アラモ (1960年の映画)

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アラモ
The Alamo
The Alamo 1960 poster.jpg
監督 ジョン・ウェイン
脚本 ジェームズ・エドワード・グラント英語版
製作 ジョン・ウェイン
出演者 ジョン・ウェイン
リチャード・ウィドマーク
ローレンス・ハーヴェイ
音楽 ディミトリ・ティオムキン
撮影 ウィリアム・H・クローシャー英語版
制作会社 The Alamo Company
ユナイテッド・アーティスツ
Batjac Productions
配給 ユナイテッド・アーティスツ
公開 1960年
上映時間 202分(ロードショー版)/162分(通常公開版)
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
製作費 $12,000,000
興行収入 $7,200,000 (US/ Canada)[1]
配給収入 2億6754万円[2] 日本の旗
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アラモ』(The Alamo)は、1960年に公開された西部劇映画。テキサス独立戦争中の1836年に起こったアラモの戦いを題材としている。ジョン・ウェインが主演・監督・制作を兼任し、ユナイテッド・アーティスツが配給した。ウェインの他にも、リチャード・ウィドマークローレンス・ハーヴェイらが主役級で出演している。また撮影にはトッドAO方式英語版70mmフィルムが用いられている。

あらすじ[編集]

本作ではアラモの戦いとそれに至るまでの出来事を描いている。当時、独立を目指すテキサス軍を指揮していたサム・ヒューストン将軍は、不十分な軍の再編を行うべく時間を必要としていた。一方、サンタ・アナ将軍率いるメキシコ軍は兵力・装備・訓練のどれを取ってもテキサス軍に優っている。しかし、それにもかかわらずテキサス軍は非常に高い士気を保っていた。

その頃、サンアントニオ郊外での任務を終えたウィリアム・トラビス中佐はアラモに守備隊長として派遣される。そこにジム・ボウイが援軍として到着し、さらにテネシー州の義勇兵中隊を率いたデイビー・クロケットも現れる。クロケットはトラビスと会談し、その悲惨な状況を聞いた上で部下と共にアラモの守備隊に合流することを決意する。

キャスト[編集]

役名 俳優 日本語吹き替え
NET
デイビー・クロケット大佐 ジョン・ウェイン 納谷悟朗
ジム・ボウイ リチャード・ウィドマーク 大塚周夫
ウィリアム・トラビス大佐 ローレンス・ハーヴェイ 広川太一郎
スミティ フランキー・アバロン 富山敬
ジェームス・ボーナム パトリック・ウェイン
フラカ リンダ・クリスタル 池田昌子
ディッキンソン夫人 ジョーン・オブライエン
蜂蜜屋 チル・ウイルス 真木恭介
フアン・セギン ジョセフ・カレイア
アルメロン・ディッキンソン英語版大尉 ケン・カーチス 小林修
ジェスロ ジェスター・ヘアストン
サザーランド医師 ウィリアム・ヘンリー
サム・ヒューストン将軍 リチャード・ブーン 金井大
サンタ・アナ大元帥 ルーベン・パディラ
ナレーション 小林清志

※その他声の出演 羽佐間道夫宮内幸平西田昭市田中康郎今西正男水島晋沢田敏子飯塚昭三大宮悌二松村彦次郎杉田俊也千葉順二/稲葉まつ子/槐柳二寺島幹夫西尾徳たてかべ和也恵比寿まさ子筈見純貴家堂子/熊倉重之/島木綿子

初回放送:NET系列『日曜洋画劇場』1972年10月8日、1972年10月15日 二回に分けての放送

リピート:TBS系列『月曜ロードショー』1978年3月20日、1978年3月27日 二回に分けての放送

現在、この吹替はソフト収録されていない。

撮影の背景[編集]

ジョン・ウェインがアラモの戦いに関する映画の製作に乗り出したのは1945年であった[3]。彼は脚本家ジェームズ・エドワード・グラント英語版を雇い、脚本の準備を始めた。この折、ジョン・フォードの息子であるパット・フォードもアシスタントとして雇われている。しかし脚本がほとんど完成する頃になって、撮影予算の上限300万ドルをめぐってウェインとリパブリック映画社長ハーバート・イェーツ英語版が衝突した[4]。結局、ウェインとリパブリック映画の間には大きな確執が生まれ、ウェインが去ったことで映画の企画自体も中止されてしまった。この時に用意された脚本は後に書きなおされ、1955年に『アラモの砦英語版』(The Last Command)として映画化されている[5]

製作[編集]

ウェインとプロデューサーのロバート・フェローズは制作会社バジャック・プロダクション英語版を設立する[5]。1952年に設立された際はウェイン/フェローズ・プロダクション(Wayne/Fellows Productions)という社名だったが、1956年に映画『怒涛の果て』に登場する架空の貿易商社の名前を取ってバジャック・プロダクション(Batjac Productions)に改名した。ウェインはアラモに関する映画について、当初は監督と製作の立場から参加して出演は行わないつもりだった。しかし、彼が出演しない場合を前提に算出された推定興行収入は決して利益を保証しうるものではなく、撮影予算の支援は得られなかった。1956年、ユナイテッド・アーティスツ(UA)との契約を結ぶ。この中で、UAは250万ドルの予算提供と宣伝を担当し、同時にバジャック側に対しては150万ドルから250万ドルの拠出とウェインの出演という条件を課した。また、ある裕福なテキサス人もテキサスでの撮影を条件にバジャックに対する援助を申し出た[6]

撮影セット[編集]

撮影にあたって再現されたアラモ伝道所

撮影セットはテキサス州ブラッケットビル近郊、ジェームズ・T・シャーハン(James T. Shahan)が保有する牧場の中に設置された。このセットは撮影後も残され、後にアラモ村英語版と呼ばれるようになった。建築業者チャット・ロドリゲス(Chatto Rodriquez)がセット建築の責任者で、建築に先立ってブラッケットビルの町からセットまでのおよそ14kmに道路舗装を行ったという。さらに一日あたり12,000ガロンの水を使用するという前提で6つの井戸と下水道を設置し、5000エーカー分の馬の囲いも設置した[7]

ロドリゲスと共に働いたアートデザイナーはアルフレッド・イバラである。歴史家のランディ・ロバーツやジェームズ・オルソンは「映画史上最も本格的な撮影用セットではないか」と記している[7]。アラモ伝道所の壁を作る為の15,000個を超える日干しレンガも、全て手作業で製造された。最終的に2年以上を掛けて完成した伝道所は本物の3/4程度の大きさで、『アラモ』撮影後も100作を超える西部劇映画で使用されることになった。

キャスティング[編集]

当初、ウェインは演出に集中するべく端役に過ぎないサム・ヒューストン将軍を演じる予定だった。しかし先述の通り、出資者らは「ジョン・ウェイン映画」である事を期待していた為、ウェインに主演を務めるように求めた。結局、ウェインはデイビー・クロケットを演じることに決まり、ヒューストン将軍の役はリチャード・ブーンに引き継がれた[8]。ウェインはジム・ボウイ役にリチャード・ウィドマーク、ウィリアム・トラビス役にローレンス・ハーヴェイをキャスティングした[7]

ハーヴェイが選ばれたのは、ウェインが英国の舞台俳優を高く評価していたからであった。またハーヴェイ自身が最も緊張したのは、テキサス訛りでシェイクスピアの引用を行うシーンだったという[9]。他の役割は息子パトリックや娘アリサなどウェインの家族やその他の親しい友人に割り当てられた[10]。後に西部劇のソングライターやスタントマンとして名を知られるようようになるルディ・ロビンス英語版もテネシーの義勇兵としてわずかながら出演している。

撮影が始まってまもなくして、ウィドマークは役柄への不満から降板を示唆するようになった。しかし、法的措置の寸前に映画完成まで協力することに合意した[11]。また撮影中、彼は脚本家のバート・ケネディに頼んで台詞のいくつかを書きなおさせたという[12]

歌や踊りの仕事から脱却したかったサミー・デイヴィスJr.は奴隷役での出演をウェインに打診している。各方面からの反対を受けてデイヴィスの出演は取り消されたが、これはデイヴィスが白人女優のメイ・ブリット英語版と付き合っていたことと少なからず関係があるという[9]

演出・監督[編集]

ウェインの師匠でもあるジョン・フォードは撮影班に招かれなかったが、それでも撮影に関与しようとしばしば圧力を掛けた。やがてフォードは第2撮影班を率いて勝手な撮影を始めたが、ウェインは自らの監督としての権威を維持する為に彼らを追い出した。こうした経緯から、フォードの撮影した映像は一切使用されていないにも関わらず、しばしば誤って「フォードは本作におけるノンクレジットの協同監督」と記載される[13]

映画に携わった人々は、長い会話シーンを好む脚本家ジェームズ・グラントを重用していたものの、ウェイン自身は非常に知的で才能のある監督だったと述べている[13]。ロバーツとオルソンは彼の監督手法に関して、「有能、しかし目立とうとはしない」と評している[14]。一方、ウィドマークは彼や他の役者に対してウェインが演技指導を行なったり、キャラクターに関する独自の解釈を述べるのを好んだ点が不満だったという[9][11]

撮影[編集]

撮影は1959年9月9日に始まった。フランキー・アバロンら何人かの俳優は、テキサスでの撮影と聞いてガラガラヘビを恐れていたという。またコオロギが俳優の肩に止まっていたり、カメラの前に飛び込んできたり、またはその鳴き声のせいでNGテイクとなる事も多かったという[11]。端役として出演していたレジェーン・エスリッジは撮影途中に家庭内暴力を受けて死去し、ウェインは証言者として審問に呼び出されている。

ハーヴェイは大砲の反動を忘れており、降伏勧告への答えとして砲撃を行うシーンにて砲撃を行なったところ、反動で後退した大砲が彼の足を踏み潰し、骨折させた。しかしウェインが「カット」と叫ぶまで、ハーヴェイは悲鳴を上げなかった。この件でウェインは彼のプロフェッショナリズムを称賛した[9]

撮影は予定より3週間延長され12月15日に終了した。使用されたフィルムの総延長は560,000フィートにも及び、総撮影シーン数は566シーンにもなったという。このフィルムは最終的に3時間13分に編集された[15]

音楽[編集]

オリジナルのテーマ曲のほか、ディミトリ・ティオムキンが作曲しポール・フランシス・ウェブスター英語版が作詞した『The Green Leaves of Summer』もメインテーマとして使用された。この曲は何度かリリースされており、ブラザース・フォアによる録音がよく知られる。オリジナル・サウンドトラック・アルバムはコロムビア・レコードヴァレーズ・サラバンドRyko Recordsからリリースされた。2010年には新規録音されたバージョンがTadlow MusicとPrometheus Recordsから発売された。このバージョンはニック・レインが指揮するプラハ・フィルハーモニー・オーケストラ英語版によって演奏されており、未発表だったティオムキンの楽曲がいくつか含まれている。また、マーティ・ロビンスとフランキー・アバロンが歌った『Ballad of the Alamo』も本作のテーマ曲と捉えられている[16]

公開[編集]

ウェインは公開に向けたメディアキャンペーンの為、広報担当者としてラッセル・バードウェルを雇った[17]。バードウェルは7つの州にて「アラモの日」を祝うよう約束を取り付け、またアラモに関する教育を支援する旨を全米の小学校に通知した[18]

1960年、テキサス州サンアントニオのウッドローンシアターにて世界最初の上映が行われた。

映画のテーマについて[編集]

時代考証について[編集]

本作では時代考証上の間違いや、あるいは意図的に無視された箇所が多く、またテキサス革命やアラモの戦いの原因に関する説明もほとんど行われない[19]。アラモの研究者であるティモシー・トディッシュは「『アラモ』には歴史的な事実に対応しうるシーンが一切ない」と語った。歴史家ジェームズ・F・ドビー英語版ロン・ティンクル英語版は自身らの名を史実アドバイザーとしてクレジットしないように求めた[20]

政治性[編集]

本作にディッキンソン大尉の娘役で出演していたウェインの娘、アイッサ・ウェインは「私が思うに、『アラモ』の制作は父自身の闘争の1つだったのでしょう。それは強迫観念以上のもので、彼のキャリアにおいて相当に個人的なプロジェクトの1つでした[17]。」と述べた。ウェインの関係者の多くも、『アラモ』がウェインの政治的な立場を強く反映している事を認めており、台詞の多くは彼の見解そのものであった[17]。ロバーツとオルソンは共和主義自由至上主義への転換こそ本作に込められた最も重要なメッセージであると見ている[19]。これを裏付けするものとして、ウェイン扮するデイビー・クロケットの次の台詞がある。

共和国。実に良い響きだ。人々が自由に暮らし、自由に話し、自由に行き来し、売り買いし、酔ったり醒めたりする。君もこれらの言葉には感動するだろう。共和国、胸が詰まる言葉だ。
Republic. I like the sound of the word. Means that people can live free, talk free, go or come, buy or sell, be drunk or sober, however they choose. Some words give you a feeling. Republic is one of those words that makes me tight in the throat. — デイビー・クロケット、『アラモ』より[17]

また、本作には冷戦という制作背景も反映されているという。ロバーツとオルソンは、「本作の脚本からはサンタ・アナのメキシコとフルシチョフソ連邦、あるいはヒトラードイツとを関連付けようとしている風に思える。また共通して求められる3つの要素とは、すなわち勇敢、抵抗、死である」と述べている[17]

多くの脇役が劇中で自由や死に関する見解を述べるが、それらの内容もウェインの見解を反映したものとされる。

評価・反応[編集]

『アラモ』は莫大な収益を上げたが、それでも製作コストを賄うことは出来ず、結果的にウェインはいくつかの個人的な資産の売却を余儀なくされた。『アラモ』はアカデミー録音賞ゴードン・E・ソーヤーフレッド・ハインズ)を受賞した他、アカデミー助演男優賞チル・ウイルス)、アカデミー撮影賞(カラー部門)、アカデミー編集賞アカデミー作曲賞(ドラマ・コメディ部門)、アカデミー歌曲賞(歌曲部門, ディミトリ・ティオムキン、ポール・フランシス・ウェブスターの『The Green Leaves of Summer』)、アカデミー作品賞にノミネートされた[21]。こうした多くの部門におけるノミネートの背景には、『サイコ』や『スパルタカス』への対抗を意識したウェイン自身による熱心なロビー活動があったという[22]

ニューヨーク・ヘラルド・トリビューンは4つ星を付け、「まさに偉業だ。視覚、内容、どこをとっても『アラモ』は一流だ」と評したが、Time誌は「テキサスのように平坦」と評した[23]。公開から数年後にレオナルド・マールティンは時代考証の無視と演説じみた台詞について『アラモ』の脚本を批判したが、一方でクライマックスの戦闘シーンを高く評価した。

Rotten Tomatoesでは、54%のスコアを付けた。

本作はあまりにも大掛かりな広報キャンペーンが仇となり、多くの賞を逃したと考えられている。特にチル・ウイルスが独断で作成しバラエティ誌に掲載した広告はウェインからも怒りを買った。これは「アラモ守備隊が生還を望んだ時よりも強く、キャスト一同はチル・ウイルスのオスカー受賞を望んでいます」とか、「勝つにせよ負けるにせよ引き分けるにせよ、みなさんは私のいとこのようなものです」などという内容であった。審査委員の1人だったグルーチョ・マルクスはこの広告を踏まえ、「親愛なるウイルス氏。あなたのいとことなった事を光栄に思います。けれど私はサル・ミネオに投票しました」というメッセージを送ったという(サル・ミネオも『栄光への脱出』からノミネートされており、ウイルスのライバルであった)[24]

ただし、本作の興行的失敗はあまりにも莫大な製作コストによるもので、映画作品としては非常に人気がある作品の1つでもある。サウンドトラックアルバムは50年間に渡って販売が続けられている。その人気を反映するように、『アラモ』はしばしばパロディやオマージュの対象として引用される。

バージョンについて[編集]

『アラモ』初演版は序曲、休憩、終曲を含めて202分の70mmロードショー長だったが、その後のリリース版では大きく切り詰められた。ユナイテッド・アーティスツから最初にリリースされたのは167分の再編集版である。202分版のフィルムは失われたものと長らく信じられていたが、1970年代にカナダ人の愛好家ボブ・ブライデンが202分版の上映を実現した。ブライデンはアラモ研究者のアシュリー・ウォードと協力し、トロントにて70mm初演版の最後の実物フィルムを発見した[25]。そのフィルムは全く手付かずのまま保管されていたという。その後、MGMはブライデンのフィルムを用い、202分版をVHSやレーザーディスクとしてリリースしたのである。

しかしその後フィルムは解体され、また劣悪な保管環境の為に劣化してしまった為、2007年頃までは一切閲覧出来ず、やむを得ずMGMは最初のDVDリリースの際には再編集版のフィルムを使用していた。オリジナルの202分版は、唯一デジタルビデオでリリースされているが、これはターナー・クラシック・ムービーズ放送版を録画したものである。現存しているフィルムで最良の状態を保っているものは、再編集版35mmのネガである。

現在、トロントにて発見された別の劣化フィルムを用い、ロバート・A・ハリスによる修復作業が進められている[26]

また、テレビ放送の際にはしばしば序曲と休憩がカットされる。

脚注[編集]

  1. ^ "All-time top film grossers", Variety 8 January 1964 p 37. Please note this figure is rentals accruing to film distributors not total money earned at the box office..
  2. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)171頁
  3. ^ Roberts and Olson (2001), p. 260.
  4. ^ Roberts and Olson (2001), p. 261.
  5. ^ a b Roberts and Olson (2001), p. 262.
  6. ^ Roberts and Olson (2001), p. 263.
  7. ^ a b c Roberts and Olson (2001), p. 264.
  8. ^ Clark, Donald, & Christopher P. Andersen. John Wayne's The Alamo: The Making of the Epic Film (New York: Carol Publishing Group, 1995) ISBN 0-8065-1625-9
  9. ^ a b c d John Wayne — The Man Behind The Myth by Michael Munn, published by Robson Books, 2004
  10. ^ Roberts and Olson (2001), p. 265.
  11. ^ a b c Roberts and Olson (2001), p. 266.
  12. ^ pp. 146-147 Joyner, C. Courtney Burt Kennedy Interview in The Westerners: Interviews with Actors, Directors, Writers and Producers McFarland, 14/10/2009
  13. ^ a b Clark, Donald, & Christopher P. Andersen. John Wayne's The Alamo: The Making of the Epic Film, Carol: 1995
  14. ^ Roberts and Olson (2001), p. 268.
  15. ^ Roberts and Olson (2001), p. 269.
  16. ^ William R. Chemerka, Allen J. Wiener: Music of the Alamo. Bright Sky Press, 2009. p. 118, 151
  17. ^ a b c d e Roberts and Olson (2001), p. 271.
  18. ^ Roberts and Olson (2001), p. 272.
  19. ^ a b Roberts and Olson (2001), p. 270.
  20. ^ Todish et al. (1998), p. 188.
  21. ^ The 33rd Academy Awards (1961) Nominees and Winners”. oscars.org. 2011年8月22日閲覧。
  22. ^ Dirks, Tim. http://www.filmsite.org/aa60.html
  23. ^ quoted in Ashford, Gerald. On the Aisle, San Antonio Express and News, November 5, 1960, p. 16-A
  24. ^ Levy, Emanuel. Oscar Scandals: Chill Wills http://www.emanuellevy.com/article.php?articleID=822
  25. ^ Bryden, Bob, The Finding of the 'Lost' Alamo Footage', http://www.bobbryden.com/ 
  26. ^ Harris, Robert A., The Reconstruction and Restoration of John Wayne's THE ALAMO, http://www.thedigitalbits.com/articles/robertharris/harris032009.html 

参考文献[編集]

  • Roberts, Randy; Olson, James S. (2001), A Line in the Sand: The Alamo in Blood and Memory, The Free Press, ISBN 0-684-83544-4 
  • Todish, Timothy J.; Todish, Terry; Spring, Ted (1998), Alamo Sourcebook, 1836: A Comprehensive Guide to the Battle of the Alamo and the Texas Revolution, Austin, TX: Eakin Press, ISBN 978-1-57168-152-2 

関連書籍等[編集]

  • Clark, Donald, & Christopher P. Andersen. John Wayne's The Alamo: The Making of the Epic Film (New York: Carol Publishing Group, 1995) ISBN 0-8065-1625-9
  • Farnsworth, Rodney. "John Wayne's Epic of Contradictions: The Aesthetic and Rhetoric of Way and Diversity in The Alamo" Film Quarterly, Vol. 52, No. 2 (Winter 1998-1999), p. 24 - 34
  • [1] "Dust to Dust" by Robert Wilonsky. Dallas Observer, August 9, 2001

外部リンク[編集]