ドレミのうた

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ドレミのうた」(: Do-Re-Mi)は、ミュージカルサウンド・オブ・ミュージック』の歌の1つ。1959年の作品。オスカー・ハマースタイン2世作詞、リチャード・ロジャース作曲。

同名の映画でも用いられた。日本では、歌手のペギー葉山が自ら訳詞・歌唱したバージョンが広く知られている(後述)。

概要

ヒロインであるマリア・ライナー先生がトラップ一家の子供達に音名(ドレミ)を教える場面で、マリア先生と子供達によって歌われる歌である。のちにミュージカルが映画化され、有名になった。ミュージカルから離れても広く愛唱されており、非常に有名な歌である。子供が学校で初めて覚える歌の1つでもある。

各節の歌詞の冒頭が「ドレミファソラシ」になっていて、なおかつ各節のメロディの冒頭も「ドレミファソラシ」になっているため、音名を覚えるには最適とされる。この発想自体、イタリア語音名(ドレミ)の由来となった『聖ヨハネ賛歌』と通じるものがある。

ちなみに、原曲はハ長調ではなく変ロ長調であり、固定ド唱法では「シ♭ドレミ♭ファソラ」となる。

日本語詞

ペギー葉山版

概要

ドレミの歌
ペギー葉山シングル
B面 ひとりぼっちの羊飼い
リリース
規格 シングルレコード
ジャンル ショー・チューン
レーベル キングレコード
作詞・作曲 オスカー・ハマースタイン2世リチャード・ロジャース
ペギー葉山(訳詞)
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みんなのうた
ドレミの歌
歌手 ペギー葉山音羽ゆりかご会
作詞者 オスカー・ハマースタイン2世
ペギー葉山(訳詞)
作曲者 リチャード・ロジャース
編曲者 小野崎孝輔
映像 実写
初放送月 1962年6月-7月
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日本ではジャズ及び歌謡曲の歌手・ペギー葉山が自ら日本語の歌詞をつけて紹介したものが広く知られており、音楽の教科書にも掲載された。

ペギー版は1961年(昭和36年)に「ドレミの」の曲名でシングルレコードとして発売、1962年(昭和37年)にNHKの「みんなのうた」で使用された。同年7月10日には東京少年合唱隊のバックコーラスがついた再録音版が「ドレミのうた[1]の曲名でシングル「大人とこども」のB面曲として発売されている。

ペギーが1960年(昭和35年)にロサンゼルスで開催された日米修好100年祭に招待された直後にブロードウェイに立ち寄り、そこで見た『サウンド・オブ・ミュージック』に感銘を受け、劇場の売店で譜面とオリジナルLPを購入し、そのままホテルへ直行し1番の訳詞を手がけ、日本に持ち帰った[2][3]

ペギー葉山による日本語詞はアメリカのイメージが強いドーナツが登場するなど[4]、ミュージカルとの関連性が希薄になっている(ミュージカルはオーストリアの一家の物語)。そのこともあり、『サウンド・オブ・ミュージック』の日本公演でペギーの詞が使われることは長らくなかった[4]。しかし、2007年からの劇団スイセイ・ミュージカルによる、『サウンド・オブ・ミュージック』では、ペギー葉山が修道院長役で出演し、はじめてペギー葉山版の歌詞が使用された。2010年劇団四季による『サウンド・オブ・ミュージック』上演でもペギー葉山版の歌詞が使用されている。

なお、歌詞中にドーナツを登場させたことについて、後にペギー自身が戦時中の集団疎開で食べ物が乏しい中、一番食べたかったものが母親手作りのドーナツだったことからこの歌詞を着想したと語っている[3][5]

ペギーは当初、音名に対応する語をすべて食べ物にしようとしていたが(ミはミカンなど)、「ファ」で始まる食べ物がファンタしか思いつかず、商品名(商標名)になるため断念した[6]というエピソードがある。また、ペギー版の2番の詞は、レコード化される際に新たに付け加えられたものであり、ペギーが東北地方へコンサートに出かけた際に、車窓から小学校で運動会の予行演習をしていた子供たちの姿を見て、歌詞にしたものである[6](英語原詞には2番は存在しない)。

映画版でマリアを演じたジュリー・アンドリュースも、1977年の来日コンサートで「ドレミの歌」を歌った際、途中からペギー葉山版の日本語詞を披露している。

なお、アニメ『トラップ一家物語』では、主題歌にペギー版歌詞の本曲が用いられた(詳細はトラップ一家物語#主題歌を参照)。

ペギーは本曲の日本語詞を作詞したことが縁となり、1995年(平成7年)にNHKのテレビ番組「世界・わが心の旅」で、当時存命中であったトラップ家の人々との対面が実現した[7]

2014年8月13日放送の『水曜日のダウンタウン』で、すべて食べ物の歌詞がペギー本人によって書き下ろされた(どんぶり・レンコン・みそ汁・ファミチキ・そぼろ・らっきょ・しば漬け)。2015年6月8日にテレビ東京で放送された『大人も知らない大人の事情』では、全ての歌詞を食べ物の商品名にした「ドレミのうた 〜大人の事情バージョン〜」がペギー葉山と紺野あさ美によって書き下ろされた(どん兵衛レッドブルミルミル・ファンタ・爽健美茶ラ王白い恋人)。

収録曲

1961年盤(キングレコード BS-7125)、1978年盤(キングレコード BS-1425)
  1. ドレミの歌(「サウンド・オブ・ミュージック」より)
    • 作詞:オスカー・ハマースタイン2世、訳詞:ペギー葉山、作曲:リチャード・ロジャース、編曲:小野崎孝輔、歌:ペギー葉山、ひばり児童合唱団、レオン・サンフォニエット
  2. ひとりぼっちの羊飼い(「サウンド・オブ・ミュージック」より)
1962年盤(キングレコード EB-7114)
  1. 大人とこども
    • 作詞:ルネ・ルゾー(René Rouzaud)、訳詞:藤田敏雄、作曲:ウェイン・シャンクラン(Wayne Shanklin)、編曲:小野崎孝輔、歌:ペギー葉山、庄司淳
    原題は"L'Homme et l'Enfant"、エディ・コンスタンティーヌタニア・コンスタンティーヌが歌った同名映画の主題歌のカバー
  2. ドレミのうた
    • 作詞:オスカー・ハマースタイン2世、訳詞:ペギー葉山、作曲:リチャード・ロジャース、編曲:小野崎孝輔、歌:ペギー葉山、東京少年合唱隊
1978年盤(キングレコード GK-2030)
  1. ラ・ノビア
  2. ドレミの歌
    • 作詞:オスカー・ハマースタイン2世、訳詞:ペギー葉山、作曲:リチャード・ロジャース、編曲:小野崎孝輔、歌:ペギー葉山、ひばり児童合唱団
1998年盤(キングレコード KIDX-2140)
  1. ドレミの歌
  2. ラ・ノビア

宮城まり子版

ドレミの唄
宮城まり子シングル
初出アルバム『まり子のミュージカル』
B面 気まゝな暮らし
リリース
規格 シングルレコード
ジャンル ショー・チューン
レーベル ビクターレコード
作詞・作曲 オスカー・ハマースタイン2世リチャード・ロジャース
岩谷時子(訳詞)
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岩谷時子の日本語詞により宮城まり子が歌ったものが1962年昭和37年)発売のLP『まり子のミュージカル』(ビクター LV-263)に収録され、1963年(昭和38年)7月にシングルカットされた。宮城版の曲名は「ドレミの」である。

宮城は1962年の『第13回NHK紅白歌合戦』でも「ドレミの唄」を歌っている。

収録曲

1963年盤(ビクター PV-39)
  1. ドレミの唄(「サウンド・オブ・ミュージック」より)
    • 作詞:オスカー・ハマースタイン2世、訳詞:岩谷時子、作曲:リチャード・ロジャース
  2. 気まゝな暮らし(気ままなくらし)(「アニーよ銃をとれ」より)
    • 作詞・作曲:アーヴィング・バーリン、訳詞:岩谷時子
    • 「ドレミの唄」と同様に『まり子のミュージカル』からのシングルカット。

ミュージカル版

1965年(昭和40年)に開始された『サウンド・オブ・ミュージック』の日本公演では、滝弘太郎による日本語詞が使われてきた[4]。滝は、英語原詞を直訳して日本語にすると歌詞が長くなりすぎて音符に乗らず、意訳するとミュージカルと繋がらなくなるということで、日本語詞には苦心したという[4]。また、1992年(平成4年)からの日本公演では、宮本亜門による新たな日本語詞が使われている[4]

九重佑三子版

ドレミのうた
九重佑三子楽曲
リリース1965年10月
規格シングルレコード
ジャンルショー・チューン
レーベル東芝レコード
作詞者オスカー・ハマースタイン2世
萩原芳子(訳詞)
作曲者リチャード・ロジャース
収録曲
  1. チム・チム・チェリー
  2. ドレミのうた

萩原芳子の日本語詞により九重佑三子が歌ったものが1965年(昭和40年)10月、シングル「チム・チム・チェリー」のB面曲として発売された。九重版の曲名は「ドレミのうた」である。

収録曲

1965年盤(東芝 TP-1164)
  1. チム・チム・チェリー(映画「メリー・ポピンズ」より)
  2. ドレミのうた(映画「サウンド・オブ・ミュージック」より)
    • 作詞:オスカー・ハマースタイン2世、訳詞:萩原芳子、作曲:リチャード・ロジャース

その他の日本語版

岩谷時子の日本語詞(宮城に提供したものとは異なる)により越路吹雪が歌ったものが存在し、1974年(昭和49年)発売のLP『ようこそ劇場へ -越路吹雪ロング・リサイタル-』(東芝EMI TP-60022/3)に収録されている。

フジテレビの番組「オールスター家族対抗歌合戦」ではオープニングテーマに本曲が使用されたが、歌詞は番組オリジナルの日本語詞であった。

歌詞

英語原詞はそれぞれの音名について、同じまたは似た発音の単語を使っている(例えば: doe(ド)は: female Deer(雌鹿)、: ray(レ)は: a drop of golden sun(黄金色の太陽からこぼれおちた光)、: me(ミ)は(自分を指す英語me)ミー、ファは「遠い」という意味のfar、ソは「針で縫う」という意味のsew、ラには適当な英単語がなかったので「ソの次の音」)。なお、英語では si「シ」音を ti「ティ」と発音して「ジャム付きのパン」とつないでいる[8]ので、: tea紅茶)に掛けている。

多くの日本語詞では、音名が頭につく単語を用いている(例えばド:ドーナツ(ペギー葉山版及び越路吹雪版)、ド:ドラム(滝弘太郎版及び宮本亜門版)、ド:甘いドロップ(宮城まり子版)、ド:どこまでも(九重佑三子版))。

脚注

  1. ^ これはジャケット表面での表記で、ジャケット裏面では「ドレミの」と表記。
  2. ^ 『唱歌・童謡ものがたり』50頁。
  3. ^ a b 『ドレミの歌』は人生の宝物 ペギー葉山西日本新聞、2012年9月18日
  4. ^ a b c d e 読売新聞文化部『唱歌・童謡ものがたり』岩波書店、1999年、52頁。ISBN 4000233408
  5. ^ 劇団四季編集部編『サウンド・オブ・ミュージック』2010年
  6. ^ a b 『唱歌・童謡ものがたり』51頁。
  7. ^ 『唱歌・童謡ものがたり』53頁。
  8. ^ ドレミファソラ「ティ」?

関連項目

外部リンク