ロマーノ・ムッソリーニ
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ロマーノ・ムッソリーニ | |
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生誕 | 1927年9月26日 |
出身地 | イタリア、エミリア=ロマーニャ州フォルリ |
死没 | 2006年2月3日(78歳没) |
担当楽器 | ピアノ |
ロマーノ・ムッソリーニ(Romano Mussolini、1927年9月26日 - 2006年2月3日)は、イタリアのジャズ・ピアニスト、ジャズ評論家、画家である。ベニート・ムッソリーニの息子として知られる[1]。
生涯
[編集]イタリアのフォルリにて、ベニート・ムッソリーニと妻ラケーレの三男として出生。幼少の頃から音楽を学んだ。
1956年、RCAレコードから初の作品をリリース。「ロマーノ・ムッソリーニ・オール・スターズ (Romano Mussolini All Stars) 」を結成した。ディジー・ガレスピー、デューク・エリントン、チェット・ベイカーらと海外公演を行った。
女優ソフィア・ローレンの妹アンナ・マリア・シコローネ (Anna Maria Scicolone) と最初の結婚。エリザベッタ (Elisabetta) とアレッサンドラの2人の娘を儲ける。のちに女優カルラ・プッチーニ (it:Carla Puccini) と2度目の結婚。彼女との間に生まれた3番目の娘は、ロマーノの母の名を取ってラケーレ (Rachele) と名付けられ、のちにローマ市議会議員を務めた[2]。 また、孫にサッカー選手のロマーノ・フロリアーニ・ムッソリーニがいる[3]。
ロマーノは、自身の家族については黙して語らなかったが、2004年に至って自伝『我が父、ドゥーチェ (Il Duce, mio padre) 』を出版した。
2006年1月21日、ローマ市内の病院にて78歳で死亡した[4]。 死後、センピオーネ教会 (it:sempione) で葬儀が行われ、遺体は両親が眠るプレダッピオのカルペーナ (Carpena) 邸に埋葬された。
ディスコグラフィー
[編集]- 1995年 「ハピネス・ハズ・ユア・ネーム」 (Happiness Has Your Name) - Pentaflowers
- 1996年 「ソフト&スウィング」 (Soft & Swing)
- 2001年 「ザ・ワンダフル・ワールド・オブ・ルイス」 (The Wonderful World of Louis)
- 2002年 「タイムレス・ブルース」 (Timeless Blues)
- 2002年 「ミュージック・ブルース」 (Music Blues)
- 2003年 「ジャズ・アルバム」 (Jazz Album)
- 2003年 「ナプレ・ヌ・クアルト・エ・ルナ」 (Napule 'Nu Quarto 'E luna)
- 2004年 「アリビ・パーフェット」 (Alibi perfetto)
- 2005年 「ミラージュ」 (Mirage)
脚注
[編集]- ^ コジマ (2015年12月28日). “レコードをひさびさに聴いたら、ハイレゾもいいなと思った”. ASCII.jp. 2021年2月28日閲覧。
- ^ “ムッソリーニの孫娘、ローマ市議会選でトップ当選”. CNN.co.jp. CNN. (2021年10月8日) 2021年10月9日閲覧。
- ^ Ripley, Dan (2021年2月3日). “Benito Mussolini's great-grandson Romano pens deal at Lazio”. Mail Online. 2021年2月28日閲覧。
- ^ “Mussolini's jazz pianist son dies” (英語). (2006年2月3日) 2021年2月28日閲覧。