白幡 (さいたま市)
■白幡 しらはた | |
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白幡地区の田島通り | |
北緯35度51分3.9秒 東経139度39分37.1秒 / 北緯35.851083度 東経139.660306度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村 | さいたま市南区 |
地域 | 浦和地区 |
人口 (2015年(平成27年)8月1日現在) | |
• 合計 | 14,413人 |
郵便番号 |
336-0022 |
市外局番 | 048 |
ナンバープレート | 大宮 |
白幡(しらはた)は、埼玉県さいたま市南区の町名。現行行政地名は白幡一丁目から白幡六丁目。首都圏有数の高級住宅街である岸町に隣接していることから、二丁目の高台などは閑静な住宅街が広がっている。
地理
南区の北部に位置する。岸町・神明・辻・別所と隣接する。笹目川周辺の五丁目などは駐車場など土地利用が未定のままであったが、武蔵浦和駅周辺の再開発の影響もあり、徐々に集合住宅や高層マンションが建設されている。国道17号沿いには高級車のカーディーラーが集中する。
河川・湖沼
地価
住宅地の地価は、2016年(平成28年)1月1日の公示地価によれば白幡2-7-11の地点で29万4000円/m2となっている。[1]
歴史
平安時代に藤原秀郷が平将門討伐のため当地にしばしば宿陣していた。八幡勧請し勝利の祈願をする際、白幡(白旗)を立てたことが地名の由来とされる[2]。八幡社は富士社に合祀され睦神社境内にある。縄文時代前期の遺跡である白幡貝塚などもあることから当時の海岸線は当地にあったことが知られている。
沿革
もとは白幡村であった。
- 1889年(明治22年) - 合併により六辻村の大字となる。
- 1924年(大正13年) - この年以降、浦和耕地整理の一環で現在の道路区画が整備された。
- 1927年3月16日 - 埼玉県立浦和商業高等学校設立。
- 1934年2月11日 - 隣接する浦和町が市制し、浦和市になる。
- 1938年(昭和13年) - 六辻村が町制施行し六辻町の大字となる。
- 1942年(昭和17年) - 合併により浦和市の大字となる。
- 1947年4月 - 浦和市立(現・さいたま市立)白幡中学校開校。
- 1966年(昭和41年) - 岸町五丁目、大字沼影、別所、曲本の各一部を編入。
- 1980年(昭和55年)11月1日 - 大字白幡から住居表示実施に伴い白幡一丁目~六丁目が成立。
- 2001年5月1日 - 浦和市が大宮市・与野市と合併し、さいたま市の町名となる。
- 2003年4月1日 - さいたま市の政令指定都市移行に伴い区制施行。さいたま市南区の町名となる。
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交通
鉄道
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
道路
- 国道17号
- 埼玉県道213号曲本さいたま線(旧中山道・田島通り)
バス
- 国際興業バス白幡中学校、白幡坂上、大里、白幡停留所など
施設
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
- 1丁目
- 2丁目
- 埼玉県立浦和商業高等学校
- さいたま市立白幡中学校(卒業生にタケカワユキヒデ、竹内結子など)
- 医王寺
- ファミリーマート
- 3丁目
- さいたま市立白幡保育園
- こびとの保育園
- セレモニー武蔵浦和ホール
- 白幡東高層住宅
- 白幡公園
- 白幡変電所
- 4丁目
- 5丁目
- 三井住友銀行武蔵浦和支店
- ADEKA浦和研究所
- NTT東日本 白幡ビル(浦和白幡局)
- ケルヒャージャパン東京支社
- 住友不動産販売 武蔵浦和営業センター
- 武蔵浦和桑の実保育園
- スリーエフ
- マーレ
- ビバホーム
- 聖みどり病院
- ニッポンレンタカー
- トヨタレンタリース
- 安楽亭
- ノアインドアステージ
- 6丁目
- セブンイレブン浦和白幡6丁目店
- 白幡配水場
脚注
- ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
- ^ 新編武蔵風土記稿
参考文献
- 角川日本地名大辞典 11 埼玉県
- わがまち浦和
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