寶智山幸観

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寶智山幸勘
入場する寶智山
基礎情報
四股名 寶智山 幸勘
本名 棟方 幸観
愛称 ムナカタ
生年月日 (1982-01-18) 1982年1月18日(42歳)
出身 青森県弘前市
身長 189cm
体重 147kg
BMI 41.15
所属部屋 中立部屋境川部屋
得意技 突き、右四つ、寄り
成績
現在の番付十両3枚目
最高位 西前頭14枚目
生涯戦歴 362勝334敗(73場所)
幕内戦歴 26勝49敗(5場所)
優勝 十両優勝1回、序ノ口優勝1回
データ
初土俵 2000年3月場所
入幕 2006年9月場所
趣味 睡眠
備考
2011年5月21日現在

寶智山 幸勘(ほうちやま こうかん、1982年1月18日 - )は、青森県弘前市出身で境川部屋(入門時は中立部屋)所属の現役大相撲力士。本名は棟方幸観(むなかた ゆきみ)。身長188cm、体重150kg、血液型はO型。得意手は突き、右四つ、寄り。最高位は西前頭14枚目(2006年9月場所、2007年5月場所)。なお、「寶」という文字は常用漢字外であるため新聞・雑誌などでは宝智山と表記されることが多い。

来歴

幼い頃から相撲を始め、木造高校時代には全国大会に出場するなど活躍した。進路に迷っていた時期もあったが、高校時代の監督が元小結舞の海と同級生であったため、木造高校OBでもある舞の海に紹介され角界入りを薦められた。そして、高校卒業と同時に、舞の海の兄弟子が師匠の中立部屋(2003年から境川部屋に改称)に入門。2000年3月場所に初土俵を踏んだ。

翌5月場所にはいきなり序ノ口優勝するなど、順調に番付を上げて行き、初土俵から2年で幕下に昇進した。しかしこの頃から、押し相撲とも四つ相撲とも言えない中途半端な相撲が多くなり、幕下中位で苦労した。2004年頃から本来の四つ相撲が取れるようになり、幕下上位でも安定した成績を残せるようになった。だが2度も東幕下筆頭で負け越しを経験し、また、東幕下9枚目で6連勝しながら勝てば十両昇進確実となる七番相撲を落とすなど、勝負弱さも目立った。また東幕下3枚目で4勝3敗と勝ち越しながら、東5枚目で5勝2敗の鶴竜が昇進するなど、番付運にも泣かされ、計6回の十両昇進の機会を掴み損ねた。

しかしここで腐らず稽古に精進し2006年1月場所には西幕下4枚目で4勝3敗と勝ち越し。場所後の1月25日の番付編成会議で翌3月場所の十両昇進が決定した。その場所は7勝7敗から入れ替え戦でこれまで苦手としていた高見藤を倒して8勝7敗で勝ち越し、翌5月場所は10勝し、優勝決定戦に進出したが敗れた。そして7月場所は幕下上位で重圧に晒され続けた経験を活かし、優勝のかかるプレッシャーをものともせず力強い相撲で13勝2敗の好成績を上げて十両優勝を果たし、新入幕を果たした。

新入幕の2006年9月場所では5勝10敗と負け越し、11月場所では十両に陥落し、再入幕も期待されたが、やはり14日目に負け越した。その後2007年3月場所で十両上位で勝ち越し、再入幕を決めた。2007年5月場所では前頭14枚目の位置で、12日目まで5勝7敗と苦戦しながらも踏みとどまったが、6勝9敗と3点の負け越しで場所を終わった。7月場所では幕尻の前頭16枚目に下がったものの十両陥落は免れたが、12日目に旭天鵬に敗れて負け越しが決定。9月場所では東十両筆頭に陥落し13日目まで6勝7敗で踏みとどまったが、14日目に負け越しが決まり7勝8敗で取り終えた。

その後は11月場所の6勝9敗、2008年1月場所の7勝8敗と小幅の負け越しが続き十両上位に留まっていたが、3月場所は糖尿病による体調不良が悪化し2勝13敗と大きく負け越してしまったため、西十両6枚目の地位であったが幕下へ陥落した。5月場所も体調は戻らず2勝5敗と大きく負け越した。7月場所では4勝3敗と8場所ぶりに勝ち越し、9月場所も勝ち越したが以降は幕下10枚目前後に停滞する。

2010年に入ると体調が回復したのか、西幕下筆頭で迎えた同年5月場所で5勝2敗と勝ち越し、翌7月場所での返り十両を決めた。

評価

2006年9月場所では北の富士勝昭(元横綱、NHK大相撲専属解説者)も「なかなか雰囲気のある力士だね。双葉山関の面影を思い出したよ」と評していた。

その他

goo大相撲の大相撲名鑑では、新十両時に黒廻しまたは胸上アップの画像が掲載され、通常は幕内昇進時に化粧廻しを締めたものに更新されるが、寶智山のみ新十両時から変わらず黒廻しのままになっていた。再入幕時も更新されなかったため、次の更新時期である三役昇進まで黒廻しのままであると思われていたが、十両3枚目の2010年9月場所直前に化粧回し姿の写真に差し替えられた(だが何故かその場所の新入幕力士である蒼国来旭南海の画像は更新されなかった)。また、ページの通し番号が「2222」である(若い番号は作成開始時の力士に割り振られ、その後は入門順に番号が割り振られている)。

主な成績

2012年5月場所終了現在

通算成績

  • 通算成績:362勝334敗(73場所)
  • 幕内成績:26勝49敗(5場所)
  • 十両成績:145勝140敗(19場所)

各段優勝

  • 十両優勝:1回(2006年7月場所)
  • 序ノ口優勝:1回(2000年5月場所)

場所別成績

                                                            
寶智山 幸勘[1]


一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2000年
(平成12年)
x (前相撲) 東序ノ口14枚目
7–0 
西序二段25枚目
4–3 
東序二段7枚目
3–4 
東序二段27枚目
7–0 
2001年
(平成13年)
西三段目30枚目
2–5 
西三段目51枚目
3–4 
東三段目65枚目
5–2 
西三段目31枚目
3–4 
西三段目47枚目
5–2 
西三段目22枚目
3–4 
2002年
(平成14年)
東三段目37枚目
6–1 
西幕下52枚目
4–3 
東幕下46枚目
4–3 
西幕下37枚目
3–4 
西幕下50枚目
5–2 
西幕下28枚目
3–4 
2003年
(平成15年)
東幕下37枚目
6–1 
西幕下15枚目
4–3 
西幕下11枚目
2–5 
西幕下27枚目
6–1 
東幕下10枚目
1–6 
東幕下33枚目
3–4 
2004年
(平成16年)
東幕下37枚目
4–3 
東幕下28枚目
5–2 
東幕下17枚目
5–2 
東幕下7枚目
6–1 
東幕下筆頭
3–4 
西幕下4枚目
2–5 
2005年
(平成17年)
東幕下16枚目
3–4 
西幕下23枚目
4–3 
西幕下19枚目
5–2 
東幕下9枚目
6–1 
東幕下3枚目
4–3 
東幕下筆頭
3–4 
2006年
(平成18年)
西幕下4枚目
4–3 
東十両14枚目
8–7 
西十両11枚目
10–5 
東十両6枚目
13–2 
西前頭14枚目
5–10 
西十両3枚目
7–8 
2007年
(平成19年)
東十両4枚目
8–7 
西十両筆頭
8–7 
西前頭14枚目
6–9 
西前頭16枚目
6–9 
東十両筆頭
7–8 
東十両2枚目
6–9 
2008年
(平成20年)
東十両5枚目
7–8 
西十両6枚目
2–13 
西幕下4枚目
2–5 
西幕下14枚目
4–3 
西幕下10枚目
4–3 
東幕下5枚目
3–4 
2009年
(平成21年)
西幕下10枚目
3–4 
西幕下14枚目
4–3 
西幕下8枚目
3–4 
東幕下12枚目
4–3 
西幕下8枚目
5–2 
東幕下4枚目
3–4 
2010年
(平成22年)
西幕下5枚目
4–3 
東幕下3枚目
4–3 
西幕下筆頭
5–2 
西十両11枚目
8–7 
東十両3枚目
6–9 
西十両6枚目
6–9 
2011年
(平成23年)
東十両10枚目
7–8 
八百長問題
により中止
西十両10枚目
7–8 
東十両5枚目
9–6 
東前頭17枚目
5–10 
西十両5枚目
9–6 
2012年
(平成24年)
西十両筆頭
8–7 
西前頭15枚目
4–11 
東十両3枚目
9–6 
x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴

  • 棟方 幸観(むなかた ゆきみ)2000年3月場所
  • 寶智山 幸観(ほうちやま ゆきみ)2000年5月場所 - 2006年11月場所
  • 寶智山 幸観(- こうかん)2007年1月場所 - 2011年7月場所
  • 寶智山 幸勘(- こうかん)2011年9月場所 -

脚注

  1. ^ Rikishi in Juryo and Makunouchi” (English). szumo.hu. 2007年6月7日閲覧。

関連項目

外部リンク