1950年の日本シリーズ
1950年の日本シリーズ | |
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ゲームデータ | |
日本一 毎日オリオンズ 4勝2敗 | |
試合日程 | 1950年11月22日-11月28日 |
最高殊勲選手 | 別当薫 |
チームデータ | |
毎日オリオンズ(パ) | |
監督 | 湯浅禎夫 |
シーズン成績 |
81勝34敗5分 (シーズン1位) |
松竹ロビンス(セ) | |
監督 | 小西得郎 |
シーズン成績 |
98勝35敗4分 (シーズン1位) |
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1950年の日本シリーズ(第1回プロ野球日本選手権試合・日本ワールドシリーズ)[1]は、セントラル・リーグ優勝チームの松竹ロビンスと、パシフィック・リーグ優勝チームでこの年に創設した毎日オリオンズによる第1回日本選手権シリーズである。
概要
この年はフランチャイズがまだ制度化されておらず、シリーズは1試合ごとに会場を代えて行われた[1]。またホーム扱い(後攻め)は奇数試合が松竹、偶数試合は毎日がそれぞれ当たった。
また、セ・リーグのペナントレースは優勝した松竹のほか、中日、西日本、国鉄、広島の4チームが所定の140試合を消化しきれずに日本シリーズに突入したが、順位が確定した状態であったのと、できるだけ11月中に当大会を終わらせる都合のため、以上の4チームが関係する7試合(当該項目参照)は代替開催をせず11月20日までで公式戦を打ち切った。
試合結果
試合 | 試合日 | 球場 | 開始時刻 | 勝利 | スコア | 敗戦 | 入場者数 |
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第1戦 | 11月22日(水) | 神宮 | 13時16分 | 毎日オリオンズ | 3 - 2 | 松竹ロビンス | 23018人 |
第2戦 | 11月23日(木) | 後楽園 | 13時1分 | 毎日オリオンズ | 5 - 1 | 松竹ロビンス | 35541人 |
第3戦 | 11月25日(土) | 甲子園 | 13時30分 | 松竹ロビンス | 7x - 6 | 毎日オリオンズ | 19399人 |
第4戦 | 11月26日(日) | 西宮 | 13時31分 | 松竹ロビンス | 5 - 3 | 毎日オリオンズ | 35518人 |
第5戦 | 11月27日(月) | 中日 | 12時59分 | 毎日オリオンズ | 3 - 2 | 松竹ロビンス | 12630人 |
第6戦 | 11月28日(火) | 大阪 | 13時29分 | 毎日オリオンズ | 8x - 7 | 松竹ロビンス | 22035人 |
第1戦
公式記録関係(日本野球機構ホームページ)
第2戦
公式記録関係(日本野球機構ホームページ)
第3戦
公式記録関係(日本野球機構ホームページ)
第4戦
公式記録関係(日本野球機構ホームページ)
第5戦
公式記録関係(日本野球機構ホームページ)
第6戦
公式記録関係(日本野球機構ホームページ)
表彰選手
- MVP:別当薫(毎日)
ラジオ中継
当時はまだ民放局(ラジオ)がなかったためNHKラジオ第2が全試合中継した。