白井健三郎

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白井 健三郎(しらい けんざぶろう、1917年12月12日 - 1998年2月13日)は、日本文芸評論家フランス文学者翻訳家

略歴[編集]

東京市神田区(現千代田区神田)出身。

1943年東京帝国大学文学部仏文科卒業。1948年慶應義塾大学講師、1952年経済学部助教授、1954年学習院大学文学部フランス文学科助教授、1961年教授。1988年定年退任、名誉教授。

1995年勲三等瑞宝章を受章。

1998年逝去。享年80[1]

概略[編集]

戦時中に、福永武彦中村真一郎たちが中心となったマチネ・ポエティクに参加し、数編の日本語による定型押韻詩や小説を遺した。その後のアルベール・カミュジャン=ポール・サルトルの著書の翻訳紹介で知られる。晩年はジャック・デリダを中心とするフランス現代思想の研究に軸足を移した。

全共闘運動では学生を支援したことで知られる。また、澁澤龍彦が訳したマルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』の猥褻性をめぐる「サド裁判」では埴谷雄高遠藤周作とともに特別弁護人を務めた。

妻はシャンソン歌手の小海智子(白井とも子)。日本初のバイオリズム研究家、白井勇治郎は兄。慶應義塾大学名誉教授の白井浩司とは苗字と生年が同じで、ともにサルトル紹介者として有名だが、親戚関係はない。

著書[編集]

翻訳[編集]

記念論文集[編集]

  • 『彷徨の祝祭』(白井健三郎古稀記念論文集編集委員会、朝日出版社) 1986

論文[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『現代日本人名録』1987年