ハリエット・タブマン

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晩年のハリエット・タブマン(1911年)
(南から北へ)タブマンの生地と逃亡先、永住の地。五大湖沿岸の町へは両親を脱出させた。

ハリエット・タブマンHarriet Tubman1820年または1821年 - 1913年3月10日)は、アメリカ合衆国メリーランド州ドーチェスター郡出身の奴隷、後に奴隷解放運動家、女性解放運動家。

概要[編集]

タブマンは特に、黒人奴隷をひそかに逃がした地下鉄道[注釈 1]の女性指導者のひとりとして知られる[1]。その功績から尊敬をこめて、「女モーセ」「黒人のモーセ」(Black Moses) とも呼ばれた[2]古代エジプトで奴隷となっていたイスラエル人カナンの地へ導いた、古代の預言者モーセになぞらえてのことである。

2020年に発行される20ドル札で、アフリカ系アメリカ人として初めてアメリカドル紙幣にデザインされる事が決まった[3]

来歴[編集]

出生[編集]

メリーランド州で、黒人奴隷である両親から生まれた[注釈 2]。生まれたときの名はアラミンタ・ロス、通称ミンティ。ハリエットは母親の死後、その名から取って名乗ったもの。5歳からメイド兼子守りとして働きはじめた。1844年ごろ、同じく奴隷であるジョン・タブマンと結婚した。長年の奴隷生活に堪え、奴隷監督からの殴打などを含む虐待に耐えたが、頭部に受けた殴打は後遺症を残し、生涯ナルコレプシーてんかんに悩まされることになる。

懸賞金公告。ハリエット・タブマンと弟の逮捕者に金を出すという。
逃亡奴隷の懸賞金ポスター。Minty (ハリエットのこと) と弟の名前がある。

奴隷解放運動から南北戦争への従軍[編集]

1830年から1865年のアメリカにあった、黒人奴隷を逃がすネットワーク。1850年に奴隷逃亡を助けることが非合法になっても、隠れ家を提供する人々と奴隷を引率する人々が国内の自由州や国外カナダへ脱出させた。
1830年から1865年の期間にアメリカで機能した「地下鉄道」の経路図。実際の列車が走る鉄路ではなく、黒人奴隷を自由州やカナダに逃がす秘密の脱出ルート。食料や衣料品の提供者や、安全な隠れ家を結ぶネットワークが築かれ、「車掌」と呼ばれた引率者が逃亡奴隷を連れて立ち寄った。

1847年、奴隷主が死に、奴隷は売り払われると聞いたことをきっかけに、脱出を渋る夫を残して北部のフィラデルフィアへ逃亡した。その途上、奴隷解放運動主義者で非合法組織である地下鉄道を支援していたクェーカー教徒に助けられる。

フィラデルフィアではレビ・コフィン(インディアナ州[注釈 3]やトーマス・ギャレット (ペンシルベニア州) [注釈 4]フレデリック・ダグラスジョン・ブラウンらの奴隷解放運動家と交流を持つ。やがて脱走奴隷を助けることを違法化する「逃亡奴隷法」(en) が1850年に成立する。タブマンは、奴隷を自由にする活動をしている人々の組織である「地下鉄道(Underground Railroad)」に加わる決心をすると、地下鉄道の「車掌」としてその運行をはじめた[8]。やがてタブマンの受け持ち路線は当時のアメリカの北の国境へと伸びていく。

後述の自叙伝によれば、1850年から1860年の間に約19回の南部との往復を繰り返したといい、自分の両親を含む300人余りの奴隷の「乗客」のだれも捕まることなく[9]自由に導いたとされる[10]。ハリエット・タブマン自身も一度も捕まらず、「車掌」として成功をおさめ、その活動のリーダー的な存在になったという。そのためタブマンに掛けられた賞金額は合計4万ドルを超えたとされる。しかしケイト・ラーソン (en) の研究によれば、実際に助けたのは13回の往復で70-80人ほどであり、掛けられた賞金も50-100ドル程度という説もある[1]

1861年に勃発した南北戦争中は料理人および看護婦として働くとともに、北軍のためのスパイ、武装した斥候をも務めた[8]。1863年夏、タブマンはサウスカロライナ州で解放奴隷に読み書きを教えていたとき、北軍が近くの川の渡し場(Combahee Ferry)を襲撃すると聞いて作戦に加わると、アメリカ史上初の女性指揮官として兵士を動かし、避難した南軍側の地主が置いていった奴隷750人近くを船に載せて北軍領地に移送する[11][12]。このときを含め、軍務においても、タブマンは一度も捕えられることはなかった。

南北戦争後[編集]

タブマン夫妻(左の帽子の人物2人)と救出された奴隷。(撮影地はオーバーンのタブマン家と推定。ニューヨークタイムズ、1887年頃[注釈 5]。)

南北戦争が終わり、南部での奴隷解放の後も、黒人と女性の権利のために活動家として講演旅行に出かけるなど活躍した。伝記筆者セーラ・ブラッドフォードの協力を得て、1869年に自叙伝『ハリエット・タブマンの生涯の情景』[15][16]を出版した。これはタブマンの経済的困難[注釈 6]を著しく改善したが、先述のように歴史資料としては誇張や美化も多いとされる。同年、黒人の退役軍人ネルソン・デービスと再婚した。

ジョン・ブラウンはタブマンを「タブマン将軍」と呼び、「この大陸でもっとも勇敢な人物」と評した。フレデリック・ダグラスもまた、「ジョン・ブラウンを除けば、奴隷の逃亡を助けるため、タブマン以上に危険で困難な仕事をした人物を挙げることは出来ない」と述べている[17]

高齢になると、ニューヨーク州オーバーンにかねて買っておいた家に拠点を構える。かつて南部から脱出に成功した両親が1859年頃に住んだ家である。合衆国陸軍から少額の恩給が受られるようになり、1908年、この街に施設を建てて身寄りのない元奴隷を住まわせ、その家で働きながら戦死した黒人兵の遺族への支援を続けた[8]。最晩年には自らもそこに身を寄せて、1913年肺炎で死去。93歳であった。臨終の際には、仲間や助けられた人々、支援者が集まり「スイング・ロウ・スウィート・チャリオット」を歌ったとされる[18][19]

ドル紙幣への採用[編集]

2020年に行われる予定の新20ドル札で、タブマンを表面にデザインし、それまで表面に採用されていたアンドリュー・ジャクソンを裏面に移すと発表された。アメリカドル紙幣にアフリカ系アメリカ人がデザインされるのは初となる。

当初は2020年に発行される新10ドル札で女性がデザインされ、新20ドル札は2030年発行予定だった。しかし、「女性に参政権が与えられてから100年の節目となる2020年に20ドル札の変更を」という草の根運動により、10ドル札の変更は見送られ、新20ドル札が繰り上げて発行されることに決まった[3]

参考文献[編集]

発行年順
  • Bradford, Sarah Hopkins (1971). Scenes in the Life of Harriet Tubman. Freeport: Books for Libraries Press. ISBN 0-8369-8782-9. 
  • Humez, Jean (2003). Harriet Tubman: The Life and Life Stories. Madison: University of Wisconsin Press. ISBN 978-0-299-19120-7. 
  • Clinton, Catherine (2004). Harriet Tubman: The Road to Freedom. New York: Little, Brown and Company. ISBN 0-316-14492-4. 
  • Larson, Kate Clifford (2004). Bound For the Promised Land: Harriet Tubman, Portrait of an American Hero. New York: Ballantine Books. ISBN 978-0-345-45627-4. 
  • 東理夫『アメリカは歌う。―歌に秘められた、アメリカの謎』作品社、2010年2月25日。ISBN 978-4-86182-275-9
  • 「§5 奴隷制度の鎖を断ち切る : ハリエット・タブマン」『女性実力者の系譜アメリカ国務省、2015年、11-13頁。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ アンダーグラウンド・レールロード。アメリカ北部やカナダへ黒人奴隷が逃亡するのを援助する秘密結社のこと。
  2. ^ 戸籍制度や出生届のない奴隷は生年の記録がない人がほとんどで、タブマンも何年の生まれか諸説あり、ケイト・ラーソンは逃亡奴隷として懸賞金をかけられた時の公告や産婆への支払いその他の歴史資料から1822年生まれ説[4]を、ジーン・ヒュームズは1820年が妥当だが1、2年遅い可能性もあるとしている[5]。キャサリン・クリントンは1825年生まれを説き、タブマンの出生証明には1815年と記され墓碑には1820年生まれとある点を指摘した[6]
  3. ^ レビ・コフィン (en) は1830年代からインディアナ州で商売を広げたクェーカー教徒で、取引のつながりを活用し地域の地下鉄道(英語)を支えた中心人物。
  4. ^ トーマス・ギャレット (en) はペンシルベニア州デラウェア郡の裕福な地主の生まれで熱心なクェーカー教徒。父の代に不法組織にさらわれた自由奴隷を奪い返した経験から、兄弟ともども奴隷解放運動に心を寄せ、自身は特に地下鉄道に深く関与。父の代の地所はほぼアーリントン国立墓地全域を占めたといい、地下鉄道を指揮した当時の邸宅がフィラデルフィア市西郊のアッパーダービーに現存する[7]
  5. ^ ニューヨークタイムズ紙の集合写真に映る左端3人はタブマン一家である。向かって左端のハリエット、その隣が養女ガーティー・デイビス (ワトソン)、杖を握る夫ネルソン・デイビスは第8連隊の退役軍人であった[13]。ついで隣人の子リー・チェイニー、タブマン家の下宿人ジョン・アレグザンダー〈パパ〉、隣人の子ウォルター・グリーン、下宿人サラ・パーカー〈おばさん〉、弟ロバート・ロスの孫娘ドーラ・スチュワート(スチュワートは弟の偽名)。ドーラ・スチュワートの肖像はこの写真のカット違いを加工した例が多い[14]
  6. ^ スパイとしての軍務にも関わらず、政府は南北戦争後30年を経過するまでタブマンの恩給支給を拒否した[8]

出典[編集]

  1. ^ a b Larson 2004, p. xvii.
  2. ^ 『ハリエットの道』| キャロル・ボストン・ウェザフォード, カディール・ネルソン, さくま ゆみこ” (日本語). (全ページ読める)みんなの声・通販. 絵本ナビ. 2019年7月27日閲覧。
  3. ^ a b 米紙幣に初の黒人 元奴隷女性のH・タブマン、新20ドル札に”. AFP BB NEWS. 2016年4月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年4月21日閲覧。
  4. ^ Larson 2004, p. 16.
  5. ^ Humez 2003, p. 12.
  6. ^ Clinton, p. 4.
  7. ^ Member Details »Thomas Garrett House” (英語). NETWORK TO FREEDOM. アメリカ国務省 (2010年11月17日). 2019年7月26日閲覧。
  8. ^ a b c d 国務省 2015, pp. 11-13.
  9. ^ Clinton 2004, p. 192 (引用).
  10. ^ 女性実力者の系譜-奴隷制度の鎖を断ち切る「ハリエット・タブマン」”. About THE USA|アメリカンセンターJAPAN. 2019年7月27日閲覧。
  11. ^ Larson, Kate Clifford (2004年6月25日). “Harriet Tubman's Civil War Campaign (引用元はBound For The Promised Land: Harriet Tubman–Portrait Of An American Hero”. W.E.B. DuBois Learning Center. 2016年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月26日閲覧。
  12. ^ Larson 2004, pp. 212-214.
  13. ^ Humez 2003, p. 86.
  14. ^ Larson 2004.
  15. ^ Scenes in the Life of Harriet Tubman (1869年発行の自叙伝の英語版全文と挿し絵、参考資料)” (英語). ノースカロライナ大学チャペルヒル校. 2019年7月26日閲覧。
  16. ^ ブラッドフォード 1869.
  17. ^ Humez 2003, pp. 306-307.
  18. ^ Raph 1964.
  19. ^ 東理夫 2010, p. 185.

関連文献[編集]

発行年順
  • Weatherford, Carole Boston ; Kadir Nelson, “Moses : when Harriet Tubman led her people to freedom”, New York : Jump at the Sun/Hyperion Books for Children, 2006. さくまゆみこ訳書の原書。
  • キャロル・ボストン・ウェザフォード (文)、カディール・ネルソン (絵)、さくまゆみこ (訳)『ハリエットの道』日本キリスト教団出版局、2014年。NCID BB15739501。(原題:MOSES : When Harriet Tubman led her people to freedom — コルデコット賞銀賞、コレッタ・スコット・キング賞 画家部門の受賞作)

研究書、論文[編集]

著作者の姓の50音順
  • 岩本裕子「2016年夏におけるアメリカ黒人女性の諸相 : ハリエット・タブマンから「カラー・パープル」まで」『浦和論叢』第56号、31-66頁、2017年2月。
  • Conrad, Earl (1943). Harriet Tubman. Washington DC: Associated Publishers. OCLC 08991147. 
  • コンラッド、アール「ハリエット・タブマンの半生-上-」山田拓男 (訳)、『部落』第12巻第4号、34-44頁。1960年4月。ISSN 0287-7740
  • コンラッド、アール「ハリエット・タブマンの半生-中-」山田拓男 (訳)、『部落』第12巻第5号、54-61頁。1960年5月。
  • コンラッド、アール「ハリエット・タブマンの半生-下-」山田拓男 (訳)、『部落』第12巻第6号、34-43頁。1960年6月。
  • 佐藤晴雄「モーセと呼ばれた「男」--ハリエット・タブマンの少女時代」『武蔵野英米文学』第39巻、29-43頁。2006年。ISSN 0388-6662
  • 栩木玲子「ハリエット・タブマン (1820?-1913) : 黒人たちのモーセ」「国境を越えるヒューマニズム」鈴木靖 (編著)、法政大学国際文化学部 (編)、『国際社会人叢』第1巻、2013年3月。 NCID BB12142590
  • 皆河宗一 (編訳)「ハリエット・タブマン」『アメリカ黒人の民話』、東京:未来社〈世界の民話〉第6巻、203-218頁。1960年。doi:10.11501/9543702
  • 宮津多美子、黛道子、中村安子「アメリカン・デモクラシーの実現を目指して--19世紀改革期のパイオニア女性」『医療看護研究』第7巻第1号、21-34頁。2011年3月。
  • ヨスト、エドナ「§7奴隷解放の勇者—黒人女性 ハリエット・タブマン(1820-1913)」『輝く女性たち』 浅田孝二 (訳)、東京:新紀元社〈パイオニア物語〉 、93-107頁。1964年。doi:10.11501/2983462
  • Raph, Theodore (1964). The American Song Treasury: 100 Favorites. Courier Corp.. ISBN 978-0486252223.  臨終の場で合唱した歌のエピソード

音楽その他[編集]

  • スティーリン・ホーシズ「(4) ハリエット・タブマン」『スティーリン・ホーシズ』、東京:BMGファンハウス〈アリスタ〉、1988年9月。録音ディスク 1枚 : CD ; 12cm。
  • ケイト・テイラー「(3) ハリエット・タブマン」『ケイト・テイラー』、東京:ソニーレコード〈ソニーSRCS-645〉、1995年3月。録音ディスク 1枚 : CD ; 12cm。

関連項目[編集]

  • Harriet Tubman National Historical Park (en) ハリエット・タブマン国立歴史公園
  • Harriet Tubman Underground Railroad National Historical Park (en) ハリエット・タブマン地下鉄道国立歴史公園
  • Harriet Tubman Day (en) ハリエット・タブマンの日。3月10日をあてるとメリーランド州とニューヨーク州で法制化された。
  • Harriet Tubman Press (enロヨラ・メリーマウント大学内のアフリカ系アメリカ文学の出版社。
  • オペラ Harriet, the Woman Called Moses (en) 1985年初演。スコットランド生まれの作曲家テア・マスグレーブ (en) 制作。

外部リンク[編集]

資料集
H・タブマン伝記
記念館、記念の施設