平野達男

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平野 達男
ひらの たつお
生年月日 (1954-05-02) 1954年5月2日(70歳)
出生地 日本の旗 岩手県北上市
出身校 東京大学農学部卒業
アイオワ州立大学大学院修了
前職 農林水産省農村振興局
設計課技術調査官
現職 民主党岩手県総支部連合会
副代表
民主党岩手県参議院選挙区
第一総支部総支部長
所属政党自由党→)
民主党
称号 修士(アイオワ州立大学)
公式サイト 参議院議員 平野たつお公式Webサイト

日本の旗 初代 復興大臣
内閣 野田改造内閣
在任期間 2012年2月10日 - 現職

内閣 野田内閣
野田改造内閣
在任期間 2011年9月2日 - 2012年2月10日

日本の旗 内閣府特命担当大臣
(防災担当)
内閣 菅第2次改造内閣
在任期間 2011年7月5日 - 2011年9月2日

選挙区 岩手県選挙区
当選回数 2回
在任期間 2001年7月29日 - 現職
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平野 達男(ひらの たつお、1954年5月2日 - )は、日本農林官僚政治家学位修士アイオワ州立大学)。参議院議員(2期)。復興大臣初代)、東日本大震災総括担当大臣。

参議院農林水産委員長、参議院予算委員長内閣府特命担当大臣(防災担当)などを歴任した。

来歴

生い立ち

岩手県北上市生まれ[1][2]岩手県立水沢高等学校[2]理数科[1]東京大学農学部農業工学科卒業。1977年農林省に入省。なお平野が入省した翌年、農林省は農林水産省に改編された。農水省では本省での勤務の他、直轄土地改良事務所での勤務も経験し、技官を務めた[2]。また出生地である岩手県への出向も経験している[2]。在職中、アイオワ州立大学大学院に留学し、修士号を取得[2]2001年に農水省を退官。

同年、第19回参議院議員通常選挙自由党公認で岩手県選挙区から出馬し、初当選を果たした。2003年民由合併により、民主党に入党。2007年第21回参議院議員通常選挙では同党公認で再選。

菅政権

2010年簗瀬進参議院予算委員長が第22回参議院議員通常選挙で落選したため、後任の参院予算委員長に就任した。同年9月、菅第1次改造内閣内閣府副大臣に任命される(参院予算委員長の後任は前田武志)。2011年1月発足の菅第2次改造内閣でも再任。

同年7月、平野の前任として内閣府特命担当大臣(防災担当)及び3月11日東日本大震災を受けて「東日本大震災からの復興のための施策を政府一体となって推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」を担当していた松本龍が、7月3日に被災地を訪れた際宮城県知事村井嘉浩岩手県知事達増拓也らに対して不適切な発言を行ったとして辞任。後任人事は難航したが、結局内閣府副大臣の平野が昇格する形で、松本の後任に任命された[3]。なお宮中では節電に取り組んでおり、震災発生以降は皇居宮殿の使用を極力減らす方針を取っていた[4]ため、平野の認証式は皇居宮殿ではなく御所で行われた[5][6]。なお平野の後任の内閣府副大臣には、山口壮が任命された。

野田政権

野田内閣にて内閣府特命担当大臣(防災担当)に再任された[7]。また、国務大臣としての所管事項として「東日本大震災からの復興のための施策を政府一体となって推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」[7]も引き続き担当することになった。野田改造内閣でも留任し、そのまま継続して内閣府特命担当大臣(防災担当)を務めるとともに、「東日本大震災からの復興のための施策を政府一体となって推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」も所管することになった。

2012年2月10日復興庁の設置に伴い、野田改造内閣において初代復興大臣に就任。これにより内閣府特命担当大臣(防災担当)は退任し、復興大臣専任となった。また2月14日には新たに『東日本大震災総括担当大臣』に任命された[8]

人物

  • 民主党内では小沢グループ及び玄葉グループに属している。2011年7月11日、党員資格停止処分を受けている小沢について「(震災の復興に)活用することが国難を乗り切る上でプラスと判断されるなら、党内事情は一時棚上げ、取り消しは当然あってしかるべきだ」と述べた[10]。一方、2011年民主党代表選挙では小沢の支持する海江田万里ではなく野田佳彦を支持した[11]
  • TPPについて、2011年7月14日のインタビューで「基本的には参加すべきだ」とした上で「国難の状況下で、TPPは国論を二分する。いまは復旧・復興に重点を置くのはやむをえないと思う」と述べた[12]
  • ZAKZAKによると、2011年3月の東日本大震災に伴い発生した福島第一原子力発電所事故に関連して、原子力委員会の専門委員を務める青山繁晴が4月22日に現場で取材したところ、内閣府の官僚から電話で「なぜ、こんなことをしたのか」と詰問された。許可を得ているとの反論に官僚が詫びて収まったが、再度この官僚から「内閣府の原子力委員会担当の副大臣(平野)がお怒りだ」と電話があり、代わって電話に出た平野に青山が法的根拠と権限を問うたところ「権限はない。ただ副大臣として聞いておきたいから聞いている」と答えたという。また青山は、平野を含む首相官邸側から警察に対し、青山を逮捕するよう圧力がかけられたと話している[13]
  • 2011年10月18日に開かれた民主党参院議員らの研修会にて、「ここの高さに逃げていれば大丈夫だと言ってみんなで20-30人そこで集まっててそこに津波が来てのみ込まれた方々もいます。逆に、私の高校の同級生みたいに逃げなかったバカな奴もいます。彼は亡くなりましたけれども。バカな奴って今言ってもしようがないんですけどね」と発言[14]。この発言に対し野党から被災者への配慮に欠けるとの指摘があり、同日夜の会見で「字面にすると、逃げなかった人はバカだみたいな報道になっているが、普段から防災教育を受けて逃げた例もある。なぜ逃げなかったのか。それも今回の重要な検証の課題であり次の震災にしっかり備えるということを言いたかったが、あの瞬間だけその同級生への個人的な思いが重なってああいう表現になった。不快な思いされたのなら本意ではないし、その表現の稚拙さをおわび申し上げたい。」と釈明した[15][16]

年譜

脚注

  1. ^ a b 「プロフィール」『プロフィール』。
  2. ^ a b c d e 「経歴」『プロフィール』。
  3. ^ 「人事異動」『官報』5592号、国立印刷局2011年7月7日、8面。
  4. ^ 「皇居と御所、計画停電に合わせ電力使用取り止め」『皇居と御所、計画停電に合わせ電力使用取り止め : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)読売新聞2011年3月14日
  5. ^ 「認証式を初めて御所で実施」『認証式を初めて御所で実施 - MSN産経ニュース産経デジタル2011年7月5日
  6. ^ 真鍋光之「認証官任命式:平野復興相、山口副内閣相――節電対策、御所で」『認証官任命式:平野復興相、山口副内閣相 節電対策、御所で - 毎日jp(毎日新聞)毎日新聞社2011年7月6日
  7. ^ a b 「人事異動」『官報』号外特43号、国立印刷局2011年9月2日、1面。
  8. ^ 野田首相、平野氏を「震災総括担当」に任命 防災強化へ教訓まとめる 産経新聞 2012年2月14日閲覧
  9. ^ 「空手道牙城會館――役員の紹介」『役員紹介|空手道牙城會館空手道牙城會館
  10. ^ asahi.com2011年7月11日
  11. ^ 日本経済新聞 2011年9月3日朝刊
  12. ^ asahi.com2011年7月15日
  13. ^ ZAKZAK2011年7月8日
  14. ^ 【平野復興相発言】平野氏の発言要旨 - MSN産経ニュース2011年10月18日。ただし記事中の発言内容は実際の音声とやや異なる
  15. ^ 産経ニュース2011年10月18日
  16. ^ [1] 日刊スポーツ 平野復興担当相亡くなった友思うあまり… 2011年10月18日
  17. ^ 黒沢尻町を中心とした町村合併による北上市発足(1954年4月1日)から間もないころである。

関連項目

外部リンク

公職
先代
創設
日本の旗 復興大臣
初代:2012年 -
次代
現職
先代
松本龍
日本の旗 特命担当大臣防災
第19・20代:2011年 - 2012年
次代
中川正春
議会
先代
簗瀬進
日本の旗 参議院予算委員長
2010年
次代
前田武志
先代
郡司彰
日本の旗 参議院農林水産委員長
2009年
次代
小川敏夫