高木長之助

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獲得メダル
日本の旗 日本
柔道
世界選手権
1973 ローザンヌ 重量級
1975 ウィーン 重量級

高木 長之助(たかき ちょうのすけ、1948年10月26日 - )は 日本柔道家講道館8段)。千葉県出身。

1973年世界選手権で金メダル、75年の同選手権で銅メダルを獲得し、現在は日本大学柔道部の総監督を務める。

経歴

生い立ち

千葉県房総半島の先端、安房郡白浜町(現・南房総市)にて、半農半漁の家に生まれる[1]に面した土地柄のため幼少時の遊びはもっぱら海の素もぐりで、アワビサザエ等の海産物を獲っては食べるというのが日課だった[1]

小学校では水泳をやっていたがレギュラーにはなれずに、白浜中入学と同時に柔道部に入部。この頃のクラブ活動は野球・水泳・柔道の3つが主流で、当時身長160cm、体重60kgの高木は、その大柄な体格から柔道部に勧誘された[1]。名伯楽として名高い三田悦克が率いるこの柔道部は当時千葉県大会で連覇を繰り返す強豪柔道部で[2]、高木が現在“指導者としての原点”と語る白浜中学での3年間の稽古は、サーキットトレーニング等も取り入れた、当時の練習方法としては非常にユニークなものだった[1]

1964年に中学卒業後は県立安房高校へ進学。2年先輩に後に世界チャンピオンとなる篠巻政利がおり、毎朝6時に起きては、朝練で篠巻を相手に500本の打ち込みをこなした[1]。1日2時間程度の柔道部での練習では飽き足らず、帰宅してからも自主的に走ったり、手作りのバーベルを上げるなどして柔道家としての素地を築いていった[3][注釈 1]

高校3年次には青森インターハイへ出場。重量級の優勝候補の1人に数えれながらも、団体・個人とも結果を残す事はできなかった。一方、千葉県代表の一員として出場した同年の国体では千葉県チームの準優勝に貢献。

日本大学から警視庁へ

1967年日本大学経済学部に入学するも、当時の世は学生運動の真っ盛りで、日本大学も例外ではなかった。2年次の6月から3年次のまでは学園ストの影響で授業ができず、柔道部は一日中稽古をしていた[1]。そのおかげで1969年全日本学生大会で、日本大学は決勝戦で拓殖大学を破り優勝を飾る。

4年次の1970年には、学生ながら全日本体重別選手権の重量級で優勝。将来を迷っていた高木は、この優勝がきっかけで柔道家としての生涯を貫く事を決意し、卒業後は柔道環境が最も整っていた警視庁へ入庁[1]。実業団柔道部が盛んではなかった当時、柔道で生きるには警視庁・神奈川県警愛知県警大阪府警福岡県警のいずれかに入る事が定番とされた時代であり、高木も入庁に際して柔道専門家としてのプロの自覚を持ったと語っている[3]

“柔道日本一”の称号をかけて争う1973年4月の全日本選手権では笹原富美雄重松義成らを破り、決勝進出。決勝戦の相手は2歳年下の上村春樹旭化成)だった。10分間の試合は、9分過ぎまで終始高木の優勢で進んだが[4]、試合時間残り30秒の上村の背負投で1回転してしまい、これが響いて判定負けとなった。 同年6月にスイスローザンヌで開催された世界選手権には重量級(93kg超級)の代表として出場。無差別級代表の篠巻政利が1回戦で負傷棄権するというプレッシャーの中、高木も4回戦で判定負けを喫するが、その後の敗者復活戦を勝ち上がり、逆転の金メダルを獲得した[注釈 2]

届かなかった全日本

重量級世界チャンピオンとして臨む1974年の全日本選手権はまさかの地区予選敗退で、本大会に出場できず[1]

1975年全国警察選手権で優勝。4月の全日本選手権は佐藤宣践二宮和弘らを下して決勝に進出するも、上村春樹との決勝戦では試合終了間際の浮技で宙を舞い、またも判定負けであった。同年10月のウィーン世界選手権では銅メダルを獲得。

29歳で迎えた1978年の全日本選手権では、3度目の決勝進出なるも、東海大学学生の山下泰裕大外刈で一本負け。後に「この時、自分が踏み込めない新しい時代の到来を感じた」と高木は語っている[3]。 全日本選手権には結局10度出場し、準優勝3回、3位2回と安定した成績を残しながら、終に優勝する事はなった。日本人柔道家で、世界選手権やオリンピックの重量級ないし無差別級を制しながらも全日本選手権を獲れずに引退したのは、2015年現在で高木のほか須磨周司二宮和弘の2名のみ[注釈 3]である。

雑誌『近代柔道』のインタビューで、あと一歩の所で全日本タイトルを獲れなかった理由を問われた高木は「時間に余裕があり過ぎたでしょうか」と述懐しつつも、「コンプレックスでもあり、指導者として自分の支えにもなっている」と語っている[3]

指導者として

33歳で現役引退後は母校・日本大学にてスカウトやコーチを務め、1984年には13年間務めた警視庁を退職して日本大学の監督に就任。 以降は夕方5時まで大学職員として働き、急いで道場に駆け付けて部員の指導に当たるという生活を続けた。

1985年全日本学生大会では4年生の渋谷恒男(のち帝京大学監督)や1年生の金野潤(現日本大学監督)らを率いて監督就任後初優勝。その後も18年間の監督生活で全日本学生大会のタイトルを2度獲得した。 監督としての思い出を問われた高木は、金野潤の全日本選手権初優勝(1994年)と瀧本誠五輪金メダル(2000年)という教え子達のその後の活躍2つに加え、自身が「無名の選手を磨き育てあげた時が一番嬉しい」と語るように、賀持道明世界選手権出場(1991年)を挙げている[注釈 4]

同時に連盟においても、全日本柔道連盟の大会事業委員会副委員長や教育普及委員会委員長[5]全日本学生柔道連盟の事務局長や常務理事などの要職を歴任[6]

現在は日本大学の柔道部総監督として、かつての教え子である金野潤監督や田辺陽子コーチらと共に後進の指導に当たる[7]。 「社会人として立派な柔道家の養成」をモットーとし、部員には柔道部の稽古よりも授業への出席を優先する事を義務付けているという[3]

人物

現役時代は重量級の第一人者として活躍したが、いわゆる“アンコ型”の体型ではなく、身長187cm、体重105kg(大学時代の全盛時は95kg)と、長身細身のタイプであった[1]。皮下脂肪とは無縁で1500mを5分で走り、左右の握力は90kgを記録するなど怪力の持ち主でもあった[1]。その長身から繰り出す大外刈が得意技で[8]、とりわけ大外刈りに関しては、現在の選手達が多用するケンケン大外刈に警鐘を鳴らす[1]

主な戦績

- 全国警察選手権2位
- 全日本選手権 2位
  • 1974年 - 全国警察選手権2位
  • 1975年 - 世界選手権(重量級) 3位
- 全日本選手権 2位
- 全国警察選手権 優勝
  • 1976年 - 全日本選手権 3位
- 全日本選抜体重別選手権(重量級) 2位
  • 1977年 - 全日本選手権 3位
- 全国警察選手権2位
  • 1978年 - 全日本選手権 2位
- 嘉納杯(95kg超級) 優勝
- 全国警察選手権 優勝
  • 1979年 - 全国警察選手権3位
  • 1980年 - 全日本選抜体重別選手権(95kg超級) 3位
- 全国警察選手権 3位

脚注

注釈

  1. ^ 稽古の虫となって柔道に打ち込んだ当時、母親が周囲に「息子を柔道に奪われた」と嘆いていたのを高木は後日知ったという[3]
  2. ^ 当時の世界選手権は、トーナメント途中で敗れても敗者復活戦を勝ち上がれば決勝へ進む事が可能だった。
  3. ^ 現役選手では棟田康幸2003年世界選手権100kg超級、2007年世界選手権無差別級で優勝)と上川大樹2010年世界選手権無差別級で優勝)が全日本選手権で優勝していない。
  4. ^ 賀持は高校時代、団体戦を除いて国体インターハイへの出場経験は無く、まさしく無名の選手だった。日大入学後に高木の指導の元で頭角を現し、嘉納杯準優勝や講道館杯優勝などの実績をあげ、大学4年次には世界選手権代表に選ばれて5位という成績を残した。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k “名選手の技と技術(連続写真)大外刈り&釣り込み腰 -高木長之助-”. 近代柔道(1993年12月号) (ベースボール・マガジン社). (1993年12月20日) 
  2. ^ “柔道王国・安房支えた第一人者 名師範・三田悦克 教え子らが追悼本”. 房日新聞 (房州日日新聞社). (2008-0-17) 
  3. ^ a b c d e f 布施鋼治 (2004年9月20日). “転機-あの試合、あの言葉 第31回-高木長之助-”. 近代柔道(2004年9月号)、40-43頁 (ベースボール・マガジン社) 
  4. ^ “講道館機関誌『柔道』で振り返る全日本柔道選手権60年 -昭和48年 22歳の上村春樹が2度目の出場で初優勝-”. 激闘の轍 -全日本柔道選手権大会60年の歩み- (財団法人講道館・財団法人全日本柔道連盟). (2009年4月) 
  5. ^ “全柔連について –教育普及委員会-”. 全日本柔道連盟. http://www.judo.or.jp/aboutus/kyoikufukyu 
  6. ^ “連盟概要 –役員名簿-”. 全日本学生柔道連盟. http://www.gakujuren.or.jp/003ecmember.html 
  7. ^ “日本大学柔道部 指導者・スタッフ”. 日本大学柔道部. http://www.nichidai-judo.com/staff.html 
  8. ^ “柔道体重別技の大百科(第2巻) ISBN 978-4-583-10319-8 -36頁 高木長之助-”. ベースボール・マガジン社. (2010年11月) 

外部リンク