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下田光平

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下田光平
名前
愛称 シモ[1]
カタカナ シモダ コウヘイ
ラテン文字 SHIMODA Kohei
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1989-04-08) 1989年4月8日(35歳)
出身地 秋田県秋田市
身長 180cm
体重 73kg
選手情報
在籍チーム FC町田ゼルビア
ポジション MF (DH)
背番号 28
利き足 右足[1]
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2008-
2009.5-2010
2012-
FC東京
水戸ホーリーホック (loan)
FC町田ゼルビア (loan)
3 (0)
31 (0)
()
1. 国内リーグ戦に限る。2012年1月4日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

下田光平(しもだ こうへい、1989年4月8日 - )は、秋田県秋田市出身のプロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー

来歴

地元・秋田のスポーツ少年団でサッカーを始め、FCあきた中学3年生時に高円宮杯全国大会に出場。秋田商高時代にはそのプレースタイルから「東北の稲本」と呼ばれていた。

2008年FC東京に入団。入団会見では「目標とする選手は今野泰幸」とコメント[2]。プロ一年目は公式戦出場機会を掴めなかったが、U-19日本代表に選ばれレギュラーとして戦った。また、クラブでもサテライトや練習試合ではチームのレギュラー選手相手に、守備から攻撃の第一歩となるプレーが通用する所を見せた。

2009年1月には各クラブで出番に恵まれない選手で構成されたU-20日本代表に選出され、カタール国際ユーストーナメントに出場。同年5月27日、下田を「守備の強い、90分走ることができるタフな選手」と評価していた木山隆之[3]が指揮を執るJ2水戸ホーリーホックへの期限付き移籍が発表されると、そのわずか3日後の5月30日に行なわれたJ2第18節・対仙台戦で早速先発で起用され公式戦デビューを果たす。主に守備のユーティリティープレイヤーとして重宝がられていたが、9月6日の対横浜FC戦で左ひざ前十字靱帯損傷で全治6~8か月の重傷を負った。

2010年5月15日のJ2第13節・対熊本戦で復帰。ボールホルダーへの厳しいチェックを見せた[4]。当時の水戸はドイスボランチの両方に攻撃的な選手[注 1]を起用しており、下田に多くの出場機会が与えられることはなかったが、シーズン終盤のJ2第34節札幌戦からはレギュラーに固定。チームメートのDF大和田真史から「人に強いし、ボールを取るのもうまい」と評された[6]守備力を発揮し、木山監督からも「いい位置取りで(相手の)攻撃の芽を摘んで、攻撃の起点にもなっていた」[7]などと、守備で貢献するボランチとして存在感を示した。

2011年はFC東京に復帰。高橋秀人アンカーのポジションで定着したため出場機会は限られたが、高橋が出場停止となったJ2第34節湘南戦でFC東京での初先発を果たした[8]

2012年3月にFC町田ゼルビアへ期限付き移籍。第9節甲府戦でプロ入り後初得点を挙げた。

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯天皇杯 期間通算
2008 FC東京 35 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2009 0 0 0 0 - 0 0
水戸 16 J2 17 0 - 0 0 17 0
2010 14 0 - 1 0 15 0
2011 FC東京 35 3 0 - 1 0 4 0
2012 J1 0 0 - - 0 0
町田 28 J2 -
通算 日本 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
日本 J2 34 0 - 2 0 36 0
総通算 34 0 0 0 2 0 36 0
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2012 FC東京 35 0 0
通算 AFC 0 0

タイトル

個人

代表歴

脚注

注釈
  1. ^ 大橋正博森村昂太村田翔の3名の中から2名を使うことが多く、木山監督曰く「守備からスタートということになると、リズムが取れない」[5]組み合わせだった。
  2. ^ 第21期生。第13期生には熊林親吾がいる。
脚注

関連項目

外部リンク