宗左近
宗 左近(そう さこん、1919年5月1日 - 2006年6月20日)は、詩人・評論家・仏文学者であり翻訳家。本名は古賀 照一(こが てるいち)。法政大学名誉教授。法政大学社会学部と昭和女子大学教授を歴任。
文芸誌『同時代』同人。
人物
福岡県遠賀郡戸畑町(北九州市戸畑区)に生まれる。天籟寺小学校、戸畑小学校、宮崎第二小学校、宮崎中学(現・宮崎県立宮崎大宮高等学校)、小倉中学(現・福岡県立小倉高等学校)を経て上京。旧制一高を卒業後、1942年、東京帝国大学哲学科に入学した。1945年4月、召集により横須賀海兵隊に入隊したが、精神錯乱を装い除隊というエピソードもある。東大卒業後、都立女専に就職し、フランス語を担当した。その後法政大学第一教養部、社会学部教授、昭和女子大学教授などを歴任した。
高校時代からフランス象徴詩に親しみ、詩の創作に親しむ。戦後は『同時代』や草野心平の『歴程』に参加した。作詞家としても非常に有名であり、1977年に静岡市立南部小学校校歌「夢までも」を作詞した際、この歌を作曲した三善晃とはこれを機に親交をもち、その後も作曲家三善晃とのコンビで校歌、自治体関連の歌、合唱曲の作詞を行っている。詩集『あしたもね』(思潮社、1989年)は、それまでに書かれた歌詞のみで構成された本である。ポピュラー音楽の作詞家にはこの種の試みはよく見られるが、現代詩人が行うのはきわめて異例である。
戦争中は、さまざまな「病気になる努力」をして、徴兵検査を逃れる。最後には海軍からの召集令状が来たため、「精神異常者」のふりをして、召集を逃れた[1]。このとき宗の自宅で行われた出征歓送会で戦争を批判する白井健三郎と当時日本浪曼派の影響を受けて戦争を支持していた橋川文三との間でつかみ合いの喧嘩が起こった。
東京大空襲の際、手を離してしまったばかりに母親を眼前で失ったとして罪の意識に駆られた。それからの戦後の時代を必死で生き抜くために、自分自身に叱咤激励して発した「そうさ、こんちくしょう!」という言葉がペンネームの由来。 1967年、母を殺してしまった自分への深い断罪の意識に基づく詩集『炎(も)える母』を発表。母を失ったことに対する苦悩や罪の意識を綴って脚光を浴び、翌1968年に第6回藤村記念歴程賞を受賞した。 その後も、戦地に消えた友人達や人々と縄文の人々への想いを交錯させた縄文シリーズとも呼べる一連の詩集を次々に発表する。
その一方で美術評論家、翻訳家としても活動。ロラン・バルトの『表徴の帝国』の翻訳で知られるが、古賀照一の名でエミール・ゾラの『ナナ』『居酒屋』なども訳すほか、ジョルジュ・シムノンの推理小説なども訳している。
晩年は、短詩表現としての俳句に強く惹かれ、自らが「中句」と名づけた1行詩を書いている。
1994年、詩集『藤の花』で第10回詩歌文学館賞を受賞。2004年、第1回シカダ賞(Cikada Prize、生命の尊厳を表現する東アジアの詩歌人を顕彰する賞。スウェーデンが制定)を受賞した。
千葉県市川市市川南に長く居住し、同市の名誉市民。没後、宗の蔵書は市川市に寄贈された。
2006年春から入院していたが、6月20日午前0時37分に東京都内の病院で死去した。87歳。その死は23日まで伏せられ、葬儀・告別式は近親者のみで行われた。
生前に出版された詩集は46冊にのぼる(詩選集を除く)。1987年から亡くなる2006年までの間は、年に1冊以上のペースで出版していた(1994年は3冊)。処女詩集の『黒眼鏡』が出版されたのが1959年で、この後1985年までに出された詩集が16冊であることから、晩年の創作の旺盛さがうかがえる。
縄文時代を愛し、土器や土偶などの収集にも力を注いだ。宗左近は縄文土器を古代の遺物、生活の必需品ではなく、芸術作品(美術品)として見た。『私の縄文美術鑑賞』などその方面の著書も何冊か残している。町歌を作詞したことがきっかけになってつきあいが始まった宮城県加美町(旧中新田町)の縄文芸術館には、自身寄贈した縄文土器が展示されている。
2016年6月5日に終の棲家であった千葉県市川市内の里見公園で、詩碑建立の除幕式が行われる。
著作
詩集
- 『黒眼鏡』(ユリイカ)
- 『炎える母』(彌生書房、第6回藤村記念歴程賞受賞)
- 『宗左近詩集』(思潮社)
- 『続・宗左近詩集』(思潮社)
- 『藤の花』(思潮社、第10回詩歌文学館賞受賞)
- 『透明の芯の芯』(思潮社)
- 『夜の虹 (中句集)』(芸林書房)
- 『縄文』(思潮社)
- 『続縄文』(思潮社)
- 『風文』(思潮社)
- 『断文』(思潮社)
- 『あしたもね』(思潮社)
- 『ああ縄文(劇詩)』(思潮社)
- 『夕映え連祷』(思潮社)
- 『そして空の青』(思潮社)
- 『新縄文』(思潮社)
- 『光葬』(思潮社)
- 『透明光体』(思潮社)
- 『宙宇』(思潮社)
- 『いつも未来である始原』(芸林書房)
- 『河童』(文林書院)
- 『こころ』(昭森社)
- 『愛』(彌生書房)
- 『幻花』(母岩社)
- 『虹』(弥生書房)
- 『魔法瓶』(文學書林)
- 『鑑賞百人一首』(ぎょうせい)
- 『鏡』(弥生書房)
- 『お化け』(青土社)
- 『宗左近詩集成」
評論集・エッセイ
- 『縄文まで』自伝
- 『詩のささげるもの』(新潮社)
- 『私の死生観』(新潮社)
- 『あなたにあいたくて生まれてきた詩』(新潮社)
- 『私の縄文美術観賞』(新潮社)
- 『私の西欧美術ガイド』(新潮社)
- 『私の韓国美術遍歴』(新潮社)
- 『日本美 縄文の系譜』(新潮社)
- 『古美術幻妖』(平凡社)
- 『宮沢賢治の謎』(新潮社)
- 『さあ現代俳句へ』(東京四季出版)
- 『21世紀の俳句』(東京四季出版)
- 『芸術の条件』(昭森社)
- 『反時代的芸術論』(七曜社)
- 『ドキュメント・わが母 絆』(旺文社)
- 『錨と表徴-フランス文学管見』(読売新聞社)
- 『芸術家まんだら』(読売新聞社)
- 『宗左近 詩集成」ー 全集
翻訳
- 音楽家訪問 アラン(古賀照一)ダヴィッド社 1954 のち宗左近で白水社
- ナナ エミール・ゾラ(古賀照一・川口篤共訳)新潮文庫 1956-59
- 黒いチューリップ アレクサンドル・デュマ・ペール 世界大ロマン全集 東京創元社 1958 のち文庫
- 他人の首・月の小鳥たち マルセル・エーメ 東京創元社 1958
- オランダの犯罪 ジヨルジュ・シムノン 創元推理文庫 1960
- アラン著作集 第3 情念について(古賀照一)白水社 1960
- 死んだギャレ氏 ジョルジュ・シムノン 創元推理文庫、1961
- 赤い館の秘密 A・A・ミルン(古賀照一)角川文庫 1962
- オリエント急行殺人事件 アガサ・クリスティ(古賀照一)角川文庫 1962
- 男の首 ジョルジュ・シムノン 角川文庫、1963
- 女の一生 モーパッサン 社会思想社(現代教養文庫)1965
- 『幸福論』アラン 社会思想社(現代教養文庫)1965
- トルストイの生涯 ロマン・ロラン 角川文庫 1966
- ド・ゴール G.ボヌール 角川文庫、1967
- 偉大なる芸術家の生涯 ミケランジェロ・ベートーヴェン・トルストイ ロマン・ロラン 社会思想社(現代教養文庫)1969
- カストロの尼 スタンダール 角川文庫 1970
- 『居酒屋』ゾラ(古賀照一)新潮文庫、1970
- 現代への序説 アンリ・ルフェーヴル 古田幸男と監訳 法政大学出版局 1972-73
- 『表徴の帝国』 (ロラン・バルト、新潮社、1974 のちちくま学芸文庫
- ピカソとの17年 その芸術・人間・愛 ジュヌヴィエーヴ・ラポルト 共訳 美術公論社 1977.11
- バゼーヌ芸術論 現代絵画覚書 ジャン・バゼーヌ 田中梓共訳 美術公論社 1978.7
- 白い画布 創造の深淵 ジャン・バゼーヌ 柴田道子共訳 美術公論社 1979.4
- エッフェル塔 ロラン・バルト 諸田和治共訳 審美社 1979 のちちくま学芸文庫
- 天下無敵六人組 グリム 文化出版局 1980.12
- ブラック 様式と独創 ジャン・ポーラン 柴田道子共訳 美術公論社 1980.3
- おかしなおかしなクリスマス プレヴェール 文化出版局 1981.6
その他
- 福島県立清陵情報高等学校の校歌『宇宙の奥の宇宙まで』は宗の作詞によるが、歌詞中の「発信ゆんゆん」「受信よんよん」「交信やんやん」といった独特の擬声語がネット掲示板2ちゃんねるにて話題を呼んだ。
関連項目
- 福島県立清陵情報高等学校
- 東京電機大学中学校・高等学校
- 船橋市立習志野台第二小学校
- 千葉県立幕張西高等学校(現・千葉県立幕張総合高等学校)
- 千葉県立市川西高等学校
- 館山市立第三中学校
- 初芝富田林中学校・高等学校
- 福島県立橘高等学校
- 静岡市立南部小学校 - 「夢までも」
- 相模原市立中央中学校 - 「宝石」
- 中野区立上鷺宮小学校 - 「いのち」
いずれの学校も宗が校歌を作詞した。