ベルカ公国

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ベルカの国旗

ベルカ公国(ベルカこうこく、Principality of Belka)は、ナムコ(後のバンダイナムコゲームス→バンダイナムコエンターテインメント)のPlayStation 2フライトシューティングゲームエースコンバット5 ジ・アンサング・ウォー』および『エースコンバット・ゼロ ザ・ベルカン・ウォー』に登場する架空国家

概要[編集]

ベルカは、エースコンバットシリーズストレンジリアル世界に存在する国家のひとつである。『エースコンバット5』において、オーシア連邦ユークトバニア連邦共和国の超大国同士を戦争に陥れ、両国を裏で手引きする「灰色の男たち」の祖国として「ベルカ公国」という国号で登場する。『エースコンバット5』の前の時代を描いた『エースコンバットZERO』では主人公のサイファーが所属する連合軍の敵国として「ベルカ連邦」という国号で登場する。

北オーシア大陸の北東を領土としており、北は海に面する。時代によって大きく領土が変遷し、連邦構成国の独立も相まって国境を接する国も時代によって変化する。

歴史[編集]

ベルカ発祥[編集]

ベルカは現在で言う北ベルカを発祥の地とする。中世期のベルカでは帝国が確立しており、12世紀頃に建築されたシュティーア城は約400年に渡りベルカ選帝侯の居城であった。帝国の直轄地でもあり、皇帝の街としても知られていた[1]。ベルカ王朝は王侯貴族とベルカ騎士団からなる国家であり、騎士から貴族になる者もいた[2]

長い歴史の流れの中でベルカはベルカ騎士団を軸とする軍事力や国力を強大化し、自国の拡大を図った。北ベルカの南部から西部を横断するバルトライヒ山脈を越え、後に南ベルカと呼ばれる地域を征服し自国領とした。

時期は不明ながらベルカ公国は封建制から民主主義に移行した。

工業と空軍の発展[編集]

ベルカは寒く土地は痩せ細っており、資源に乏しいため、金属加工織物産業の家内制手工業によって成り立っていた。その後、ベルカが発展した一因としては産業革命による工業化が挙げられる。ベルカは20世紀初頭には工業化への道を歩み始めており、カメラ時計といった光学製品や精密機器の開発を得意とした。その延長線上として20世紀を通じてレーザーセンサーといった電子機器類の製造技術は他国を凌駕するほどにまで成長していった。[3]

対外的にはオーシアとの間で軍拡と領土拡張を競うようになった。1905年からはオーシアとの間でオーシア戦争が勃発し、1910年まで戦争は続いた。オーシア戦争の最中にフランクリン・ゲルニッツ空軍特務大臣によってベルカ空軍が創設された。オーシア戦争は航空機が戦力になることを人類が初めて認識した戦争とされるが、戦争初期の時点における航空機は主に偵察任務に使われていた。ゲルニッツは航空機を爆撃任務に転用させたことで多大な戦果を上げ、世界各国が空軍を創設するきっかけにもなった。ゲルニッツが唱えた「空を制する者が地上を制す」という言葉は各国が航空機部隊を創設する際のスローガンになった。オーシア戦争で航空機は偵察に限らず爆撃においても戦果を上げるようになったが、ベルカ軍は対航空機用の航空機の開発も進めていた。後に戦闘機と称されるこうした機体はオーシア戦争には間に合わなかったものの、機動性と加速性に優れた機体を戦後に多数生み出すことになった。戦後のベルカ空軍はこうした戦闘機を用いた空対空戦闘を重視した。少数で多数の敵に打ち勝つというベルカ騎士道に由来するベルカ特有の思想や、高い技量を持ったパイロットの希少性と失った時の補填の難しさという現実的な理由によって、いかに死なず生還するかを重視した航空士養成思想が醸成され、それに基づいて空軍アカデミーの養成システムが整備されていった。アカデミーの生徒は細かい段階からなるカリキュラムを乗り越え、世界各国の空軍に加わって実戦を経験し、知識と実践的技術を得ることで高い練度を保った。[4]

発展と衰退[編集]

ベルカは強大な軍事力や工業技術を有する国家として発展を遂げた。「伝統のベルカ空軍」とまで呼ばれたベルカ空軍は世界に名声を轟かせ、世界各国が空軍を編成する折にその規範となった。また、ベルカ製の兵器も諸外国製兵器と比較しても優れた質や性能を有しており、ベルカと友好関係にあったエストバキア連邦では1970年代よりベルカから兵器の購入を開始し、エストバキア軍で使われる兵器の多くはベルカ製となった[5]

ベルカは拡張主義政策に基づいて周辺諸国への侵略と併合を繰り返し、軍事的圧力によって東方諸国を自国に併合していったが、1970年代には国境付近で民主主義を求め民族主義を掲げた紛争が多発していた[6][7]。そのひとつとして東方のレクタではレクタ解放戦線がベルカ空軍を苦しめていたが、最終的には拠点を構えるコールが陥落し鎮圧された。この頃からベルカは連邦制を採用し、ベルカ連邦を名乗るようになった[7]。こうした領土の拡大と軍事費の増大は次第にベルカの経済を蝕んでいくことになる。1980年代に入ると長年に渡る国土の拡大や、それに伴う軍事費の増大は次第に財政面の許容範囲を超え、経済を圧迫した。ベルカは経済恐慌に見舞われ、従来の方針を転換する必要性に迫られた。1987年にベルカは連邦法を改正し、東部諸国の政治権限を現地政府に移譲し駐留軍を本国へ帰還させた。これを受けて東部諸国に独立の機運が高まり、1988年2月8日にゲベートが独立し、同年5月12日に南東部のウスティオが独立した。[8]

ベルカ戦争[編集]

ベルカの経済恐慌はなおも収まらず、ベルカ政府はオーシアと共同歩調を取り経済の再建を目指した。ベルカ政府はオーシアと共に五大湖資源開発公社を設立し、五大湖周辺の地下資源を調査させた。そして公社の調査によって五大湖周辺には相当量の地下資源の埋蔵が確認された。オーシアは資源配当量をベルカ優位にするとした上で、ベルカが領有する五大湖周辺と北方諸島の割譲を要求し、経済恐慌を乗り切るためベルカ政府は割譲を決定した。1991年8月16日、五大湖資源開発公社の採算割れ隠蔽工作が発覚したが、8月29日にベルカ政府は五大湖周辺や北方諸島をオーシアに割譲し、東部から南部にかけての領土をファト、ゲベート、ウスティオ、サピンに売却した[9]

こうした政府の態度にベルカの世論は納得せず、1992年2月24日に選挙でベルカ民主自由党が単独過半数の議席を獲得し与党となった。1995年にウスティオで天然資源発見の報を受けて、同年3月25日にオーシアやウスティオなどの周辺諸国に対し侵攻を開始した。緒戦では割譲や売却によって失った領土を制圧し戦局を優位に進めていたが、オーシアを中心とする連合軍が結成され反撃を受けるとベルカは敗戦した。南ベルカはオーシアに割譲され、連邦制も解体された。

国境無き世界の参加者はベルカ人が中心を占めた。政治家や軍人からなる強硬派の一派である旧ラルド派の関与があったが、クーデターの鎮圧後に露見しヴァルデマー・ラルドが失脚した[10][11]

戦後のベルカ[編集]

南ベルカの割譲によりベルカは一転して小国となった。ベルカ軍は解体され、高い工業力も喪失した[4]。強硬派の一派である灰色の男たちは地下に潜伏し、南北ベルカの統一と戦勝国への復讐を目的としてオーシアやユークトバニアで工作活動を開始した。ラルドの失脚後、ベルカ空軍では第6航空師団長のブラウヴェルト中将が空軍の再編成に努めた。

灰色の男たちの工作により2010年にオーシアとユークトバニアの間で環太平洋戦争が勃発した。ベルカ人の関与が露見したことで両国は停戦し、戦争は終結した。

強硬派が起こした数々の陰謀劇や他国に高度な技術力を提供していることから、ベルカ人は陰謀家で混乱の源であると考える者も現れており、灯台戦争でのタイラー島の戦いではエルジア軍によってベルカ人やそれに関係すると考えられた人々が虐殺されるという事態が発生した。

その後の情勢[編集]

2020年6月30日にオーシアが主催するベルカ戦争終結25周年記念式典に参加した。GAZE誌2020年7月10日号の表紙を飾ったレッドミル空軍基地でのエレファントウォークの写真では、写真の左側に5機のJAS-39が並んでいる。また、南ベルカ国営兵器産業廠ならびにその後身であるノース・オーシア・グランダーI.G.が開発したADFシリーズの機体も滑走路上を行進している[12][13]

地理[編集]

本項の地理は、ベルカ戦争開戦時(1995年3月25日)のベルカ連邦の版図を含む点に注意。

都市[編集]

ディンズマルク(Dinsmark)
ベルカ公国首都。ベルカ公国の北東部に位置する。
アンファング(Anfang)
ディンズマルクの西に位置する港町。海岸線と四季折々の姿を見せる山々に囲まれている。首都近郊に於ける観光地として家族連れの人気を集めている。緩やかな丘陵地帯には小麦や野菜、ぶどう、オリーブが実り、多種類の魚介にも恵まれている。その豊かさから歴史上ではこの地を巡って争いが絶えなかった土地でもあり、数多く残る古代の戦争の痕跡は観光資源となっている。[14]
スーデントール(Sudentor)
バルトライヒ山脈東南部の麓に位置する工業都市。高い技術力を持つ兵器工廠があり、ベルカ戦争ではベルカ軍の最終防衛拠点となった、激戦地のひとつである。戦後は領土割譲によってオーシアに属する都市となっている。
ホフヌング(Hoffnung)
スーデントールと並びベルカ東部を代表する工業都市で、人口の7割が工場労働者である。「眠らない街」の異名を持ち、昼夜を問わず24時間稼動する生産設備によって、ベルカ公国でも最大の工業生産能力を誇っていた[14]。それ故にベルカ戦争の戦禍に巻き込まれ、連合軍の無差別爆撃とベルカ軍の焦土作戦によって壊滅的な被害を受けた。モデルとなったのはドレスデンで地形も酷似しているが、一部にシカゴの航空写真も用いられている。
ルーメン(Lumen)
南ベルカの最南端に位置する都市。1991年の領土割譲によってオーシアとの国境地帯となり、1995年にはベルカ戦争での敗戦によって南ベルカ一帯が割譲された事に伴いオーシア領となった。ベルカ戦争の停戦条約が締結された都市であり、停戦条約締結の半年後に発生したベルカ軍残党を中心としたクーデター事件の最初の標的となった。

施設[編集]

アヴァロンダム(Avalon Dam)
ムント渓谷の奥地に建造されたダムに偽造した弾道ミサイル発射基地。名目上は山間よりもたらされる水資源の確保と水力発電を目的とした多目的ダムとして建造され、建造と運営はベルカの各省庁が担当している。着工当初より詳しい内部構造は公にされず、「多目的」という曖昧な運用理由から一時はベルカ国内でも建造反対を唱える声も上がったが、完成式での正式公開後は、壮大さから人々の人気を集め、「ベルカを象徴する建造物」と称された。建造には工期8年が必要とされ、この一大国家事業は隣国からの技術支援や借款など、多くの国際協力の元で着工された。水門52門、10基の水力発電装置を備え、総貯水量920億m3、毎分210万kWの電力を供給することが可能となっている。[15]
普段はダムとして水を貯めてカモフラージュし、ミサイルの使用時には水を抜くことで基地としての機能を発揮できるようになる。ミサイル発射サイロが存在しており、V2核ミサイルを最大8発運用可能である。施設の地下はミサイル発射台の通路になっており、V2の搬送や装填を可能としている。戦車などを収容可能な格納庫に加えて、航空機の離着陸が可能な滑走路も存在する。[16]
イエリング鉱山(Yering Mine)
シルム山麓に位置する鉱山施設。鉱山付近には港や空港が存在している。ベルカ戦争時は軍事施設としても使用された。この鉱山から産出される鉱石がベルカ公国の産業を支える一助となっている。また、ベルカ戦争時に使用されたV1戦術核兵器が封印されており、環太平洋戦争の最中に灰色の男たちによって一部が掘り返されたが、ラーズグリーズ隊が岩盤に攻撃して入口を崩落させてこれ以上の搬出を阻止した。
エクスキャリバー(Excalibur)
ベルカ公国領のタウブルグ丘陵に建設された超高層対空レーザー施設。1981年に発案された弾道ミサイル防衛構想の下、本土防衛用化学レーザー兵器として建設され、丘陵地形の多いベルカ公国を防衛するため、驚異的な高層化が行われている。連合軍によるベルカ領への侵攻に際してエクスキャリバーは本土防衛兵器としての本領を発揮し、連合軍の航空部隊に多くの損害を与えたが、ウスティオ空軍第6航空師団を中心とした連合軍のジャッジメント作戦により1995年5月23日に破壊された。
施設中央には高さ約1kmに上るレーザー増幅機となる塔があり、最上部に照射ターレットを備えている。その周囲を囲うように6基の目標照準追尾装置を備えており、標的の捕捉を担う。その外側の東西南北に4基の発電施設と、それを守るレーザー列車砲が配備されている。施設からやや離れた南方には4つのジャミング施設がある。
4基の発電施設より発振されたエネルギーが塔基底部の制御装置に集束された後、約1kmの増幅器を経由し、出力1.21GWもの強力なレーザーとなる。目標照準追尾装置と水平360度・垂直180度の可動範囲を持つ照準ターレットによって正確に目標に照射される。反射鏡を備えた衛星航空機を利用することで、理論上は半径約1200kmの範囲の標的に対して空からレーザーを降らすことも可能である。敵兵器の接近を許した場合超大型兵器故の小回りの効かなさが弱点となるが、その場合でも周囲に計4カ所存在するジャミング施設とレーザー列車砲による強固な防衛網で対処する。
『エースコンバットZERO』とは異なる世界観を舞台とした『エースコンバットインフィニティ』にも、「某国が開発した超高層レーザー兵器を敵軍が接収したもの」として登場。当作内の非常招集ミッションの一つ『Excalibur Onslaught』で破壊目標として登場し、他の非常招集ミッションに登場する超兵器同様、難易度ごとに無印→赤→金→黒の4種類がそれぞれ登場する。『インフィニティ』内ではジャミング施設やレーザー列車砲に加え、新たに「APS」と呼称される近接防御システムを搭載している。これはエクスキャリバー周囲に反射鏡を搭載した無数の飛行船や車両を展開させ、エクスキャリバーから照射されたレーザーを反射させるもので、これによって周囲に「レーザーの網」を形成するものとなっている。
クラード空軍基地
ベルカ戦争に於いて、ウスティオ共和国制圧等の南東部戦線を担当していた、開戦当時の最前線に位置する基地。
グラティサント(Glatisant)
南ベルカ南部のイヴリア山山頂部に存在する大規模な対空防衛要塞。古代遺跡群を利用して構築されており、ハードリアン線と呼ばれる南部国境防衛線の中核拠点となった。多数のトーチカや強固な地下設備、大量の対空火器を有する中核施設「エリアウォール」を中心とし、その周囲を「エリアゲート」、「エリアキャッスル」、「エリアタワー」と呼ばれる対空陣地群が囲んでいる。北西部にはVTOL基地の「エリアガーデン」が控えている。
シェーン基地
南ベルカのシェーン平原に位置する軍事基地。主に航空基地と対空陣地で構成されている。
シュティーア城(Stier Castle)
エーデルヴァッサー湖の岸辺に佇む古城。12世紀頃から400年に渡ってベルカ選帝侯の居城として使用され、城下の旧市街は皇帝の直属都市であったという歴史ある古城である。年間を通して降る雨によって維持される森林と田園、シュティーア城が織り成す美しい景観で知られている[14]。ベルカ戦争末期に湖の周辺で戦術核が起爆され、形成されたクレーターには湖から水が流れ新たな湖となっている。
作品によって位置が変わっており、『エースコンバット5』ではベルカ公国領でスーデントールの北西に位置し、『エースコンバットZERO』ではスーデントール南西に位置している。
ティオンビル基地
ベルカ公国中南部の航空基地。ベルカ戦争では南部戦線を担当する。
南ベルカ国営兵器産業廠(South Belka Munitions Factory)
スーデントールに存在する兵器工廠。高度な技術力を誇り、ベルカ戦争でも数々の新兵器を生み出した。戦後、スーデントールがオーシア領になった事に伴い、軍需企業「ノース・オーシア・グランダーI.G」に改組している。

地域[編集]

イヴレア山(Mount Ivrea)
南ベルカの山でサピン王国等との国境地帯に面している。山頂部にはグラティサントが存在している。戦後は南ベルカの割譲に伴いオーシア領となっている。
五大湖(Great Lakes)
オーシアとの南側国境地帯に位置する5つの湖の総称。1991年以前は五大湖一帯はベルカ領だったが、経済の破綻に伴い五大湖以南をオーシアに売却。更にベルカ戦争の敗戦によって南ベルカが割譲された為、五大湖一帯はオーシア領となった。戦前からオーシアとの領土係争を抱えており、ベルカ戦争勃発の要因のひとつとなった地域でもある。
シェーン平原(Schayne Plains)
五大湖の東に位置する南ベルカの平原地帯。戦後の領土割譲によってオーシア領となっている。
タウブルグ丘陵(Tauberg)
ベルカ公国中部に位置する丘陵地帯で、世界遺産に登録される壮大な自然の宝庫。周辺はセコイアの森と緩やかな丘陵地形に囲まれている。元々は国立公園に指定される自然保護地域で、60種類におよぶ哺乳類と200種類を超える鳥類、絶滅危惧種を含む希少な動植物も多数生息している。[14]
エクスキャリバーの建造地となったが、基地建設計画発表当初から学者から強い反発があった。政府は環境破壊は回避できると説明していたが、環境保護団体は計画の見直しを求め、過激なデモグループは工事車両を止めるなどの行為に及んだ。活動家と軍治安部隊との衝突で負傷者が出る事態が頻発したため、政府は治安部隊を増強すると共にタウブルグ一帯を立ち入り禁止区域に指定した。民間人の立ち入りが禁止されたため、結果的に自然環境保護が更に進んでいった。この地に建設された超高層兵器の圧倒的な威容と、大自然の融合が異様な景観を生み出している特異な地域である。[17]
バルトライヒ山脈(Waldreich Mountains)
ベルカ公国を東西に横断している山脈で、南北ベルカを隔てる境である。ベルカ戦争では周辺で計7発の戦術核兵器が使用され、最も凄惨な戦闘が繰り広げられた地域として知られている。戦後は南ベルカの割譲に伴い、核の爆心地クレーターを基準とするオーシアとの国境線が引かれ、国境地帯となっている。なお、爆心地クレーターの一部は周囲の河川等から水が入り込み、湖を形成している。
ベルカ絶対防衛戦略空域「B7R」(Belkan Priority One Strategic Airspace "B7R")
北緯24度、東経245度を中心とする半径200kmほどの範囲からなる空域。南ベルカの北東部を中心点としている。ベルカはここを「絶対防衛戦略空域」と呼称し、エリアコードとして「B7R」という名称も使われているが、正式な地名は不明である。膨大な地下資源が眠ることから、古い時代から何度となく戦闘が繰り広げられ、国境線が引き直されてきた。強力な磁場の発生地帯でもあり、通信の混線も多々発生する。ベルカ戦争ではたびたび空戦が勃発しパイロットの腕前が試される場となり、そこには階級などは関係なく己の実力のみが問われることから「円卓(The Round Table)」というあだ名で呼ばれた[14]。ベルカ戦争後には遺族団などによって遺体や遺品の捜索や、撃墜された機体の回収作業が行われたが、ベルカ戦争だけでも100機以上に上る撃墜数の多さに加え、地理的要因から捜索が困難であるため、その多くが未回収、または行方不明となっている[10]
ムント渓谷(Mund Valley)
北ベルカの渓谷地帯でベルカ公国北東部に位置する。谷間を流れる河川はアヴァロンダムによって遮られ、山間に巨大な人口湖を形成している。

ベルカの軍事[編集]

ベルカ戦争以前[編集]

航空機が戦力として認識されたとされるオーシア戦争(1905~1910年)の頃、空軍組織の基礎を築いた空軍特務大臣フランクリン・ゲルニッツの尽力により、世界でいち早く空軍を創設し、組織化を図る。以来、航空戦力に力を注ぎ、ベルカの高い工業力と優れた教育制度(空軍アカデミーの創設、教育カリキュラムの細分化など)や制空権の重視(空対空戦闘任務に力点を置いたため)などと相まって、「伝統のベルカ空軍」という異名を冠するほどの最強の空軍と化し、世界各国の空軍組織や航空技術における基幹ともなった。教育制度の中にはベルカ空軍とパイプを有する世界各国の空軍に空軍アカデミーの生徒を派遣し、戦場の空を飛ばせることで貴重な実戦経験を積ませて力強いパイロットへと鍛え上げるというものがある。これは、優れたパイロットの希少性を重視する事に伴う、いかに死なずに生きて帰還するかを重要視した航空士養成思想に基づく。保有戦闘機の機種も豊富でF-5のような旧式機からF-35のような最新鋭機まで運用されており、部隊編成においても1部隊に異なる機種が混在していたり、機体やパイロットの数も大規模から小規模までありとあらゆる部隊の編成が認められているという柔軟性を有する。だが、古きベルカ騎士道の考えによる「少数をもって多数の敵に勝つ」という少数精鋭主義の姿勢がベルカ戦争において影を落とすことになる。

ベルカ空軍は少数精鋭主義もあって、空軍単独で制空権確保や空爆を行う「戦術空軍」としては極めて優秀であり、優れた教育制度によって数々のエースパイロットを生み出していた。しかし、ベルカ戦争時の20世紀後半時点では既に各国空軍は陸海軍との統合運用化や、軍組織内での連携による効率化を重視した「戦略空軍」の編成に動いており、実際にオーシア空軍等にてその成果は出ていた。しかし、ベルカ空軍は戦術空軍としての基礎を早い段階で確立していた事が災いし、既存の古い思考に固執した結果戦術空軍から戦略空軍への組織改編がままならず、その限界をベルカ戦争において連合軍相手に晒すことになった。

海軍も航空戦力に力を入れているらしく、航空隊も編成されており、空母「ニヨルド」を保有していることが(アサルトレコードの文章内だけだが)確認できる。それ以外にもイージス艦など水上艦を多数保有している。陸軍は描写が少ないゆえ、実態は不明だが軍事大国ゆえにそれ相応の兵力を有していると思われる。なお、公式サイト掲載の外伝小説「ある兵士の記録」によると、少なくとも狙撃銃としてG3、また対装甲兵器ではRPG-7が配備されており、救援ヘリ部隊にはペイブホーク(劇中の描写から空軍所属の可能性もある)が配備されている模様。この他、ベルカがドイツをモデルとしている関係か、自走式対空砲としてゲパルトが本編劇中で登場している。

また、特筆すべきことにベルカ空軍将校アントン・カプチェンコが着手した国家防衛構想「ペンドラゴン計画」によって化学レーザー砲「エクスキャリバー」や大量報復兵器「V1」「V2」(さらに多くの開発計画があったが、1980年代の経済恐慌により、断念。その多くは設計図のみの構想段階であった)を開発、保有。それらはベルカ戦争で使用された。

ベルカ戦争後[編集]

ベルカ戦争での敗戦により、ベルカの軍備は大幅に縮小される事になった。具体的な理由としては戦勝国より課せられた軍備の制限や軍事産業の縮小、南ベルカのオーシアへの割譲に伴う国力の低下や軍事拠点数の減少、ベルカに唯一残された北ベルカにおける戦災復興が挙げられる。

ベルカ空軍も戦後に実権を握った第6航空師団長のブラウヴェルト中将によって再建が図られたが、国力の低下やそれに伴う軍事予算の減少には抗えず、戦前の様に高価な軍用航空機を大量配備・大量稼動させるだけの余裕は無かった。このため、「昔ながらの強いベルカ」や「伝統のベルカ空軍」といったベルカの軍事力を称える異名の数々は、もはや過去の遺物と化した。

しかしベルカの軍備は、ベルカ戦争の開戦や自国内での核使用に関わり、戦後も敗戦や南ベルカ割譲という屈辱を認めず暗躍していた国粋派・強硬派の政治家や軍人の集団「灰色の男たち」によって、秘密裏に増強されていた。かつてベルカの軍備を支えた南ベルカ国営兵器産業廠は、南ベルカ割譲後にオーシアの兵器企業ノースオーシア・グランダーI.G.として改編されていたが、実際には表向きオーシアに恭順の立場を取りつつも「灰色の男たち」の秘密メンバーであったグランダー社社長の元で工作機関として暗躍し、戦勝国であるオーシアとユークトバニアとの間に戦争を起こすべく両国の好戦派の政治家や軍人層を煽り、戦争による両国の疲弊を加速すべくオーシアには堂々と兵器を納入し、ユークトバニアに対しては兵器を密輸していた。そして、その影で両国の目を盗み生産していた兵器群はベルカへと移送され、「灰色の男たち」指揮下の部隊に配備された。

このため、環太平洋戦争(ベルカ事変)時におけるベルカの軍備は、シュティーア城一帯やイエリング鉱山に大規模な地上部隊が展開し、空軍にはSu-47やYF-23、E-767といった高性能機が大量配備されているという、公式記録を逸脱した規模にまで膨れ上がっていた。

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ エースコンバット5公式サイト、WORLD、WORLD NEWS、FROM ABOVE,October 2009”. 2020年7月19日閲覧。
  2. ^ エースコンバッZERO公式サイト、WORLD、WORLD NEWS、"ベルカン・エアパワー" 第一部前編”. 2020年7月19日閲覧。
  3. ^ エースコンバット7、コレクターズエディション付属ブックレット『ACES at WAR A HISTORY 2019』、バンダイナムコエンターテインメント、2019年、18頁。
  4. ^ a b エースコンバッZERO公式サイト、WORLD、WORLD NEWS、"ベルカン・エアパワー" 第二部”. 2020年7月19日閲覧。
  5. ^ エースコンバッ6公式サイト、もっと詳しく ACE6、ワールドニュース、FRONT LINE February 26 , 2016”. 2020年7月21日閲覧。
  6. ^ エースコンバット7、コレクターズエディション付属ブックレット『ACES at WAR A HISTORY 2019』、バンダイナムコエンターテインメント、2019年、140頁。
  7. ^ a b エースコンバッZERO公式サイト、WORLD、WORLD NEWS、"ベルカン・エアパワー" 第一部後編”. 2020年7月19日閲覧。
  8. ^ エースコンバット7、コレクターズエディション付属ブックレット『ACES at WAR A HISTORY 2019』、バンダイナムコエンターテインメント、2019年、12-13頁。
  9. ^ 『エースコンバットZERO』、ミッション2、ムービー
  10. ^ a b 『エースコンバットZERO』、アサルトレコード
  11. ^ エースコンバット7、コレクターズエディション付属ブックレット『ACES at WAR A HISTORY 2019』、バンダイナムコエンターテインメント、2019年、142頁。
  12. ^ GAZE 2020年7月10日号特集:「戦争の英雄達:環太平洋戦争機密文書解除」”. エースコンバット7公式サイト. バンダイナムコエンターテインメント. 2020年12月28日閲覧。
  13. ^ ACE COMBAT 25th Anniversary WALLPAPER”. ACE COMBAT™シリーズ25周年特設サイト. バンダイナムコエンターテインメント. 2020年12月28日閲覧。
  14. ^ a b c d e エースコンバットZERO公式サイト、WORLD、GROUNDS”. バンダイナムコゲームス. 2020年10月25日閲覧。
  15. ^ エースコンバットZERO公式サイト、WORLD、BELKAN POWER”. バンダイナムコゲームス. 2020年10月25日閲覧。
  16. ^ エースコンバット・ゼロ ザ・ベルカン・ウォー パーフェクトガイドブック、190頁。
  17. ^ エースコンバットZERO公式サイト、WORLD、WORLD NEWS、"名もなき写真家 クラウス・バウアー"”. バンダイナムコゲームス. 2020年10月25日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]