一番美しく
一番美しく | |
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監督 | 黒澤明 |
脚本 | 黒澤明 |
製作 | 宇佐美仁 |
出演者 |
矢口陽子 入江たか子 志村喬 |
音楽 | 鈴木静一 |
撮影 | 原譲治 |
配給 | 社団法人映画配給社(紅系) |
公開 | 1944年4月13日 |
上映時間 | 85分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
『一番美しく』(いちばんうつくしく)は、1944年(昭和19年)東宝の日本映画。黒澤明監督作品。
概要
敗色濃厚となっていた第二次世界大戦下で製作された。当初は零戦を使った活劇を製作する案があったが、物資が逼迫し始めた状況において、映画製作のための兵器貸出は困難だったため、その代わりとして、軍需工場で働く女子挺身隊員達の姿をドキュメンタリータッチで描こうというアイデアにより生まれた作品。戦意高揚の目的を担った映画であるのは、この時期に製作された映画に通じて言えることであり、本作品もそのひとつである。
ただし、すでに日本の敗色濃厚となった時期に製作されたためもあってか、戦意高揚というよりも、祖国のために必死で働く女工たちを暖かく見つめた作品である。
表面的には、戦後製作された「わが青春に悔いなし」とは正反対のベクトルを持った作品(戦争協力と反戦)のようにも見えるが、女主人公が彼女の信ずる目的のためにひたむきに働く描写などは共通しており、後に「生きる」でひとつの結実を見ることになる。
黒澤映画の中では注目されることもなく、評価が高いわけでもないが、黒澤は自作の中で「一番可愛い」といい、木下恵介は黒澤作品の中で一番好きな作品としてあげている。
また、女工たちが工場で敵国アメリカと戦う兵器生産のために熱心に働いている場面に敵国アメリカの作曲家スーザの行進曲を使うなど、黒澤らしい反骨精神も垣間見ることができる。この件に関し、黒澤はかつて自分の作品の描写に「米英的でけしからん」と何度もケチを付けた検閲官が、アメリカの行進曲を使ったのにもかかわらず何の文句もいわなかったことを皮肉っぽく「蝦蟇の油」の中で述懐している。
渋谷陽一のインタビューで黒澤は、渋谷の「(「一番美しく」は)反戦映画ですよね?」の問いに、明言はしなかったものの、そういう「含み」もあった映画だと認めている。
あらすじ
兵器に搭載される光学機器を生産している東亜光学平塚製作所では、戦時非常態勢により生産の倍増を計画発令する。男子工員は通常の2倍、女子工員は1.5倍という目標数値が出されるが、女子組長の渡辺ツル(矢口陽子)を筆頭とする女子工員達は、男子の半分ではなく2/3を目標にしてくれと懇願、受け入れられる。奮発する女子達だが目標達成は生易しくはなく、一時的に上昇した生産高は疲労や怪我、苛立ちから来る仲違い等により下降する。しかし、女子工員達の寮母や工場の上司達の暖かい協力、そして種々の問題を試行錯誤しながら解決し、更に結束を強めた彼女達の懸命な努力は再び報われ始める。
キャスト
- 志村喬(石田五郎)
- 清川荘司(吉川荘一)
- 菅井一郎(真田健)
- 入江たか子(水島徳子)
- 矢口陽子(渡辺ツル)
- 谷間小百合(谷村百合子)
- 尾崎幸子(山崎幸子)
- 西垣シヅ子(西岡房枝)
- 鈴木あさ子(鈴村あさ子)
- 登山晴子(小山正子)
- 広町とき子]](広田とき子)
- 人見和子(二見和子)
- 山田シズ子(山口久江)
- 河野糸子(岡部スエ)
- 羽島敏子(服部敏子)
- 河野秋武(鼓笛隊の先生)
- 萬代峰子(阪東峰子)
- 横山運平(寮の小使)
- 真木順(鈴村の父)
スタッフ
作品解説
戦時下に製作された映画は全て、何がしかの形で戦争協力を表現していなければならなかった。登場人物の言動が非協力的に描かれる事は許されず、本作品においても、戦争そのものを間接的にでも否定するような表現は為されてはおらず、プロパガンダとしての役割を帯びていたのは否めない。しかし、本作品の舞台は本当に稼働していた工場であり、俳優達は実際の生産作業の場に組み込まれ、その中において撮影が進められた。また鼓笛隊を組織、実際に朝の往来を演奏行進し、就労時間外にはバレーボールをやり、寮生活まで実際に経験させられた女優達は、各々が本当の女子工員であるが如く働き、喜び・苛立ち・悲しみなどの感情表現を豊かに見せている。リアリティを求める監督の狙いが充分に功を奏している出来映えと評価された作品であった。
登場人物は全員献身的かつ謙譲に努めており、彼等の言動は多分に美化されすぎているように映るが、当時の宣伝映画としてはそれが狙いであり、個人的な苦労や悲哀を強調することのほうが避けられるべきことであった。女子工員の一人が病弱を理由に帰省するのだが、それは本人の口から「帰りたい」と言われるのではなく、本人はむしろ自分を帰さないでくれとまで懇願する。彼女を帰省させるのは寮母及び工場の管理職員である。現代の眼からすれば、彼女達の献身振りは却って奇異でありさえする。戦争という特殊な状況における一種の集団的躁状態と見る向きもあるが、ある意味では、現代日本人が忘れているかもしれない「他を尊重する心」を題字の如く美しく語っている、という見方もある。ラストシーンで、郷里の親の訃報に涙しつつレンズ調整に精を出す渡辺ツルの姿は痛々しくもあるが、他のために我が身を粉にする意味を考えさせる。今作品では、それはあくまで「お国のために」であるが、「何故そこまでして」と問う以前に、謙譲の美・献身の徳を再確認できる作品ともいえる。