼い娘と2人のアフリカ系アメリカ人奴隷、ハリー・フリーマンとケイト・フリーマンと共に入植した。1806年に死んだ後、オーバーンのノース通り墓地に埋葬され、その後の1852年に市が新しく開いた埋葬地であるフォートヒル墓地に最初に埋葬される者として移葬された。町はハーデンバーグの製粉所と製材所の周りに成長した[3]

当初はオーレリアスの町のハーデンバーグズコーナーと呼ばれていたこの開拓地が、1805年に郡庁所在地となった時にオーバーンと改名された[4]。1815年に法人化された村となり、1848年に市として認証された。1825年に開通したエリー運河からほんの数マイルの距離にあったので、土地の工場は安価に製品んを南北に運ぶことができた。1871年、リーハイ・バレー鉄道が資金を出したサザン・セントラル鉄道が完成し、ペンシルベニア州アセンズの石炭を、オーバーンを通ってオンタリオ湖のフェアヘイブンの桟橋まで運んだ[5]

1818年から1939年、オーバーンにはアメリカ合衆国でも著名な神学校であるオーバーン神学校があった。1939年、世界恐慌の結果として財政的な問題に直面し、ニューヨーク市のユニオン神学校のキャンパスに移転した。当時の建物で唯一オーバーンに残っているのはウィラード記念礼拝堂と、ネルソン通りにあるウェルチ記念ホールである。このホールはロチェスターのアンドリュー・ジャクソン・ワーナーが設計し、ルイス・カムフォート・ティファニーがステンドグラス窓と内部装飾を設計した。ティファニーによる礼拝堂内部装飾として、今日まで完全なまま改変されずに残っている唯一のものである。

1816年、オーバーン刑務所(オーバーン矯正施設)が、当時オーバーン・システムと呼ばれた囚人を扱うためのアイディアを詰めたモデルとして設立された。その施設や囚人を訪問者が見る時は料金を取られた。1890年8月6日、電気椅子による最初の処刑がオーバーン刑務所で行われた。1901年、ウィリアム・マッキンリー大統領を暗殺した犯人レオン・チョルゴッシュがここで処刑された。オーバーン・システムのアイディアは捨てられたが、刑務所は最高警備度の施設として運用が続けられ、大陸アメリカ合衆国でも最大級に厳しい刑務所となっている。

地理[編集]

オーバーンはフィンガー湖群の1つ、オウワースコウ湖の北端にあり、オウワースコウ湖を出た水はオウワースコウ・アウトレット、別名オウワースコウ川となって市内の北を抜け、セネカ川に至る。市が所有し運用するダムが湖からの流出量を制御しており、飲料やレクリエーション用に使われている。市の汚水処理場から出る廃水を扱うために川の水量を十分に保つことが求められている[6]

アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、市域全面積は8.4平方マイル (21.8 km2)であり、このうち陸地8.3平方マイル (21.6 km2)、水域は0.08平方マイル (0.2 km2)で水域率は0.89%である[7]

アメリカ国道20号線が市内を東西方向に抜ける幹線道であり、州道34号線と同38号線は南北方向に走り、20号線と市内で交差している。20号線で西に15マイル (24 km) 行けばセネカフォールズ町、州道5号線に北東に26マイル (42 km) 行けばシラキュース市がある。

気候[編集]

オーバーンの気候は季節によって温度差が大きく、夏は暖かいから暑く、湿気ることが多い。冬は寒く、厳しい寒さになることもある。ケッペンの気候区分に拠れば、湿潤大陸性気候、略号は "Dfb" である[8]


オーバーン矯正施設

人口動態[編集]

人口推移
人口 ±%
1800 —    
1810 —    
1820 —    
1830 —    
1840 5,626 —    
1850 9,548 +69.7%
1860 10,986 +15.1%
1870 17,225 +56.8%
1880 21,924 +27.3%
1890 25,858 +17.9%
1900 30,345 +17.4%
1910 34,668 +14.2%
1920 36,192 +4.4%
1930 36,652 +1.3%
1940 35,753 −2.5%
1950 36,722 +2.7%
1960 35,249 −4.0%
1970 34,319 −2.6%
1980 32,548 −5.2%
1990 31,258 −4.0%
2000 28,574 −8.6%
2010 27,687 −3.1%
sources:[11]

以下は2000年国勢調査による人口統計データである[12]

基礎データ

  • 人口: 28,574 人
  • 世帯数: 11,411 世帯
  • 家族数: 6,538 家族
  • 人口密度: 1,315.0人/km2(3,405.3 人/mi2
  • 住居数: 12,637 軒
  • 住居密度: 581.5軒/km2(1,506.0 軒/mi2

人種別人口構成

地域の他の町と同様イタリア系アメリカ人が多く、特に東ドミニク通りの近くにあるリトル・イタリーに集中している[13]

年齢別人口構成

  • 18歳未満: 22.8%
  • 18-24歳: 9.3%
  • 25-44歳: 30.3%
  • 45-64歳: 19.8%
  • 65歳以上: 17.8%
  • 年齢の中央値: 37歳
  • 性比(女性100人あたり男性の人口)
    • 総人口: 99.0
    • 18歳以上: 97.8

世帯と家族(対世帯数)

  • 18歳未満の子供がいる: 28.1%
  • 結婚・同居している夫婦: 37.3%
  • 未婚・離婚・死別女性が世帯主: 14.7%
  • 非家族世帯: 42.7%
  • 単身世帯: 36.3%
  • 65歳以上の老人1人暮らし: 16.6%
  • 平均構成人数
    • 世帯: 2.27人
    • 家族: 2.98人

収入[編集]

収入と家計

  • 収入の中央値
    • 世帯: 30,281米ドル
    • 家族: 41,169米ドル
    • 性別
      • 男性: 32,349米ドル
      • 女性: 23,330米ドル
  • 人口1人あたり収入: 17,083米ドル
  • 貧困線以下
    • 対人口: 16.5%
    • 対家族数: 12.5%
    • 18歳未満: 23.9%
    • 65歳以上: 10.2%

教育[編集]

オーバーン拡大市教育学区はオーバーン市の公立教育体系である。現在は幼稚園アkら12年生を教える8つの学校がある。ウェスト中学校は経費節減のために2011年夏に閉鎖され、生徒はイースト中学校と合流した。

オーバーンで唯一のカレッジは2年制のカユガ・コミュニティカレッジである。市内フランクリン通り沿いにある。

スポーツ[編集]

オーバーン・ダブルデイズの野球試合、2012年

プロ野球[編集]

オーバーンはプロ野球と長い付き合いがある。

ナショナル・アソシエーション[編集]

1901年、オーバーンは、現在単純にマイナーリーグと呼ばれるプロ野球リーグ・ナショナル・アソシエーションの本部になった。協会の財務官を長年務めたジョン・H・ファレルは地元の住人であり、彼が務めている間は協会の本部があり続けた。現在はフロリダ州セントピーターズバーグに本部が移されている。

オーバーン・コミュニティ・ベースボール[編集]

オーバーン市が所有するオーバーン・コミュニティ・ベースボールは、1958年からクラスA、ショートシーズンのニューヨーク・ペンリーグに属するオーバーン・ダブルデイズとその前身であるオーバーンのチームの親組織である。ホームゲームはレオ・ピンクニー・フィールド・アット・ファルコンパークで行う。ワシントン・ナショナルズの傘下である。

グレート・レース[編集]

1978年から毎年8月の第2日曜日に、ラン、自転車、カヌー(またはカヤック)を組み合わせた3人ないし4人のリレーによる「グレート・レース」を開催している。オーバーン南郊外のオウワースコウ湖が出発とゴールになる。毎年平均2,000人から2,500人が参加しており、国内でも最大級のリレー競走会となっている[14]

メディア[編集]

オーバーンで発行されている日刊紙は「ザ・シティズン」であり、1816年に発刊され、以前は「ザ・デイリー・アドバタイザー」や「ザ・シティズン・アドバタイザー」という名称だった。オーバーン市とカユガ郡で購読され、またニューヨーク州中央部に配布されている。朝刊は毎日発行され、発行部数は1万部、日曜版は12,000部である。リー・エンタープライズが所有している。

著名な出身者[編集]

ウィリアム・スワード
ウィリアム・スワード邸、2012年撮影
ハリエット・タブマン
ハリエット・タブマン邸、2007年撮影

オーバーン出身者の中でも、アメリカ合衆国国務長官を務めたウィリアム・スワード奴隷制度廃止運動家ハリエット・タブマンが著名な人物である。

スワードはニューヨーク州上院議員、ニューヨーク州知事アメリカ合衆国上院議員を務めた後、アメリカ合衆国大統領候補となり、選挙で敗れた後は、エイブラハム・リンカーン大統領とアンドリュー・ジョンソン大統領政権の国務長官になった。その間の1867年にはロシアからアラスカ購入を交渉し、そのことで「スワードの愚行」と呼ばれるようになった。1823年からその死の1872年まで、オーバーンに住んだ。奴隷制度に反対していた。1859年、奴隷制度廃止運動家のタブマンに土地の区画を売却し、タブマンはそこを北部でより良い生活を求めるアフリカ系アメリカ人の家族や友人達の安全な退避場を創設するために使った[15]

スワード邸は現在歴史博物館となっており、タブマン邸共々アメリカ合衆国国家歴史登録財に指定されている。

事業家、発明家[編集]

政治家[編集]

軍人[編集]

スポーツの選手、文化人[編集]

その他[編集]

歴史的に興味ある場所[編集]

オーバーンにある多くの場所がアメリカ合衆国国家歴史登録財に指定されている。例えばオーバーン・ボタン工場とローガン・シルク工場、ベルト・ガスキン邸、ケース記念・シーモア図書館、カユガ郡庁舎と事務官事務所、ハリエット・タブマンの高齢者の家、ウィリアム・アンド・メアリー・ホスマー邸、セントピーターズ・エピスコパル教会複合施設、サンドビーチ教会、シャインズ・オーバーン劇場、トンプソンAMEザイオン教会、ハリエット・タブマン墓、ハリエット・タブマン邸、旧郵便局と裁判所、ウォール通りメソジスト・エピスコパル教会、シルベスター・ウィラード邸宅がある。ウィリアム・スワード邸とウィラード記念礼拝堂・ウェルチ記念ホールはアメリカ合衆国国定歴史建造物であり、サウス通り地域歴史地区は国定歴史地区である[16]

脚注[編集]

  1. ^ Find a County”. National Association of Counties. 2011年6月7日閲覧。
  2. ^ Profile of General Population and Housing Characteristics: 2010 Demographic Profile Data (DP-1): Auburn city, New York”. U.S. Census Bureau, American Factfinder. 2012年3月15日閲覧。
  3. ^ Historical & Cultural Auburn, New York
  4. ^ The name Auburn resonated with the opening lines of Oliver Goldsmith's then-familiar poem "The Deserted Village" (1770): "Sweet Auburn, loveliest village of the plain, Where health and plenty cheered the labouring swain."
  5. ^ Lehigh Valley Railroad Historical Society
  6. ^ "Oasco Lake, Central New York" on FindLakes.com
  7. ^ Geographic Identifiers: 2010 Demographic Profile Data (G001): Auburn city, New York”. U.S. Census Bureau, American Factfinder. 2014年11月12日閲覧。
  8. ^ Climate Summary for Auburn, New York
  9. ^ Climatology of the United States No. 20: AUBURN, NY 1971–2000”. National Oceanic and Atmospheric Administration. 2011年11月閲覧。
  10. ^ Monthly Averages for Auburn, NY (13021)”. The Weather Channel. 2011年11月閲覧。
  11. ^ Campbell Gibson. “Population of the 100 largest cities and other urban places in the United States: 1790 to 1990”. United States Bureau of the Census. 2015年5月1日閲覧。
  12. ^ American FactFinder”. United States Census Bureau. 2008年1月31日閲覧。
  13. ^ LITTLE ITALY MAIN STREET COMMERCIAL DRAFT” (2010年12月2日). 2014年12月6日閲覧。
  14. ^ The Great Race website
  15. ^ Larson, Kate Clifford (2004). Bound for the Promised Land: Harriet Tubman, Portrait of an American Hero. New York: Ballantine Books. ISBN 0-345-45627-0. p.16
  16. ^ National Park Service (2009-03-13). "National Register Information System". National Register of Historic Places. National Park Service. 

外部リンク[編集]