鰭ヶ崎駅

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鰭ヶ崎駅
鰭ヶ崎駅(駅舎南側出口)
鰭ヶ崎駅(駅舎南側出口)
ひれがさき - Hiregasaki
小金城趾 (0.8km)
(1.5km) 平和台
所在地 千葉県流山市大字鰭ケ崎字宮ノ後1438番地3
所属事業者 流鉄
所属路線 流山線
キロ程 3.6km(馬橋起点)
駅構造 地上駅
ホーム 単式 1面1線
乗車人員
-統計年度-
713.5人/日(降車客含まず)
-2010年度[1]-
乗降人員
-統計年度-
1425.8人/日
-2010年度[1]-
開業年月日 1916年大正5年)3月14日

鰭ヶ崎駅(ひれがさきえき)は、千葉県流山市大字鰭ケ崎字宮ノ後にある流鉄流山線である。

歴史[編集]

駅構造[編集]

1974年の鰭ヶ崎駅(右上)付近。中央は国鉄南流山駅(1974年撮影 国土画像情報オルソ化空中写真(国土交通省)より)

単式1面1線単式ホームを持つ地上駅である。ホームと駅舎は線路の西側に設置されている。駅舎には改札口出札口自動券売機(ボタン式)の他、清涼飲料水と新聞の自動販売機コーナーが設置されている。これはかつての売店跡である。駅出入口は駅舎の北西側と南側の2箇所あり、北西側出入口はスロープとなっていて小さな駅前広場があり、南流山・鰭ヶ崎団地方面につながる道路に接続している。

清涼飲料水の自動販売機がある。駅員1名が常駐し、出集札業務と列車入線時のホーム・線路監視を行うが、改札は省略されており行わない。

利用状況[編集]

2010年(平成22年)度の一日平均乗車人員は694人である[2]

  • 流鉄6駅中最下位。周辺団地の初期入居世代(1970年代、後述)の退職世代化[3]及び近隣路線への移乗か1992年をピークとして長期低落傾向にあり、2007年にそれまで最下位であった小金城趾駅を下回った。
  • 1975年4月駅付近に流山市立鰭ヶ崎小学校が開校するまでは小学生の通学利用もあった。1969年時点で現在の一日平均乗車人員の約半数にもなる約400名[4](定員は2両編成で280名程度)が通学利用していて非常に混雑し、時差通学が実施されていたほどである。
  • 南西約0.9kmの場所に国鉄の南流山駅が開業したのは1973年4月1日、首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス開業・同駅乗り入れは2005年8月24日である。同駅各線への移乗があると見られている。詳しくは流鉄流山線#最近の動向の項目を参照。

近年の1日平均乗車人員は下記の通り。

年度 1日平均
乗車人員
1990年 2,132
1991年 2,113
1992年 2,145
1993年 2,130
1994年 2,031
1995年 1,998
1996年 1,898
1997年 1,793
1998年 1,715
1999年 1,630
2000年 1,563
2001年 1,511
2002年 1,437
2003年 1,466
2004年 1,351
2005年 1,149
2006年 934
2007年 845
2008年 813
2009年 713
2010年 694

駅周辺[編集]

当駅は、その名前の由来が平安時代9世紀の伝説にまで遡る「鰭ヶ崎」の集落内に位置するが、現在駅東方には1970年代までに造られた一戸建ての住宅団地・鰭ヶ崎団地が広がり、北東方には1967年開設[5]の東洋学園大学流山キャンパスと1975年に分譲開始された一戸建ての住宅団地・宮園団地(東急不動産)が、南西方には1969年から始まり1980年代までに建物が立ち並ぶようになった南流山の区画整理地が広がる。

南側では駅と小規模飲食店や商店が隣り合っている一方、北側には商店の他農地や林もある。鰭ヶ崎団地内に「鰭ヶ崎駅入口バス停留所」(東武バスイースト西柏09番系統)があるが、競合する南流山駅を結ぶ近距離系統専用停留所のため、乗り換えは想定されておらず案内はない。

なお、当駅の北西側は、現在も畑や森が広がる地区が残っており、古くからの農村の面影を留めているが、現在は西平井・鰭ケ崎地区区画整理事業区域となっている。これに伴い、鰭ヶ崎三本松古墳や千仏堂、思井の森などの貴重な文化・自然遺産の多くが破壊され、その姿を消すこととなる。上述のように古代から人の住んだ地域でもあり、埋蔵文化財も多い。

  • 南流山駅(JR武蔵野線首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス) - 徒歩で15分ほどの距離にある。
  • 東福寺 - 弘法大師が西暦814年に開山したと伝えられる寺院[6]。鰭ヶ崎の地名の由来となる「が背鰭の先(崎)を残した」と言う伝説がある。
    左甚五郎作彫刻「目つぶしの鴨」、延命地蔵、金剛力士像などがある[7]
    • 千仏堂
      市指定文化財の千体仏を安置[7]
  • 鰭ヶ崎三本松古墳
    前方後円墳[7]古墳時代の有力者の墓とされる。江戸時代後期にこの古墳に建てられた石碑には、天明の飢饉の時盗掘で飢えを凌ごうとした村人がいたが、名主がこれをやめさせ私財を投じて農民を飢えから救ったと記されている。それ以来現在まで発掘は行われていない。
  • 思井の森
    照葉樹林と雑木林が混じる斜面林で、オオタカが時折飛来する自然豊かな地区。熊野神社(八木郷八村の鎮守)が鎮座。
  • 山﨑オフィス - アップフロントグループ大株主。関連会社の登記上の本店が複数同居する。
  • 首都圏新都市鉄道鰭ヶ崎変電所
  • 雷神社(いかづちじんじゃ)
    鰭ヶ崎おびしゃ行事は市指定無形民俗文化財[7]
  • ちばコープ(コープ南流山)
  • 流山鰭ヶ崎郵便局
  • 東洋学園大学流山キャンパス
  • マルエツみやぞの店
  • 京北スーパー鰭ヶ崎店
  • 千葉愛友会記念病院(2008年9月1日に流山総合病院から改称)[8]

隣の駅[編集]

流鉄
流山線
小金城趾駅 - 鰭ヶ崎駅 - 平和台駅

脚注[編集]

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外部リンク[編集]