I号自走重歩兵砲

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I号自走重歩兵砲
I号自走重歩兵砲
種類 自走砲
原開発国 ナチス・ドイツの旗 ナチス・ドイツ
運用史
配備期間 1940 - 1943
配備先 ナチス・ドイツの旗 ナチス・ドイツ
関連戦争・紛争 第二次世界大戦
開発史
開発期間 1939-1940
製造業者 アルケット
製造期間 1940
製造数 38
諸元
重量 8.5トン
全長 4.67m
全幅 2.06m
全高 2.8m
要員数 4

装甲 13 mm - 5 mm
主兵装 15cm sIG33歩兵砲
エンジン 水冷6気筒 3791cc
マイバッハNL38TR
変速機 前進5段, 後進1段
行動距離 140km
速度 40km/h
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I号自走重歩兵砲(いちごうじそうじゅうほへいほう)、制式名 15cm sIG33 (Sf) auf Panzerkampfwagen I Ausf B( I号戦車B型搭載、15cm重歩兵砲(自走式))は、第二次世界大戦中にドイツ陸軍が使用した自走砲である。

概要

ラインメタル社により開発、1933年に制式化された15cm sIG33は、歩兵部隊の直接の火力支援用に用いられる歩兵砲としては、第二次世界大戦を通し、ドイツ軍で最大口径のもので、敵の強固な拠点の破壊に威力を発揮することができた。しかし、その重量は約1.8トンと重く、取り回しに難があった。このため、機械化部隊の随伴用に、その自走砲化が早くから計画されていた。

I号自走重歩兵砲の開発はおそらく1930年代末、アルケット社によって行われ、1940年2月、同社工場において38両が生産された。これは、第二次世界大戦で使用されたドイツ軍の戦車車台利用の自走砲で最初のものであった。

ベースに用いられた I号戦車B型は砲塔と戦闘室上部装甲が除かれたほかは大きな改装はないが、車体前面装甲の視察口は、操縦手用に加え、右側にもうひとつ追加された。15cm sIG33歩兵砲は牽引式のまま、車輪も取り外さずに搭載された。15cm sIG33と I号戦車はほぼ同幅で、戦闘室からフェンダー上へ張り出す形で、左右を肋材で連結した車輪止めが設けられた。車体後部には 15cm sIG33後端のピントルを利用する固定具が付けられ、さらに車輪止めと後部固定具は左右で鋼材で結ばれていた。これに前・側方のみに10mm厚の装甲板で、大きな箱型の上部装甲が施された。

15cm sIG33は旧式な単脚・箱型の砲架を持つため、専用の砲架を新規開発せずに早期の実用化を図るにはこのような搭載法を採らざるを得なかったものと考えられているが、その結果、I号自走重歩兵砲は全高は2.8mと、小型の車体に比較して非常に背高な車両となった。

この車両の完成とともに、第701~706重歩兵砲(自走式)中隊が編成され、各中隊にはそれぞれ6両の I号自走重歩兵砲が配備された(2両装備の小隊3個)。第701中隊は第9機甲師団、第702中隊は第1機甲師団、第703中隊は第2機甲師団、第704中隊は第5機甲師団、第705中隊は第7機甲師団、第706中隊は第10機甲師団に配属され、1940年5月の対西方戦役に投入されたのを皮切りに、バルカン作戦バルバロッサ作戦にも使用された。第5機甲師団に配属された第704中隊では、1943年時点でもまだ数両の I号自走重歩兵砲を保有していた。

即製車両ではあるが、本車のような兵器は有用であることが判明したため、以降もsIG33を搭載する自走重歩兵砲が開発されることとなった。

参考資料

  • Peter Chamberlain, Hilary Doyle, 『ENCYCLOPEDIA OF GERMAN TANKS OF WORLD WAR TWO - 月刊モデルグラフィックス別冊・ジャーマンタンクス』、大日本絵画、1986年、ISBN 4-499-22773-9
  • 尾藤満ほか、『アハトゥンク・パンツァー第7集 I号戦車・II号戦車と派生型編』、大日本絵画、2003
  • 箙浩一、「特集:15cm自走重歩兵砲グリレ」、『月刊グランドパワー2002/6号』、ガリレオ出版
  • 佐藤光一、「特集:ドイツI号軽戦車」、『月刊グランドパワー2000/4号』、ガリレオ出版
  • 斎木伸生、『異形戦車 ものしり大百科』、光人社、1998年、ISBN 4-7698-0843-7