浦幌駅

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浦幌駅
駅舎(2015年7月)
うらほろ
Urahoro
K39 新吉野 (6.4 km)
(18.4 km) *厚内 K42
地図
所在地 北海道十勝郡浦幌町本町
北緯42度48分37.77秒 東経143度39分5.41秒 / 北緯42.8104917度 東経143.6515028度 / 42.8104917; 143.6515028 (浦幌駅)
駅番号 K40
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 根室本線
キロ程 231.7 km(滝川起点)
電報略号 ウラ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度-
110人/日
-2018年-
開業年月日 1903年明治36年)12月25日
備考 直営駅管理駅
みどりの窓口
* この間に常豊信号場(滝川起点236.0 km)、上厚内信号場(同起点243.5 km)が存在
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浦幌駅(うらほろえき)は、北海道十勝郡浦幌町本町(ほんちょう)にある北海道旅客鉄道(JR北海道)根室本線である。駅番号K40電報略号ウラ事務管コードは▲110425[1]

長らく特急「おおぞら」2号・11号が停車していたが、2022年3月12日のダイヤ改正にて、停車するおおぞら号下り列車が11号から9号に変更された。

歴史

1977年の浦幌駅と周囲約500m範囲。上が根室方面。駅裏の島式ホームは駅表側片面使用で、実質は千鳥状にずれた相対式ホーム2面2線、駅裏側には木材土場用に貨物積卸線と留置線の2本が敷かれて南側に引上線が伸びる。また島式ホームの北側端までの留置用側線1本も有している。駅表側北側(釧路側)には、一般に乗降用ホームが千鳥状に設けられた場合に反対側に設けられることが多い貨物ホームが、乗降用ホームの駅表側に植栽を挟んで長い切欠状に設けられ、貨物積卸線が引き込まれている。構内には多くの貨車が目立つ。貨物取扱廃止後、これらの貨物線の多くは撤去されたが、駅裏の木材土場用積卸線は北側の接続が切られて引込線化され、南側の引上線には保線車用車庫が設けられてどちらも保線用として残されている。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

駅名の由来

アイヌ語の「ウラポロ[注釈 5]」(霧・多い)、あるいは「オラオロオラポロ[注釈 6]」(ヤマシャクヤク?・の所)からとされる[7]

駅構造

  • 2面2線の相対式ホームの地上駅。列車の発着は、上下線とも、基本的に、本線である駅舎側の1番線を使用し、2番線は、列車交換の場合のみ使用される。お互いのホームは跨線橋で連絡している。
  • 社員配置駅。管理駅として、新吉野駅厚内駅を管理下に置いている。
  • みどりの窓口設置。

のりば

番線 路線 方向 行先 備考
1・2 根室本線 上り 帯広新得方面 特急は全列車1番線から発車
下り 釧路方面

利用状況

1日の平均乗降人員は以下の通りである[8]

乗降人員推移
年度 1日平均人数
2011 172
2012 156
2013 144
2014 126
2015 124
2016
2017 132
2018 110

駅周辺

浦幌町の中心駅。

隣の駅

北海道旅客鉄道(JR北海道)
根室本線
普通
新吉野駅 (K39) - 浦幌駅 (K40) - (常豊信号場) - (上厚内信号場)(K41) - 厚内駅 (K42)

脚注

注釈

  1. ^ 1922年(大正11年)7月7日に当浦幌炭砿は馬車鉄道から切り替えるため、常室-新浦幌と称する終端駅を持つ鉄道新設、並びに浦幌駅との連絡設備設置の許可を受けているが、結局工事に着手せず、1928年(昭和3年)6月に免許が失効した。(1928年6月9日付け官報
  2. ^ 大和鉱業経営悪化のため中止となった。このため同線で使用するはずであった1935年(昭和10年)に購入した国鉄7200形蒸気機関車3両は、浦幌炭砿と共に1936年(昭和11年)10月19日付けで雄別炭礦鉄道に譲渡され、雄別本線で使用された。
  3. ^ 1948年撮影航空写真(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス) 現・常豊信号場(当時はこの信号場は存在しない)浦幌側手前付近から北へ分岐して向かう未成線の跡が残る
  4. ^ それまでは専用道路をトラックにより当駅まで運炭していたが、冬期間の積雪や凍結などで通行不能になることが頻繁だった。炭砿の経営が大和鉱業から雄別炭礦鉄道に移って隣の尺別炭砿と同じ経営者となったため、鉄道のある尺別炭砿まで索道を設けた。しかしこれも冬期間の凍結によりゴンドラ落下などの運用障害がしばしば起きたため、抜本的な解決策として尺別側へ隧道を通して坑内電車軌道により運炭することが計画され、1939年(昭和14年)9月に工事開始、1941年(昭和16年)には尺浦通洞と呼ばれる延長約6kmの隧道が完成、軌道敷設及び試運転を経て1942年(昭和17年)11月より運炭が開始された。
  5. ^ アイヌ語ラテン翻字: urar-poro
  6. ^ アイヌ語ラテン翻字: orap-oro

出典

  1. ^ 日本国有鉄道旅客局(1984)『鉄道・航路旅客運賃・料金算出表 昭和59年4月20日現行』。
  2. ^ a b c d e f g 『JR釧路支社 鉄道百年の歩み』2001年12月 北海道旅客鉄道釧路支社 編集・発行。
  3. ^ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』1998年10月 JTB編集・発行。
  4. ^ a b c d 『釧路炭田』釧路叢書第14巻 1974年1月 釧路市発行。
  5. ^ a b c 『浦幌町史』 昭和46年3月発行。
  6. ^ 『釧路鉄道管理局史』1972年10月 釧路鉄道管理局 編集・発行。
  7. ^ アイヌ語地名リスト イチャエリ P11-20”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年10月20日閲覧。
  8. ^ 国土数値情報 駅別乗降客数データ - 国土交通省、2020年9月21日閲覧
  9. ^ 浦幌町コミュニティバス『浦バス』の運行について”. 浦幌町. 2018年5月27日閲覧。
  10. ^ 本別・浦幌生活維持路線バス”. 本別町. 2018年5月27日閲覧。

参考文献

  • 北海道旅客鉄道釧路支社編『JR釧路支社 鉄道百年の歩み』(2001年)
  • 浦幌町史 昭和46年3月発行。
  • 「尺別鉄道 50年の軌跡」 大谷正春著 昭和59年7月 ケーエス興産発行。
  • 沿線炭礦要覧 昭和12年2月 札幌鉄道局発行。
  • 釧路叢書 第14巻「釧路炭田」昭和49年1月 釧路市発行。

関連項目

外部リンク