私は里歌ちゃん

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私は里歌ちゃん
ニャンギラスシングル
初出アルバム『最初で最後
B面 夏が来れば
リリース
ジャンル J-POP
時間
レーベル ワーナー・パイオニア
作詞・作曲 秋元康(作詞)
見岳章(作曲)
チャート最高順位
  • 1位(オリコン
  • 1986年度年間57位(オリコン)
ニャンギラス シングル 年表
私は里歌ちゃん
(1986年)
自分でゆーのもなんですけれど
(1986年)
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私は里歌ちゃん」(わたしはりかちゃん)とは、ニャンギラスの楽曲で、1枚目のシングルである。1986年4月1日発売(発売元はワーナー・パイオニア)。

解説[編集]

アイドルグループおニャン子クラブから輩出された、うしろゆびさされ組に続くグループニャンギラスデビュー作。里歌とはメンバーの立見里歌のこと。

4月14日付のオリコンチャート1位を獲得した。これには関係者たちも驚いたらしく、メンバーの立見里歌は後に「(同レコード会社から発売された)少年隊のシングル「デカメロン伝説」(これも秋元康作詞)が1位を獲るはずだったのに、とレコード会社の関係者から怒られた」と語ったことがある[要出典]。しかし、「デカメロン伝説」の初登場は4月7日付(その週の1位は河合その子の「青いスタスィオン」)であり、厳密には当曲が1位を阻止したわけではない。(なお「デカメロン伝説」は翌週も2位だったので「私は里歌ちゃん」が発売されていなかったら1位を獲得していた)

TBS系音楽番組『ザ・ベストテン』では、4月17日放送分で9位に初登場。3週連続でランクイン(9位→9位→8位)した[1]

立見によれば、秋元に「中森明菜の『DESIRE -情熱-』のような歌を歌いたい」と訴えたところ、出来上がってきたのがこの曲だという[2]。一方秋元は、当時同じ事務所であった見岳章に、「小泉今日子の『なんてったってアイドル』をパクって欲しい」と言って曲を発注したという[3]

収録曲[編集]

  1. 私は里歌ちゃん
  2. 夏が来れば

収録作品[編集]

CD

DVD

  • ザ・バックステージ(あぶな〜い課外授業)
  • おニャン子クラブ最終盤(Sailing 夢工場、ファイナルコンサート、夕やけニャンニャン)

その他[編集]

金曜チェック「あなたのプッツン度チェック」でも2回使われたことがある。

1987年、卒業記念SPRINGコンサート「Sailing 夢工場」では既に名越を(卒業で)欠いていたため、樹原・立見・白石の3人編成で同曲を披露した。

1987年9月20日、代々木第一体育館でのおニャン子クラブ解散コンサートに出演し、同曲を披露した。4人揃っての披露は1986年卒業コンサート以来。

1998年頃、フジテレビのキャンペーンCMで「おニャン子クラブ復活?!」というコマーシャルが数パターン流れた[要出典]。出演は工藤静香であったが、その中でプロデューサーから「平成ニャンギラス、結成しませんか??」と口説かれた工藤が「国生(さゆり)はやるって言ってるの?」と聞き返すバージョンがあった[要出典]

出典[編集]

  1. ^ 角川インタラクティブ・メディア「別冊ザテレビジョン ザ・ベストテン 〜蘇る! 80'sポップスHITヒストリー〜」2004年12月、ISBN 978-4-0489-4453-3 (p.142)
  2. ^ 運命の一曲 「『川の流れのように』の究極の正反対にある歌」」『FLASH』2017年4月18日、102ページ。
  3. ^ 『あぶな~いおニャン子』フジテレビ出版、1986年7月3日、103頁。ISBN 4-89353-097-6。C0076。