ルクソール

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ルクソール
الأقصر
Luxor
位置
の位置図
座標 : 北緯25度41分 東経32度39分 / 北緯25.683度 東経32.650度 / 25.683; 32.650
行政
 エジプト
  ルクソール県
 市 ルクソール
地理
面積  
  市域 416 km2
人口
人口 (2010年現在)
  市域 487,896人
その他
等時帯 東ヨーロッパ時間 (UTC+2)
夏時間 東ヨーロッパ夏時間 (UTC+3)
公式ウェブサイト : http://www.luxor.gov.eg

ルクソールLuxor)は、エジプトの都市で、ルクソール県の県都。古代エジプトの都テーベがあった場所で、現在も数多くの遺跡が残っている。市域はナイル川によって分断されている。

日が昇る方角であるナイル川の東岸には、カルナック神殿ルクソール神殿など生を象徴する建物が、日が沈む方向のナイル川西岸には死を象徴する、王家の谷王妃の谷などがある。王家の谷にあるツタンカーメン王の墓は有名。

市内にある遺跡の多くが、古代都市テーベとその墓地遺跡 として世界文化遺産に登録されている。

歴史

ルクソールは、エジプト新王国の時代、太陽神アメン=ラー(Amon-Ra)の都市テーベであった。

第11王朝時代に重要な都市となり、華麗さだけでなく、知、芸術、宗教、政治の中止地として繁栄した。第1中間期の混乱の後、エジプトを統一したメントゥホテプ2世 (en:Montuhotep II) が、周辺地域に安定をもたらし、その結果都市が発展した。新王国のファラオが、クシュ (現在のスーダン北部) やカナンフェニキア、シリアに遠征し、テーベが世界規模においても有数の富を有し、知名度も高いことが分かった。テーベは上エジプトからのヒクソス軍の侵略を退ける役割を果たし、第18王朝の時代から第20王朝の時代まで、テーベは古代エジプトにおいて、政治的、宗教的、軍事的に主要な都となった。

街にはバビロニア人、ミタンニ人、ヒッタイト人(現在のトルコ)、ウガリットのカナン人、ビブロスのフェニキア人、ティルス人、クレタ島ミノア人なども流入し、アナトリアのヒッタイトの王子が、ツタンカーメン王の未亡人アンケセナーメンと結婚するまでに至った。しかし、政治的の中心が北部エジプトのBubastisやSais、そして最終的にアレキサンドリアに移ると、街の政治的、軍事的な重要性は、次第に薄れていった。しかし、アメン神の都市としてテーベは、古代ギリシア時代に至るまで、宗教的な中心地であり続けた。

その後、街はアッシリアアッシュールバニパル王の攻撃を受けた。テーベの街は廃墟となり、その重要性も失われた。しかし、アレクサンドロス大王がカルナックのアメン神殿 (en:Temple of Amun) に到着し、宗教的な祭りであるオペトの祝祭 (en:Opet Festival) の間に、王の像を移設した。テーベの偉大さは、今日においても、崇高な場所であり続けており、ローマ帝国の時代には、多くのキリスト教の修道僧がやって来て、多くの古代のモニュメントの場所に修道院を設立させた。その中にはハトシェプスト女王葬祭殿にあり「北の修道院」の意味を持つデル・エル・バハリ (en:Deir el-Bahari) も含まれている。

ルクソール特有の遺物として葬送用コーンが知られている。

1997年ルクソール事件が発生し、日本人観光客10名を含む63名が犠牲となった。

経済

エジプトの多くの都市と同様に、観光業に大きく依存している。多くの住民が農業、特にサトウキビの栽培を行っている。カイロと比べると街は大変貧しく、貧困層が多い。 1997年、59名の観光客を含む64名が殺害されたエジプト史上最大のテロであるルクソール事件が起き、観光業に依存している街の経済は大打撃を受けたが、その後観光客数は回復している。 収入の不足分を補うため、住民の多くは自身の食物を自分で作っている。例として山羊のチーズ、鳩の肉、自家栽培のトマトなどが挙げられる。

気候

ルクソールでは雨がほとんど降らない。月あたりわずか0.0から6.0mmの雨しか降っておらず、年の平均降水量は2.3mm(月の平均は(0.09mm))である。 夏季の間、温度は頻繁に50度を超える。王家の谷の近郊で、かつて57度に達したことで有名である。街にはナイル川が流れているが、川によって冷やされるのはほんのわずかである。

交通

  • 航空
  • 列車
    • 一日数本の列車がある。朝方と夜行の列車はルクソール神殿から約400mの場所にある駅から乗降することができる。カイロアスワンなど国内の主要な都市を結んでいる。
  • 市内
    • ルクソールの中心部から、ナイル川の数キロメートル上流部分に、1998年にナイル川の東岸、西岸を結ぶ橋が開設された。橋の開設以前から、川を渡る手段として多くのフェリーが運航されていたが、開設後も営業を続けている。フェリーは多くの旅行者も利用しているが、利用者のほとんどは地元民である。東岸と西岸の距離は意外と遠い。主に旅行者用にモーターボートもあるが、料金は高額である。
    • ナイル川東岸の市内には多くの路線バスが運航しており、主に地元民に利用されている。旅行者用には「calèches」と呼ばれる馬車もある。タクシーの数も多く、料金も手頃である。20年以上前、エジプト政府はタクシーの許可証の再認可を不要とする決定をしたことが、その理由でもある。エアコンの付いた新しいタクシーも多い。近年は交通量の増加に対応するため、新しい道路が多く建設されている。

観光地

ナイル川とテーベ
ハトシェプスト女王葬祭殿
ルクソール神殿

姉妹都市

関連項目

外部リンク