ニコラス・ペタス

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ニコラス・ペタス
基本情報
本名 ニコラス・ペタス
通称 青い目のサムライ
階級 ヘビー級K-1
身長 180cm
体重 105kg
国籍  デンマーク
誕生日 (1973-01-23) 1973年1月23日(51歳)
出身地  デンマーク
スタイル 極真空手
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ニコラス・ペタスNicholas Pettas1973年1月23日 - )は、デンマーク出身の男性空手家キックボクサー俳優。芸能プロダクションエクセリング

2003年12月には、「ザ・スピリット・ジム」を東京都港区赤坂にオープンした。

来歴

1973年1月23日生まれ。ギリシャミコノスアメリカ国籍ギリシャ人の父と、デンマーク人の母の間に生まれる。3歳の時に父親が他界した為、母親の故郷であるデンマークに移住した。1988年極真会館デンマーク支部への入門を経て、1991年に東京池袋の極真会館本部道場の内弟子となる。総裁・大山にとってペタスは存命中最後の内弟子であり、「大山倍達最後の内弟子」は、ペタスのキャッチフレーズにもなった。

1998年よりK-1に参戦し、2001年に行われたK-1 JAPAN GP 2001に出場し、決勝戦では武蔵を破り、日本王者となった。

2001年12月8日、K-1 WORLD GP 2001の決勝大会で、アレクセイ・イグナショフと対戦。2R、イグナショフの首相撲からの膝蹴りが顔面に直撃し鼻骨を骨折、TKO負け。

2002年6月2日、セルゲイ・グールとの試合で、善戦していたものの、右ローキックを繰り出したところ、グールが一瞬遅れてローキックを操り出し、グールの膝の部分にペタスの脛が当たるアクシデントで右脛を骨折、長期欠場を余儀なくされる。さらに、本人の了承なしの極真会館の記者会見で事実上の引退状態に追い込まれていたが、2005年10月9日にオランダでムエタイルールの試合を行い(2RにTKO勝利)、現役復帰を果たした。

2006年3月18日、XPLOSION SUPER FIGHT 13のセミファイナルでマット・サモアと対戦予定であったが、興行の途中で観客が発砲する騒ぎが発生し、試合は中止となった[1]

2006年12月31日、K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!にてバダ・ハリと対戦。実に4年振りとなるK-1出場であったが、1R中盤にバダのキックで左腕を痛めてしまい、2Rにバダのボディブローを負傷している左腕に受けてしまい、ダウンを取られ、セコンドがタオルを投入、敗北した。またしても、左腕の骨折というアクシデントを負った。

2007年8月5日、K-1 WORLD GP 2007 IN HONG KONGにてピーター・アーツと対戦。序盤にはフックの連打で、アーツをロープ際に棒立ちにさせたチャンスもあったが、最後はアーツの右ハイキックでKO負け。

2007年11月9日にジム開きされた「A・E FACTORY」の打撃担当コーチに就任[2]

2007年12月31日、「K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!」でキム・ヨンヒョンと対戦。身長2mを越す長身の相手の圧力に押し込まれる部分もあったが、右ローキックを相手左腿に集め、2RにKO勝ちした。入場時には綾戸智恵の生歌で入場した。

2008年2月29日、クラブファイトイベント「SMOKER's」をプロデュース。ペタス率いる「チーム・ペタス」と、阿部裕幸率いる「AACC Tigres」の対抗戦が行われた。

2008年8月9日、K-1 WORLD GP 2008 IN HAWAIIの1回戦でリック・チークと対戦するも、右太腿内側の筋肉を負傷し、試合放棄した。

2010年、映画「エクレール」に出演。

2011年2月、「現代狂言V」南原清隆野村萬斎の現代狂言シリーズで山田まりやとゲスト出演予定。

戦績

キックボクシング

勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× リック・チーク 1R 1:15 TKO(試合放棄:右太腿負傷) K-1 WORLD GP 2008 IN HAWAII
【USA GP 1回戦】
2008年8月9日
キム・ヨンヒョン 2R 0:41 TKO(タオル投入) K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!! 2007年12月31日
× ピーター・アーツ 2R 2:34 KO(右ハイキック) K-1 WORLD GP 2007 IN HONG KONG 2007年8月5日
× バダ・ハリ 2R 1:28 TKO(タオル投入) K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!! 2006年12月31日
恩田剛徳 2R 1:00 TKO(タオル投入) HEAT 2nd 2006年9月23日
エリック・ノサ 3R KO(パンチ連打) XPLOSION SUPER FIGHT 14 2006年8月18日
グーカン・サキ 2R終了時 TKO(右足首負傷) BUSHIDO Europe - ROTTERDAM RUMBLE
【ムエタイルール】
2005年10月9日
× セルゲイ・グール 2R 1:00 TKO(ドクターストップ、右脛骨折) K-1 SURVIVAL 2002 〜富山初上陸〜 2002年6月2日
× ピーター・アーツ 1R 2:50 KO(膝蹴り) K-1 BURNING 2002 〜広島初上陸〜 2002年4月21日
× アレクセイ・イグナショフ 2R 1:21 TKO(鼻骨骨折) K-1 WORLD GP 2001 決勝戦
【準々決勝】
2001年12月8日
武蔵 3R+延長R終了 判定3-0 K-1 ANDY MEMORIAL 2001 〜JAPAN GP 決勝戦〜
【K-1 JAPAN GP 決勝】
2001年8月19日
ノブ・ハヤシ 1R 1:26 KO(右ローキック) K-1 ANDY MEMORIAL 2001 〜JAPAN GP 決勝戦〜
【K-1 JAPAN GP 準決勝】
2001年8月19日
藤本祐介 1R 2:57 KO(右ローキック) K-1 ANDY MEMORIAL 2001 〜JAPAN GP 決勝戦〜
【K-1 JAPAN GP 準々決勝】
2001年8月19日
ピーター・ヴァルガ 3R 1:39 KO(右ローキック) K-1 GLADIATORS 2001 2001年3月17日
× マイケル・マクドナルド 5R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2000 in FUKUOKA 2000年10月9日
× ジェロム・レ・バンナ 1R 3:00 KO(2ノックダウン:右フック) K-1 WORLD GP 2000 in NAGOYA
【準決勝】
2000年7月30日
リッキー・ニッケルソン 1R 1:27 KO(右ローキック) K-1 WORLD GP 2000 in NAGOYA
【1回戦】
2000年7月30日
× 野地竜太 再延長R終了 判定 SRS藤原紀香番組卒業特番 スペシャルワンマッチ 1999年3月25日
× ステファン"ブリッツ"レコ 2R 1:09 TKO(右ストレート) K-1 DREAM '98 1998年7月18日

エキシビションマッチ

勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
ピーター・グラハム 3分2R NO NAME HEROES 7
【スパーエキシビションマッチ】
2007年10月28日
新田明臣 2分2R NO NAME HEROES 6 -GO GO UGO!-
【スペシャルエキシビションマッチ】
2006年11月26日

エピソード

  • 非常に流暢な日本語を話す。前述の右脛骨折の際には「折れた折れた!」と日本語で連呼していた。
  • 日本人女性と結婚しており(2013年に離婚している)、日本で「ニコラス・ペタス道場」を主催し空手とキックボクシングの指導も行っている。
  • 格闘技のほか、俳優としても活躍しており、2008年6月9日放送のフジテレビのドラマ『CHANGE』第5話にゲスト出演した。
  • サッカー選手中田英寿のガードマンになったこともあった。
  • 趣味はオートバイ。愛車はハーレーダビッドソン・ソフテイル(FXSTDソフテイル・デュース 現在は売却済み)、スズキ・GSX1300Rハヤブサカワサキ・ZZR1400(ハーレーダビッドソン・ソフテイルを売却後に購入)。
  • ヘビー級相手には黒星が多かったが、自分と近い重量相手には無類の強さを誇り、武蔵や藤本祐介から勝利をおさめ、先述のセルゲイ戦は事故で負けてしまったものの、 それまでは善戦していた。

出演作品

映画

テレビドラマ

テレビ その他

脚注

外部リンク