死の組
死の組(しのくみ、Group Of Death)は、スポーツ用語の1つ。
主にスポーツ競技で、次ラウンドへの進出を懸けて行われるグループリーグ戦や予選において、その配分を決める抽選の結果、特定のグループに、有力候補に数えられている強豪チーム(国、クラブ)が次ラウンドに進出可能なチーム数より多く存在する状態を指す。
概要
バスケットボール、ラグビー、クリケット、アイスホッケーなどの競技でも用いられることがあるが、特にサッカーにおいて用いられるため、本項目ではサッカーにおける死の組について記述する。
死の組では、1つないし2つ以上の強豪チームがグループリーグ敗退に終わるため、抽選終了からグループリーグの終了に至るまでその成り行きは世界規模で注目を集め続ける。Group of Death(死の組)は非公式の用語であるが、FIFAワールドカップ本大会で初めて用いられ、サッカー選手をはじめとして多くのサッカー関係者やマスコミ、サポーター等に認識され、慣用句として世界各地の言葉で用いられている。
デヴィッド・ウォーレンは「トップシードされることが次ラウンド進出の最良の策であり、死の組を回避する最高の機会である」と発言している[1]。
サッカーのサポーターは自国が少しでも厳しい組に入ると「死の組」という単語を用いがちであり、George Vecseyは「サッカーでは、すべての国が『最も厳しい死の組に組み込まれた』と感じている」と述べている[2]。
歴史
巨人の戦い
1958 FIFAワールドカップ
「死の組」という言葉の基となったのは、1958年にスウェーデンで開催された1958 FIFAワールドカップの際に地元メディアが用いた「巨人の戦い」(瑞 : giganternas kamp、英 : battle of giants)という言葉である。[要出典]この大会のグループ4には、当時強豪とされていたブラジル、イングランド、ソビエト連邦、オーストリアが集結した。ペレやガリンシャなどを擁したブラジルが2勝1分の勝ち点5で首位通過したが、レフ・ヤシンなどを擁したソビエト連邦(1勝1分1敗)とボビー・ロブソンなどを擁したイングランド(3分)は勝ち点・得失点差・得点・失点・当該国間の対戦成績のすべてで並んだためにプレーオフが行われ、1-0で勝利したソビエト連邦が決勝トーナメントに進出した。
ブラジル | ソビエト連邦 | イングランド | オーストリア | 得点 | 失点 | 勝ち点 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
ブラジル | – | 2-0 | 0-0 | 3-0 | 5 | 0 | 5 |
ソビエト連邦 | 0-2 | – | 2-2 | 2-0 | 4 | 4 | 3 |
イングランド | 0-0 | 2-2 | – | 2-2 | 4 | 4 | 3 |
オーストリア | 0-3 | 0-2 | 2-2 | – | 2 | 7 | 1 |
死の組
1970 FIFAワールドカップ
「死の組」(西 : grupo de la muerte、英 : group of death)と初めて表現されたのは、1970年にメキシコで開催された1970 FIFAワールドカップである。この大会のグループ3には、前回大会優勝のイングランド、2度の優勝を誇るブラジル、前々回大会準優勝のチェコスロバキア、ルーマニアと実力国が集中し、メキシコのジャーナリストであるジョアン・サルダーニャが「死の組」という言葉を作った。[3][4][5][6] 伝統的に強豪国が揃う欧州サッカー連盟(UEFA)と南米サッカー連盟(CONMEBOL)の国のみで成り立つグループはグループ3だけであった。この呼び名は英語圏のメディアで繰り返し用いられた[7][8][9][10][11][12][13]。
ブラジル | イングランド | ルーマニア | チェコ スロバキア |
得点 | 失点 | 勝ち点 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
ブラジル | – | 1-0 | 3-2 | 4-1 | 8 | 3 | 6 |
イングランド | 0-1 | – | 1-0 | 1-0 | 2 | 1 | 4 |
ルーマニア | 2-3 | 0-1 | – | 2-1 | 4 | 5 | 2 |
チェコスロバキア | 1-4 | 0-1 | 1-2 | – | 2 | 7 | 0 |
1978 FIFAワールドカップ
開催国のアルゼンチン、2度優勝のイタリア、ミシェル・プラティニを擁するフランス、準優勝2度の古豪ハンガリーがグループ1に集った。2戦目を終えてイタリアとアルゼンチンが2勝、フランスとハンガリーが2敗であった。すでに1次リーグ突破を決めていたイタリアとアルゼンチンは3戦目に直接対決し、1-0で勝利したイタリアが1位通過となった。イタリアは2次リーグで2位となり、3位決定戦ではブラジルに敗れた。アルゼンチンは2次リーグで首位となり、決勝ではマリオ・ケンペスの2得点などでオランダを破って初優勝を果たした。
イタリア | アルゼンチン | フランス | ハンガリー | 得点 | 失点 | 勝ち点 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
イタリア | – | 1-0 | 2-1 | 3-1 | 6 | 2 | 6 |
アルゼンチン | 0-1 | – | 2-1 | 2-1 | 4 | 3 | 4 |
フランス | 1-2 | 1-2 | – | 3-1 | 5 | 5 | 2 |
ハンガリー | 1-3 | 1-2 | 1-3 | – | 3 | 8 | 0 |
1982 FIFAワールドカップ
メキシコでは、1982年にスペインで開催された1982 FIFAワールドカップの際も死の組という表現が用いられた[14]。2次リーグのグループCは前回大会優勝のアルゼンチン、2度の優勝を誇るイタリア、3度の優勝を誇るブラジルが集ったが、3ヶ国の中で準決勝に進出できるのはわずか1ヶ国であった[15]。第1戦ではイタリアが、第2戦ではブラジルがアルゼンチンに勝利し、第3戦は突破を懸けたイタリアとブラジルの直接対決となった。イタリアがリードしてブラジルが追いつくという展開が2度続いたが、パオロ・ロッシのハットトリックでイタリアが3-2と勝利し、準決勝進出を決めた。イタリアは準決勝でポーランドを、決勝で西ドイツを下し、3回目の優勝を飾った。
イタリア | ブラジル | アルゼンチン | 得点 | 失点 | 勝ち点 | |
---|---|---|---|---|---|---|
イタリア | – | 3-2 | 2-1 | 5 | 3 | 4 |
ブラジル | 2-3 | – | 3-1 | 5 | 4 | 2 |
アルゼンチン | 1-2 | 1-3 | – | 2 | 5 | 0 |
1986 FIFAワールドカップ
1986 FIFAワールドカップの組み合わせ抽選後、ウルグアイのオマル・バロス監督はウルグアイ、ドイツ、デンマーク、スコットランドが集ったグループEを死の組と表現して世間に広まった[16][17]。この大会から94年大会までは、4ヶ国中2ヶ国ないし3ヶ国が決勝トーナメントに進出できることになっており、結果的に死の組でグループリーグ敗退に終わったのはスコットランドだけであった。ウルグアイはグループの行方を決するスコットランド戦でラフプレーを繰り返して批判されたが、バロス監督は「死の組? ああ、今日のグラウンドには人殺しがいたよ。主審(フランス人審判のJoël Quiniou)だ」と発言した[18]。
1990 FIFAワールドカップ
1990 FIFAワールドカップのグループFにはイングランド、アイルランド、オランダ、エジプトが揃ったが、グループリーグ6試合中5試合が引き分けとなり、首位のイングランド(1勝2分、勝ち点4)から最下位のエジプト(1敗2分、勝ち点2)までの勝ち点差がわずか2であった[19]。アイルランドとオランダは勝ち点・得失点差・得点・当該国間の対戦成績すべてで並んだためにくじ引きが行われ、アイルランドが2位でオランダが3位となった。各グループ3位国同士の比較でオランダも決勝トーナメントに進出している。オランダはベスト16、アイルランドはベスト8、イングランドはベスト4となった。グループFの他に、アルゼンチン、カメルーン、ソビエト連邦、ルーマニアが揃ったグループBも死の組と呼ばれた。
イングランド | アイルランド | オランダ | エジプト | 得点 | 失点 | 勝ち点 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
イングランド | – | 1-1 | 0-0 | 1-0 | 2 | 1 | 4 |
アイルランド | 1-1 | – | 1-1 | 0-0 | 2 | 2 | 3 |
オランダ | 0-0 | 1-1 | – | 1-1 | 2 | 2 | 3 |
エジプト | 0-1 | 0-0 | 1-1 | – | 1 | 2 | 2 |
1994 FIFAワールドカップ
1994 FIFAワールドカップのグループEはメキシコ、アイルランド、イタリア、ノルウェーが揃ったが、4ヶ国すべてが1勝1分1敗の勝ち点4で並び、得失点差もすべての国がプラスマイナスゼロであった。メキシコが最多の3得点を挙げていたため首位通過が決まり、アイルランドとイタリアは2得点で並んだが、直接対決の結果でアイルランドが2位、イタリアは3位で決勝トーナメントに進出した[20]。
メキシコ | アイルランド | イタリア | ノルウェー | 得点 | 失点 | 勝ち点 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
メキシコ | – | 2-1 | 1-1 | 0-1 | 3 | 3 | 4 |
アイルランド | 1-2 | – | 1-0 | 0-0 | 2 | 2 | 4 |
イタリア | 1-1 | 0-1 | – | 1-0 | 2 | 2 | 4 |
ノルウェー | 1-0 | 0-0 | 0-1 | – | 1 | 1 | 4 |
UEFA欧州選手権1996
強豪国の定義をFIFAランキングに委ねるとすれば、史上最高の「死の組」はUEFA欧州選手権1996のグループCである。このグループにはFIFAランキング2位のドイツ、3位のロシア、7位のイタリア、10位のチェコが揃った[21][16][22]。チェコとイタリアは首位のドイツに次いで勝ち点で並び、得失点差ではイタリアが上回っていたが同勝ち点の際の順位は得失点差よりも直接対決が優先されており、チェコのグループリーグ突破、イタリアのグループリーグ敗退となった。
ドイツ | チェコ | イタリア | ロシア | 得点 | 失点 | 勝ち点 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
ドイツ | – | 2-0 | 0-0 | 3-0 | 5 | 0 | 7 |
チェコ | 0-2 | – | 2-1 | 3-3 | 5 | 6 | 4 |
イタリア | 0-0 | 1-2 | – | 2-1 | 3 | 3 | 4 |
ロシア | 0-3 | 3-3 | 1-2 | – | 4 | 8 | 1 |
UEFA欧州選手権2000
UEFA欧州選手権2000では共同開催国のオランダ、当時の世界チャンピオンであるフランス、前回大会の準優勝国チェコ、前々回大会の優勝国デンマークが揃ったグループDが困難なグループに思えた。ドイツ、ルーマニア、ポルトガル、イングランドが同組となったグループAも強豪がそろい、各国のサポーターやジャーナリストはどちらが死の組であるか楽しげに議論を繰り広げた[23]。
2002 FIFAワールドカップ
2002 FIFAワールドカップの際にイギリスのガーディアン紙はスウェーデン、イングランド、アルゼンチン、ナイジェリアが揃ったグループFを「死の組」と表現し[16][24]、ドイツ、アイルランド、カメルーン、サウジアラビアが揃ったグループEを「もうひとつの死の組」と表現した[25]。遺恨を残すイングランドとアルゼンチン、アフリカ最高と評されるナイジェリア、イングランドのスヴェン・ゴラン・エリクソン監督の母国であるスウェーデンが揃ったグループFは、6試合中3試合が引き分けとなる混戦だった。イングランドはスウェーデンとナイジェリアに引き分けたが、札幌で行われたアルゼンチン戦ではデヴィッド・ベッカムが決めたPKを守りきって勝利し、2位での決勝トーナメント進出を決めた。ナイジェリアに勝利してイングランドとアルゼンチンに引き分けたスウェーデンが首位通過し、下馬評が高かったアルゼンチンは3試合で勝ち点4しか挙げられずに敗退した。
韓国国内では、開催国である自国とアメリカ、ポルトガル、ポーランドが揃ったグループDを「真の死の組」と呼んだ[26]。
スウェーデン | イングランド | アルゼンチン | ナイジェリア | 得点 | 失点 | 勝ち点 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
スウェーデン | – | 1-1 | 1-1 | 2-1 | 4 | 3 | 5 |
イングランド | 1-1 | – | 1-0 | 0-0 | 2 | 1 | 5 |
アルゼンチン | 1-1 | 0-1 | – | 1-0 | 2 | 2 | 4 |
ナイジェリア | 1-2 | 0-0 | 0-1 | – | 1 | 3 | 1 |
2006 FIFAワールドカップ
2006 FIFAワールドカップでは、アルゼンチン、オランダ、コートジボワール、セルビア・モンテネグロが揃ったグループC[27][28]、イタリア、ガーナ、アメリカ、チェコが揃ったグループEのふたつが死の組とみなされた[29]。グループCのアルゼンチンはコートジボワールを2-1で破って幸先よくスタートし、セルビア・モンテネグロは6-0で粉砕した。オランダも2連勝でアルゼンチンとの最終戦を迎えたため、この試合は半ば消化試合となり、両者揃って決勝トーナメント進出を決めた。オランダは決勝トーナメント1回戦でポルトガルに敗れた。アルゼンチンは準々決勝に進出し、ドイツ戦を優勢に進めていたが、PK戦の末に敗れてトロフィーに届かなかった。
アルゼンチン | オランダ | コート ジボワール |
セルビア・ モンテネグロ |
得点 | 失点 | 勝ち点 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
アルゼンチン | – | 0-0 | 2-1 | 6-0 | 8 | 1 | 7 |
オランダ | 0-0 | – | 2-1 | 1-0 | 3 | 1 | 7 |
コートジボワール | 1-2 | 1-2 | – | 3-2 | 5 | 6 | 3 |
セルビア・モンテネグロ | 0-6 | 0-1 | 2-3 | – | 2 | 10 | 0 |
2007 FIFA女子ワールドカップ
2007 FIFA女子ワールドカップのグループBは、当時のFIFA女子ランキング上位5ヶ国中3ヶ国(1位のアメリカ、3位のスウェーデン、5位の北朝鮮) に加え、取るに足らない存在のナイジェリア(24位)が同組となった[30][31]。
2010 FIFAワールドカップ
2010 FIFAワールドカップでは、FIFAランキングが5位以内のブラジルとポルトガル、FIFAランキングがアフリカの国の中で2位のコートジボワールが揃ったグループGが死の組と呼ばれた[32]。北朝鮮は他の3ヶ国と比べて実力が遥かに劣るため、かませ犬と表現された[33]。総合力の高いブラジルが一歩抜き出て、クリスティアーノ・ロナウドを擁するポルトガル、ディディエ・ドログバを擁するコートジボワールがブラジルに挑むという構図であった。
ブラジル | ポルトガル | コート ジボワール |
北朝鮮 | 得点 | 失点 | 勝ち点 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
ブラジル | – | 0-0 | 3-1 | 2-1 | 5 | 2 | 7 |
ポルトガル | 0-0 | – | 0-0 | 7-0 | 7 | 0 | 5 |
コートジボワール | 1-3 | 0-0 | – | 3-0 | 4 | 3 | 4 |
北朝鮮 | 1-2 | 0-7 | 0-3 | – | 1 | 12 | 0 |
脚注
- ^ Warren, David (2009年9月10日). “Road to South Africa”. Goal. New York Times. 2009年12月4日閲覧。
- ^ Vecsey, George (16 August 2007). “An American In the World Cup Is Dreaming Big”. New York Times 2009年12月4日閲覧。
- ^ Jenkins, Garry; Pedro Redig, Antonio Pires Soares (1998). The beautiful team: in search of Pelé and the 1970 Brazilians. Simon & Schuster. p. 22. ISBN 0684819554
- ^ Motson, John; Nick Brownlee (2006). Motson's World Cup Extravaganza. Robson. p. 171. ISBN 1861059361
- ^ AP (2002年). “México 1970” (Spanish). El Mercurio Online. 2009年12月3日閲覧。
- ^ “Futbol” (Spanish). Hispano Americano; semanario de la vida y la verdad (Mexico: Tiempo) 57: 66, 103. (1970).
- ^ “World Cup Briefs”. United Press International. (1986年5月19日)
- ^ Lief, Fred (1986年5月22日). “World Cup Roundup”. United Press International
- ^ Chad, Norman (1986年5月25日). “World's Eyes on Mexico: Month-Long Tournament Beginning May 31 Will Be Magnet for Hundreds of Million”. Washington Post: p. B4
- ^ Brown, Brian (1986年6月1日). “All the World Cup's a stage for soccer epic”. San Diego Union-Tribune: p. H-1
- ^ Lief, Fred (1986年6月14日). “Sports News”. United Press International
- ^ Warshaw, Andrew (1986年6月24日). “Sports News”. Associated Press
- ^ Lacey, David (1999年12月9日). “Soccer: Nobody gets to be drawn until the fat guy sings - The Eternal City on the hopes, fears and ephemera surrounding this afternoon's World Cup lucky dip”. The Guardian (London)
- ^ “Mundial” (Spanish). Razones (Mexico: Decanova) (67): 59. (26 July 1982).
- ^ “Brazil: the unfinished samba”. Previous FIFA World Cups (FIFA). (2005年7月26日) 2009年12月3日閲覧。
- ^ a b c Lacey, David (2004年6月7日). “Dial D for death: Three previous winners in one group is a sign of the times”. The Guardian
- ^ Lacey, David (1988年11月15日). “Robson landed with a flight of fancy; David Lacey on England's Concorde trip to Saudi Arabia for a friendly in the Gulf which stretches the credibility gap”. The Guardian: p. 18
- ^ Gardner, Paul (1994). The simplest game: the intelligent fan's guide to the world of soccer (2nd ed.). Collier. p. 96. ISBN 0020432259
- ^ Jones, Stuart (1990年6月14日). “Speculation not for Robson”. The Times (Cagliari)
- ^ Haydon, John (1994年7月3日). “First-round games full of goals and upsets”. Washington Times (Washington): p. C8
- ^ Ashdown, John; Alan Gardner, James Dart (2007年12月12日). “The Knowledge: the deadliest group of death ever”. The Guardian 2009年12月3日閲覧。
- ^ Wilson, Paul (2005年12月11日). “An easy group? Draw your own conclusions”. The Observer 2009年12月3日閲覧。
- ^ Collins, Roy (2000年6月19日). “Milosevic breathes life into the group of death”. The Guardian: p. A5 2009年12月3日閲覧。
- ^ “World Cup 2002: Russia's group”. The Guardian. (2001年12月2日) 2009年12月3日閲覧。
- ^ "Mr Prospector" (2002年5月26日). “Best bets: stick with France and ignore the buzz”. The Guardian: p. 8 (Sport)
- ^ Brodkin, Jon (2002年6月11日). “Korea get attack of the jitters after Friedel frustrates”. The Guardian: pp. D10-11 2009年12月3日閲覧。
- ^ Walker, Michael (2006年6月10日). “Kezman's inside knowledge of Holland may see Serbs strike fatal blow in Group of Death”. The Guardian (Leipzig) 2009年12月3日閲覧。
- ^ Kelso, Paul (2005年12月10日). “Argentina join the Dutch in group of death”. The Guardian 2009年12月3日閲覧。
- ^ Vecsey, George (2006年6月22日). “Simple Math for U.S.: Victory Is Only Option”. New York Times 2009年12月4日閲覧。
- ^ Ruibal, Sal (2007年9月12日). “USA's group tied in knots after World Cup openers”. USA Today 2009年12月17日閲覧。
- ^ Hays, Graham (2007年4月23日). “U.S. women face Group of Death scenario again”. ESPNsoccernet 2009年12月17日閲覧。
- ^ 出場チーム G組 日刊スポーツ
- ^ “2010: Group G: Brazil/North Korea/Ivory Coast/Portugal”. Groups of Death in World Cup History. Sports Illustrated. 2010年6月26日閲覧。
外部リンク
- Ollie (2007年12月3日). “The top seven World Cup Groups of Death”. Who ate all the Pies. 2011年11月13日閲覧。
- Adams, Tom (2009年12月4日). “Five of the best Groups of Death”. soccernet. ESPN. 2009年12月4日閲覧。