山口壮
| 生年月日 | 1954年10月3日(58歳) |
|---|---|
| 出身地 | |
| 出身校 | 東京大学法学部 ジョンズ・ホプキンズ大学SAIS |
| 学位・資格 | 法学士 国際政治学博士 |
| 前職 | 国家公務員(外務省) |
| 所属委員会 | 外務委員会(理事) |
| 世襲 | 無 |
| 選出選挙区 | (兵庫12区→) (比例近畿ブロック→) 兵庫12区 |
| 当選回数 | 4回 |
| 所属党派 | (新進党→) (無所属→) (無所属の会→) 民主党(羽田・玄葉グループ) |
| 党役職 | 兵庫県第12区総支部長 |
| 会館部屋番号 | 衆議院第2議員会館521号室 |
| ウェブサイト | 公式サイト |
山口 壮(やまぐち つよし、1954年10月3日- )は日本の政治家。民主党所属の衆議院議員(4期)。
外務副大臣(野田内閣・野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣)、内閣府副大臣(菅第2次改造内閣)、民主党政策調査会筆頭副会長等を務めた。
「壮」の字の正式な表記は「壯」。
目次 |
[編集] 来歴
兵庫県相生市生まれ。淳心学院中学校・高等学校、東京大学法学部卒業。1979年、外務省に入省し、同省経済局国際機関第二課に配属される。同期入省には伊原純一(外務省北米局長)、小林弘裕(駐ボツワナ特命全権大使)らがいる。1980年より在アメリカ合衆国日本大使館に勤務するかたわら、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院で学び、修士号を取得。1989年には同大学で博士号を取得した。
外務省経済協力局政策課や、防衛庁防衛局運用課を経て、1986年外務省経済局国際経済第一課課長補佐、1987年外務省情報調査局安全保障政策室首席事務官、1989年在中華人民共和国日本大使館一等書記官、1991年在パキスタン日本大使館一等書記官、1993年在イギリス日本大使館一等書記官、1995年外務省総合外交政策局国際科学協力室長。
新進党幹事長であった小沢一郎の誘いを受け、1995年に外務省を退官。翌1996年、新進党公認で兵庫県第12区から出馬したが、通商産業大臣や経済企画庁長官を歴任した河本敏夫の子息で、自由民主党公認の河本三郎に敗れ、落選。新進党解党後、2000年の第42回衆議院議員総選挙に再び兵庫県第12区から無所属で出馬し、前回敗れた河本を下して初当選を果たした。その後無所属の会に入党し、2003年の第43回衆議院議員総選挙には同党公認で出馬するが、河本に敗れた。
2005年の第44回衆議院議員総選挙でも河本に兵庫12区で敗れたが、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活し、2年ぶりに返り咲きを果たした。2006年、小沢一郎民主党代表(当時)の下、次の内閣の外務大臣に就任。2009年の第45回衆議院議員総選挙では兵庫12区で河本を破り、3選。
2011年3月、「日本のグランド・デザイン」研究会(玄葉光一郎グループ)を発足させ、代表世話人に就任した。同年7月、松本龍の辞任による平野達男内閣府副大臣の復興担当大臣就任に伴い、後任の内閣府副大臣(国家戦略担当)に任命される。同年9月発足の野田内閣では外務副大臣に任命され、野田第2次改造内閣まで務める。
2012年の第46回衆議院議員総選挙では民主党に猛烈な逆風が吹き荒れる中、兵庫12区で4選を果たした。
[編集] 政策・主張
- 2006年10月13日の衆議院本会議において、当時の安倍晋三首相が掲げたキャッチフレーズ「美しい国」について、「うつくしいくに、逆から読むと、にくいしくつう(美しい国は憎いし苦痛)」であり、「一見立派な政策構想が現実には格差を広げ、国民の負担は増える一方」と批判した[1]。
- 2009年9月11日、民主党の次の内閣防衛副大臣の立場で、自民党政権が進めてきたミサイル防衛について「役に立たない、撃ち落せる確率は100分の1か2ぐらいだ」、「爆撃機を対空防衛で落とせる確率は20〜30%と言われている」など、現在の軍備に疑問を呈している[2]。
- 北朝鮮への外交姿勢については「拉致問題で完全に北朝鮮が認めれば日本の援助が始まり、北朝鮮の民主的な傾向が強くなる。時間はかかるがそれしかない」との考えを示した[3]。
- 2009年5月15日、北朝鮮によるミサイル発射実験が行われると、「6者協議が機能していない。完全に麻生外交は破綻している」と麻生内閣を非難した[4]。
- 2010年10月20日、BSフジLIVE プライムニュースに出演した際、司会者から尖閣諸島中国漁船衝突事件で中国が日本に配慮したことが一度でもあるのかと訊かれ、「海保に拘束された中国の漁船員が日中関係を配慮し、海保側から受けた乱暴な取り扱いについて口をつぐんでいる」と発言した。
- 2011年9月15日、外務省での記者会見において、大韓民国政府が提起した従軍慰安婦問題について新たな政府間協議の設置について「(日韓基本条約を締結して)法的には解決済みだ」として、政府間協議には応じない考えを示しながらも「どんな状況があるかよく話し合っていけばいい」とも述べ、韓国政府との対話は続ける意向を示した[5]。
- 日本国憲法の改正、集団的自衛権の行使を禁じる内閣法制局の憲法解釈の見直しに賛成[6]。
[編集] 人物
- 好きな言葉は「道なきところに道をひらき、不可能を可能にする」。
- 尊敬する人物は、外務省出身の大先輩である吉田茂元首相。
[編集] 親族・親戚
- 妻の曽祖父
- 森国造(元衆議院議員)
- 妻の祖父
- 妻の叔父
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: 伴野豊・高橋千秋 |
山根隆治と共同 2011 - 2012 |
次代: 吉良州司・榛葉賀津也 |
| 先代: 東祥三・末松義規・平野達男 |
東祥三・末松義規と共同 2011 |
次代: 石田勝之・後藤斎・中塚一宏 |
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