ジュリアス・J・エプスタイン
ジュリアス・J・エプスタイン Julius J. Epstein | |||||||||
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生年月日 | 1909年8月22日 | ||||||||
没年月日 | 2000年12月30日(91歳没) | ||||||||
出生地 | アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク | ||||||||
死没地 | アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス | ||||||||
職業 | 脚本家 | ||||||||
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ジュリアス・J・エプスタイン(Julius J. Epstein, 1909年8月22日 於ニューヨーク - 2000年12月30日 於ロサンゼルス)は、アメリカ合衆国の脚本家。双子の兄弟であるフィリップ・エプスタインとともに、数々の翻案や脚本を生み出してきた。その一例として、マリー・バーネットとジョーン・アリスンの未発表の戯曲『誰もがリックの店にやって来る』をもとに、映画『カサブランカ』(1942年)を生み出し、脚色チームは アカデミー脚色賞を受賞した。
フィリップの死後も彼は仕事を続け2回アカデミー賞にノミネートされた後、1998年には 業績をたたえられロサンゼルス映画批評家協会賞を授けられた。
人物
1931年、 ペンシルベニア州立大学で文学士号をとって卒業。
エプスタイン兄弟は学生時代、ボクシングで学校代表に選ばれ、ジュリアスは NCAA Bantamweight Championになった。彼は大学と親密な関係にあると話しており(実際彼はしばしばその学校の映画の授業に客員講師としてやってきていた)、学校のポロシャツへの思いに沈んでいると話していた。
ワーナー・ブラザース代表のジャック・ワーナーはエプスタイン兄弟とは強い愛憎の念を抱いていた。兄弟とは商業的成功について言い合うことができなかったが、兄弟のいたずらや仕事の癖や時間の使い方について非難しており、言い合うこともよくあった。 1952年ワーナーは 下院非米活動委員会 (HUAC)に兄弟の名を告げた。委員会に証言を話す羽目になることはなかったが、破壊活動を行う団体に所属していたことがあるかどうかを問うアンケートを受け取った際、彼らは、「はい、ワーナー・ブラザースです。」と回答してしまった。
ジュリアスは、ボストン大学で文芸を教えている小説家レスリー・エプスタインのおじでもあり、ボストン・レッドソックスGM セオ・エプスタインの大おじでもある。
主な作品
- 四人の姉妹 Four Daughters (1938)
- いちごブロンド The Strawberry Blonde (1941)
- 花嫁は現金払いで The Bride Came C.O.D. (1941)
- 晩餐に来た男 The Man Who Came to Dinner (1942)
- ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ Yankee Doodle Dandy (1942)*クレジットなし
- カサブランカ Casablanca (1942) - キネマ旬報ベスト・テン 第8位
- ザ・バトル・オブ・チャイナ The Battle of China (1944)
- 愛の終焉 Mr. Skeffington (1944)
- 愚かなり我が心 My Foolish Heart (1949)
- 雨の朝巴里に死す The Last Time I Saw Paris (1954)
- The Tender Trap (1955)
- カラマゾフの兄弟 The Brothers Karamazov (1958)
- Light in the Piazza (1962)
- 花は贈らないで! Send Me No Flowers (1964)
- おかしな結婚 Pete 'n' Tillie (1972)
- Reuben, Reuben (1983)
受賞歴
外部リンク
- Julius J. Epstein - IMDb
- Obituary on bbc.co.uk
- Obituary in The New York Times (January 1, 2001)
- ジュリアス・J・エプスタイン - Find a Grave