ジェイコブ・ロスチャイルド (第4代ロスチャイルド男爵)

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第4代ロスチャイルド男爵
ジェイコブ・ロスチャイルド
Jacob Rothschild
4th Baron Rothschild
生年月日 (1936-04-29) 1936年4月29日(88歳)
出身校 オックスフォード大学クライスト・チャーチ
所属政党 中立派
称号 第4代ロスチャイルド男爵メリット勲章(OM)、大英帝国勲章ナイト・グランド・クロス(GBE)、イギリス学士院フェロー(FBA)
配偶者 セレナ英語版
親族 第3代ロスチャイルド男爵ヴィクター(父)

イギリスの旗 貴族院議員
在任期間 1990年3月20日 - 1999年11月11日[1]
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第4代ロスチャイルド男爵ナサニエル・チャールズ・ジェイコブ・ロスチャイルド英語: Nathaniel Charles Jacob Rothschild, 4th Baron Rothschild, OM, GBE, FBA1936年4月29日 - )は、イギリス銀行家政治家貴族慈善家

ロンドン・ロスチャイルド家の現当主(6代目)。嫡流にあたるが、分家エヴェリンが経営権を握るN・M・ロスチャイルド&サンズから独立し、RIT・キャピタル・パートナーズ英語版を創設して独自の金融業を行っている。1990年ロスチャイルド男爵の爵位を継承し、1999年まで貴族院議員を務めた。現在のロスチャイルド家を代表する人物の1人。

経歴

1936年4月29日、第3代ロスチャイルド男爵ヴィクター・ロスチャイルドとその先妻バーバラ・ジューディス(Barbara Judith)の長男として生まれる[2]

イートン・カレッジを経てオックスフォード大学クライスト・チャーチを卒業する[2]。これまでロスチャイルド家はハーロー校を経てケンブリッジ大学へ進学するのが伝統だったので異例のことであった[3]

ニューヨークモルガン・スタンレーに勤務して財務を学んだのち[4]1963年から銀行N・M・ロスチャイルド&サンズに共同経営者として勤務する[5]1971年にはライフガーズ少尉として入隊している[2]。また1971年から1996年にかけてはセント・ジェームズ・プレイス英語版の社長も務めた[2]

ジェイコブはN・M・ロスチャイルド&サンズ内では投資部門「RIT英語版」を主導した[5]。ジェイコブはリスクを恐れない積極的なM&Aを好んだ。彼の主導でN・M・ロスチャイルド&サンズには外部からの資金が大量に流れ込むようになり、それを元手に積極的な企業買収が行われた[4]。その買収の1つがグランド・メトロポリタン英語版だった。当時イギリス史上最大のお金が動いたといわれている[3]。ジェイコブの企業買収でN・M・ロスチャイルド&サンズの業績は急速に伸びた[4]

しかしN・M・ロスチャイルド&サンズの経営権は株式の60%を持つ分家のエヴェリンが握っており、ジェイコブの父である第3代ロスチャイルド男爵ヴィクターは20%の株しか持っていなかったから、やがてジェイコブの大胆なM&A路線は堅実経営を好むエヴェリンから独断にすぎると批判されるようになり、N・M・ロスチャイルド&サンズの内部対立は深刻化した。この争いを仲裁するために1975年に父ロスチャイルド卿が頭取に就任する。しかし結局父は筆頭株主エヴェリンを支持したので、ジェイコブは1980年にRITを率いてN・M・ロスチャイルド&サンズを飛び出した[6][7]。エヴェリンからは5本の矢を商標として使用するのを止めるよう求められたが、5本の矢は商標登録されていなかったので、ジェイコブはその要請を拒否し、N・M・ロスチャイルド&サンズの「下を向く5本の矢」に対する当て付けで「上を向く5本の矢」を商標にした[8]

この後、N・M・ロスチャイルド&サンズはエヴェリンの方針のもと、堅実経営に戻り、対するRITはジェイコブの方針のもと積極的な投資・企業買収を推進するという対象的な道へ進んでいくことになった。RITはオークション会社サザビーズや投資信託銀行ノーザンなどに投資しつつ、事務機器、リース業、保険関連会社などの買収を進めて事業を拡大していった。1983年にはニューヨーク・マーチャント銀行の株50%を買い、さらにチャーターハウス銀行と合併し「チャーターハウス・J・ロスチャイルド銀行」を創設した。独立から4年にして資本金を4倍にした恰好であり、シティでも有数の銀行として注目されるようになった[9]。しかしこの直後から、これまで買収した企業の株を次々と売却し、現金化して貯め込むようになった。ちょうど1987年にアメリカのウォール街が暴落し、1990年からはイギリスでもサッチャー政権の金融緩和によって発生していたバブルが弾けたので、これは見事なタイミングでの撤退となった(ロンドン・ロスチャイルド家の祖ネイサンは「早すぎると思うほど早く売ってしまうことです」という遺訓を残していた)[10][11]

RITがスペンサー伯爵家から賃借しているスペンサー・ハウス英語版(2009年撮影)

1985年にRITはダイアナ妃の父であるスペンサー卿からスペンサー・ハウス英語版を96年契約で賃借し、2000万ポンドの巨費を投じてその内装を18世紀の状態に復元した[12]。この修復作業はダイアナ妃からも高く評価された[13]

1990年に父ヴィクターが死去し、第4代ロスチャイルド男爵位を継承する[14]。同時に貴族院議員に列し、貴族院改革のあった1999年11月11日まで在職している[1][注釈 1]。しかし政党には所属せず、中立派の議員として行動していた[14]

資金がだぶついていたロスチャイルド卿は、1993年から投資管理会社RITキャピタル・パートナーズと投資、会社セント・ジェイムズ・プレイス・キャピタルを創設して、投資事業を再開した。さらにアメリカにもロスチャイルド・ウォルフェンソン投資会社を創設する[16]ソビエト連邦が崩壊して市場が自由化したロシアにも関心を持ち(ホドルコフスキーを参照)、1992年にはロシア・アメリカ投資会社の創設に協力した[16]1994年からは投資会社ロスチャイルド・アセット・マネジメントを創設してバイオ産業に投資を開始した[16]

2002年メリット勲章の叙勲を受けた[2]

2003年から2008年までBスカイBの副社長を務めた[17]。同じく2008年までRHJインターナショナルの取締役を務めた[18]

2010年11月には、ジェニー・エナジー英語版の株5%分を1000万ドルで購入した[19]。同社は2013年ゴラン高原南部に石油採掘権を獲得した[20]

コーンウォール公領の統治を行う公爵チャールズ皇太子)諮問会議の議員も務めている[21]

慈善事業

ロスチャイルド卿がかつて理事長を務めていたナショナル・ギャラリー

芸術家の保護に熱心であり、年間50万ポンドの寄付を行っている[14]ナショナル・ギャラリーの理事長や国家遺産記念財団英語版の会長[14]アシュモレアン博物館の外部委員会の委員[22]コートールド美術研究所の理事及び名誉フェロー[23]などを歴任している。

国外でも活躍し、ロシアエルミタージュ美術館の理事[24]アメリカプリツカー賞の会長[25]などを歴任した。1995年にはニューヨークワールド・モニュメント財団よりハドリアヌス賞(Hadrian Award)を受けた[2]

イスラエルでは、イスラエルのクネセト(国会)や最高裁判所の建物を寄贈した財団「ヤド・ハナディヴ」の議長を務めている[26]ユダヤ人政策研究所英語版の名誉会長も務めている[27]。この他、叔母であるドロシー・ド・ロスチャイルドが存命時代に設立した通信制大学「イスラエル・オープン大学」の総長代理として大学運営にあたっている[28]

栄典

爵位・準男爵位

勲章

その他

子女

1961年にセレナ・ドン英語版と結婚。彼女はカナダの投資家サー・ジェームズ・ハメット・ドン准男爵英語版の娘であった。 彼女との間に以下の4子を儲けている[2]

  • 第1子(長女)ハンナ閣下(Hon. Hannah)(1962年-):ウィリアム・ロード・ブロックフィールド(William Lord Brookfield)と結婚。
  • 第2子(次女)ベス・マチルダ閣下(Hon. Beth Matilda)(1964年-):アントニオ・トマシニー(Antonio Tomassini)と結婚。
  • 第3子(三女)エミリー・マグダ閣下(Hon. Emily Magd)(1967年-):ユリアン・デーヴィッド・ヴァーレン・フリーマン=アトウッド(Julian David Warren Freeman-Attwood)と結婚
  • 第4子(長男):ナサニエル・フィリップ・ヴィクター・ジェームズ英語版閣下(1971年-):ロスチャイルド男爵位の法定推定相続人

参考文献

  • 池内紀『富の王国ロスチャイルド』東洋経済、2008年(平成20年)。ISBN 978-4492061510 
  • 田中嘉彦英国ブレア政権下の貴族院改革 第二院の構成と機能』(PDF)一橋大学、2009年http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/17144/2/hogaku0080102210.pdf 
  • アンドリュー・モートン英語版 著、入江真佐子 訳『ダイアナ妃の真実』早川書房、1992年(平成4年)。ISBN 978-4152035240 
  • 横山三四郎『ロスチャイルド家 ユダヤ国際財閥の興亡』講談社、1995年(平成7年)。ISBN 978-4061492523 
  • エドムンド・ド・ロスチャイルド『ロスチャイルド自伝 実り豊かな人生』中央公論新社、1999年(平成11年)。ISBN 978-4120029479 

脚注

注釈

  1. ^ トニー・ブレア政権による貴族院改革により、1999年11月11日に世襲貴族の議席は92議席を残して削除され、ロスチャイルド卿を含む大半の世襲貴族が議席を失った。以降の貴族院は、爵位を世襲できない一代貴族が議員の大半を占めている[15]

出典

  1. ^ a b UK Parliament. “Mr Nathaniel Rothschild” (英語). HANSARD 1803-2005. 2013年12月23日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o Lundy, Darryl. “Nathaniel Charles Jacob Rothschild, 4th Baron Rothschild” (英語). thepeerage.com. 2013年11月24日閲覧。
  3. ^ a b 池内(2008) p.193
  4. ^ a b c 横山(1995) p.129
  5. ^ a b エドムンド(1999) p.263
  6. ^ 横山(1995) p.129-130
  7. ^ 池内(2008) p.194-195
  8. ^ 横山(1995) p.131
  9. ^ 横山(1995) p.132
  10. ^ 横山(1995) p.132-133
  11. ^ 池内(2008) p.195-196
  12. ^ 横山(1995) p.23
  13. ^ モートン(1992) p.291
  14. ^ a b c d 横山(1995) p.22
  15. ^ 田中(2009) p.229/241
  16. ^ a b c 横山(1995) p.134
  17. ^ Rothschild to act as BSkyB buffer “Rothschild to act as BSkyB buffer”. ガーディアン. (2003年11月3日). http://www.guardian.co.uk/media/2003/nov/03/citynews.rupertmurdoch Rothschild to act as BSkyB buffer 2013年9月2日閲覧。 
  18. ^ Annual Shareholders’ Meeting notice”. RHJインターナショナル (2008年8月14日). 2013年9月2日閲覧。
  19. ^ PRELIMINARY INFORMATION STATEMENT OF GENIE ENERGY LTD”. 証券取引委員会 (2011年10月6日). 2013年9月12日閲覧。
  20. ^ Kelley, Michael (2013年2月22日). “Israel Grants First Golan Heights Oil Drilling License To Dick Cheney-Linked Company”. ビジネス・インサイダー. http://www.businessinsider.com/israel-grants-golan-heights-oil-license-2013-2 2013年9月12日閲覧。 
  21. ^ Duchy of Cornwall - Management and Finances”. The Official Website for the Duchy of Cornwall. コーンウォール公領 (2011年11月15日). 2013年9月2日閲覧。
  22. ^ Annual Report of the Visitors of The Ashmolean Museum - August 2006—July 2007 (PDF) (Report). アシュモレアン博物館. 14 January 2008. 2013年9月2日閲覧
  23. ^ Swallow, Dr. Deborah. “The Courtauld Institute of Art : Newsletter Spring 2008 - From the Director”. The Courtauld Institute of Art website. コートールド美術研究所. 2013年9月2日閲覧。
  24. ^ Interview in the magazine Russian Journal”. Interview with the Ditector. エルミタージュ美術館 (2011年7月4日). 2013年9月2日閲覧。、元々の記事はRussian Journal. (2004年1月13日). 
  25. ^ The Pritzker Architecture Prize - Jury”. プリツカー賞 (2011年9月14日). 2013年9月2日閲覧。
  26. ^ Yad Hanadiv (Report). ヤド・ハナディヴ. 2013年9月12日閲覧
  27. ^ Institute of Jewish Policy Research: Governance (Report). ユダヤ人政策研究所英語版. 2013年9月12日閲覧
  28. ^ イスラエル・オープン大学. “Dedication of the Campus” (英語). The Open University. 2014年3月6日閲覧。

関連項目

外部リンク

イギリスの爵位
先代
ヴィクター・ロスチャイルド
第4代ロスチャイルド男爵
1990年-現在
次代
現在