アレッサンドラ・ムッソリーニ

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アレッサンドラ・ムッソリーニ
Alessandra Mussolini
Alessandra Mussolini datisenato 2013.jpg
上院議員時代の肖像写真(2013年)
生年月日 (1962-12-30) 1962年12月30日(57歳)
出生地 イタリアの旗 イタリア ラツィオ州ローマ
出身校 ローマ・ラ・サピエンツァ大学
前職 医師女優歌手モデル
所属政党イタリア社会運動→)
国民同盟 (イタリア)→)
社会行動→)
自由の人民 (イタリア)→)
フォルツァ・イタリア→)
無所属
配偶者 マウロ・フロリアーニ
親族 ベニート・ムッソリーニ(祖父)
ロマーノ・ムッソリーニ(父)
ソフィア・ローレン(伯母)

当選回数 5回
在任期間 1992年6月28日 - 2004年7月19日
2008年4月29日 - 2014年6月30日

当選回数 1回
在任期間 2013年3月8日 - 2014年6月30日

当選回数 2回
在任期間 2004年7月20日 - 2008年4月28日
2014年7月1日 - 2019年7月2日
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アレッサンドラ・ムッソリーニAlessandra Mussolini1962年12月30日 - )は、イタリア医師女優政治家

第27代イタリア王国首相ベニート・ムッソリーニの孫娘であり、女優ソフィア・ローレンの姪にあたる。ネオファシストの政治家として下院議員(5期)、上院議員(1期)、欧州議会議員(2期)を歴任した。

概要[編集]

生い立ち[編集]

1962年12月30日イタリアラツィオ州ローマに音楽家ロマーノ・ムッソリーニとアンナ・マリア・シッコローネの長女として生まれる。父ロマーノは名が示す通り、王政期のイタリアで独裁体制を築いた国家ファシスト党(PNF)のベニート・ムッソリーニ首相とその後妻ラケーレ・グイーディの三男(前妻イーダ・ダルセルとの子を含めれば四男)であったが、政治とは距離を取ってピアニストとして生計を立てていた。そのため、第二次世界大戦前後の騒乱に巻き込まれず、共和制に移行した戦後イタリアで静かな日々を送っていた。

芸能活動と学業[編集]

一方、母アンナもアカデミー賞女優として知られるソフィア・ローレンの実妹であり、むしろ当初はこちらの血縁の方が彼女の人生に強い影響を与えた。1970年代からソフィアの元で養育を受け、アカデミー賞及びゴールデングローブ賞の外国映画部門にノミネートされた『特別な一日』で映画デビューを果たし、主演を務める伯母と共演した。以後、「大女優の姪」として女優の他にモデル・歌手など様々な活動を展開した。

歌手業では1982年に日本アルファレコードから日本語歌詞のポップスを多数収録したアルバムを限定リリース、日本のみの展開ということもあって欧米諸国で話題を集めた[1]。モデル業では肉感的な体を武器にしていた叔母ソフィアに倣ってグラマー写真を中心に活動[2]、イタリア版及びドイツ版『PLAYBOY』ではヌード撮影にも挑んでいる[3][4]

精力的な芸能活動の傍ら、学業ではアメリカンスクールを経てローマ・ラ・サピエンツァ大学医学部に入校して医師免許取を取得、1986年に修士課程も修了している。1989年、税関吏マウロ・フロリアーニと結婚、翌年にイスラエル映画『הדרך לעין חרוד』(Ha-Derech L'Ein Harod)を最後に芸能界からは引退した。引退後は医師活動と家庭生活に専念して、外科医として勤務しつつカテリーナ、クラリッサ、ロマーノの一男二女を育てた。その際、子供たちが母方の姓も名乗れるようにするための複雑な法的手続きを行っている。

政界進出[編集]

1992年、共和ファシスト党(PFR)の後継政党であるイタリア社会運動(MSI)からムッソリーニの孫娘として下院選挙のナポリ選挙区に擁立され、新人候補ながら初当選を勝ち取って下院議員となった。1993年11月、今度はナポリ市長選挙に出馬。決選投票まで駒を進めているが、イタリア民主党アントニオ・バッソリーノ英語版候補に敗れた。1994年、カンパニア州第1選挙区から出馬して下院議員に再選された。

1990年代から2000年代にかけて行われたジャンフランコ・フィーニ書記長による穏健化改革が進み、イタリア社会運動国民同盟 (イタリア)に再編され、2001年には悲願であった政権参加が達成される。1996年、国民同盟の候補としてカンパニア州第1選挙区で下院議員に三選したが、党内ではファシズム運動の穏健化を進めるフィーニとは政治的対立が生じるようになった。2001年、カンパニア州第1選挙区で当選して下院議員の4期目を迎えたが、任期中の2003年にイスラエルでフィーニがファシスト政権時代の行為について「まったくの悪 (the absolute evil) 」と謝罪したことに激怒し[5]、国民同盟から離党した。

離党後は個人政党として「行動の自由」を結党し、後に「社会行動」(AS)に改名した。2004年、下院から欧州議会への鞍替え出馬を行うべくロベルト・フィオレなど他のネオファシストと連携して政治会派「社会的選択 (Alternativa Sociale) 」を結成、中部イタリア選挙区で当選して欧州議会議員となった。離党の原因となったイスラエルやユダヤ教徒との友好については賛意を示している他[6]、社会行動自体も同性婚の容認など幾分進歩的な政策を標榜するなど、自身も穏健派のファシストとして行動した[7][8][9][10][11][12][13][14]。「社会行動」や「社会的選択」は地方選でも一定の勝利を挙げている。しかしフィオレらとはファシズムの放棄に反対する点では一致していたが相容れない部分も多く、2006年に政治会派「社会的選択」は解散された。

2008年、社会行動はフォルツァ・イタリアと国民同盟による選挙連合「自由の家」に参加。欧州議員から下院議員に鞍替え当選し、欧州議会での残り任期はロベルト・フィオレが繰り上げで選出された。2009年フォルツァ・イタリア党と国民同盟を母体とする新党「自由の人民 (イタリア)」が結党されると、社会行動も提案を受け入れて合流した[15]。「自由の人民」内ではフィーニ派が主導する国民同盟系の政治家よりも、シルヴィオ・ベルルスコーニらフォルツァ・イタリア系の政治家と行動する事が多かった。

2013年、「自由の人民」が分裂すると再結党されたフォルツァ・イタリアに参加、上院議員に擁立されて初当選した。2014年、上院議員を辞任して欧州議会議員選挙にフォルツァイタリアの候補者として出馬して欧州議会議員に再選した。

2018年五つ星運動同盟の連立に協力的な姿勢を取り、閣外協力に消極的だったベルルスコーニと距離感が生じた。フォルツァイタリアを反EUとポピュリズムの潮流に乗せようとする動きは親EUと中道主義を堅持する党内で成功せず、離党を宣言したが[16]ベルルスコーニから慰留される形で選挙協力は維持している。2019年、欧州議会選挙にフォルツァ・イタリアの候補者として出馬するが、及ばず落選した。27年間の政治キャリアで鞍替え選挙での辞任は何度も行っているものの、落選での失職は1993年のナポリ市長選挙以来となる。

略歴[編集]

人物[編集]

ディスコグラフィー[編集]

アルバム[編集]

  • 1982年 「アモーレ」(Amore) (アルファレコード ALFA ALR 22002)

シングル[編集]

  • 1982年 「ラヴ・イズ・ラヴ」("Love Is Love") (アルファレコード ALFA ALR 755)
  • 1982年 「Tokio Fantasy」(アルファレコード ALFA ALR 756)

出典[編集]

  1. ^ “Alessandra Mussolini - Amore (1982)”. Orrore a 33 Giri. (2007年4月13日). オリジナルの2008年2月9日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20080209003430/http://www.orrorea33giri.com/2007/04/alessandra-mussolini-amore-1982.html 2008年1月3日閲覧。 
  2. ^ Jan Repa (2004年1月9日). “Italy's post-fascists to regroup”. BBC News. http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/europe/3382151.stm 2008年1月3日閲覧。 
  3. ^ “Playboy Italy - Covers of 1983”. PBCovers. (1983年8月). オリジナルの2007年12月25日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20071225234659/http://www.pbcovers.com/pbcovers.php?c=it&y=1983&cover=it_198308 2008年1月3日閲覧。 
  4. ^ “Playboy Germany - Covers of 1983”. PBCovers. (1983年11月). http://www.pbcovers.com/pbcovers.php?c=de&y=1983&cover=de_198311 2008年1月3日閲覧。 
  5. ^ La Mussolini lascia An "Gianfranco ha tradito"”. 2008年7月8日閲覧。
  6. ^ Mussolini: World should 'beg forgiveness of Israel'”. 2008年7月8日閲覧。
  7. ^ la Mussolini: macche' omicidio cosi' si criminalizzano le donne”. 2008年7月8日閲覧。
  8. ^ Embrioni, da Mussolini a Melandri e' ancora polemica”. 2008年7月8日閲覧。
  9. ^ Fecondazione, il Parlamento vara le regole”. 2008年7月8日閲覧。
  10. ^ Destra e gay, pace vicina. Alessandra Mussolini: tra loro ho molti amici”. 2008年7月8日閲覧。 See also: Alessandra: per una volta sono vicina alla sinistra”. 2008年7月8日閲覧。 and La Mussolini piace ai gay e mette in imbarazzo An”. 2008年7月8日閲覧。
  11. ^ Turco-Mussolini, Thelma e Louise della politica "Tanta invidia ma andiamo avanti lo stesso"”. 2008年7月8日閲覧。 See also: Raddoppiano le coppie di fatto Polo contro la proposta Mussolini”. 2008年7月8日閲覧。
  12. ^ Alessandra Mussolini: ora serve un nuovo femminismo”. 2008年7月8日閲覧。
  13. ^ Buttafuoco: Mussolini, vattene con l' Ulivo Alessandra: triste non sapere dove buttarsi”. 2008年7月8日閲覧。
  14. ^ An s' interroga su Alessandra "E' di destra o femminista?"”. 2008年7月8日閲覧。
  15. ^ Deputati – MUSSOLINI Alessandra, website of the Chamber of Deputies of Italy. Retrieved 23 November 2010.
  16. ^ Falci, Giuseppe Alberto (2018年7月30日). “Mussolini: «Lascio Forza Italia». E su Salvini: «Mi piace, è un vero militante»” (イタリア語). Corriere della Sera. 2019年4月7日閲覧。
  17. ^ "Xenophobia destroys EU's ultra-rightwing MEP group", The Guardian, 15 November 2007
  18. ^ "Mussolini a Vladimir Luxuria 'Meglio fascista che frocio'", La Repubblica, 9 March 2006 (イタリア語)
  19. ^ Benito Mussolini’s granddaughter has spent decades defending him. Now she’s feuding with Jim Carrey.” (英語). Washington Post. 2019年4月7日閲覧。
  20. ^ Jim Carrey's picture of Mussolini's demise sparks Twitter tirade from dictator's granddaughter” (英語). NBC News. 2019年4月7日閲覧。

外部リンク[編集]