青葉神社

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青葉神社

拝殿
所在地 宮城県仙台市青葉区青葉町7番1号
位置 北緯38度16分58.2秒 東経140度51分46.3秒 / 北緯38.282833度 東経140.862861度 / 38.282833; 140.862861 (青葉神社)座標: 北緯38度16分58.2秒 東経140度51分46.3秒 / 北緯38.282833度 東経140.862861度 / 38.282833; 140.862861 (青葉神社)
主祭神 武振彦命(伊達政宗
社格県社
創建 明治7年(1874年2月7日
例祭 10月9日10日
地図
青葉神社の位置(仙台市中心部内)
青葉神社
青葉神社
青葉神社の位置(宮城県内)
青葉神社
青葉神社
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青葉神社(あおばじんじゃ)は、宮城県仙台市青葉区青葉町にある神社である。旧社格は県社。1874年に創建され、武振彦命(たけふるひこのみこと、仙台藩伊達政宗神号)を祀る。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。

歴史[編集]

1873年明治6年)10月14日、旧藩士の松本喜蔵、丹野彦三郎・小泉長善を総代とした住民が、伊達政宗を祀る神社を建設する許可を宮城県に願い出た。松本らの言うところでは、天保の初年(1831年頃)、政宗を祀る神社を建てる許しを当時の藩主伊達斉邦が朝廷から得た。仁孝天皇の勅額をもって、城に近い亀岡に社を築く計画だったが、なぜか中止になった。今、士民は貞山講というを結び、忌日ごとに廟(瑞鳳殿)に集まり酒餞を供している。朝廷が許容してくれれば神明社(現在の桜岡大神宮)の隣に社壇を設け神祭したいという。宮城県は意見を付けずに教部省にとりつぎ、教部省が賛成して、12月22日に太政官が建設を許可した[1]。この年には徳川家康を祀る日光東照宮別格官幣社に認められており、諸藩の藩祖を祀る神社の創建申請が翌年にかけて全国で相次いでいた[2]

実際に神社が建てられたのは、仙台城城下町を南北に貫いて北に向かう奥州街道(通町筋)が、北山丘陵にぶつかって東に向きを変えるところであり、すなわち、城下一の繁華街であった国分町から一直線に北に向かった突き当たりである。ここには伊達家菩提寺北山五山の中心の東昌寺があったが、東昌寺の敷地の西側3分の2が青葉神社に提供され、東昌寺の建物はその東側の満勝寺跡地寄りの現在地に移された。

1874年明治7年)6月25日県社に列格されたのを機に、同年7月1日より創営に着手[3][† 1]本殿拝殿神楽殿・社務所等を建設し、同年11月11日に落成、同年11月15日に鎮座祭を執り行った[3]

その後、1922年大正11年)より社殿の改築を行い、1927年昭和2年)に現在の社殿が完成した。

1930年(昭和15年)には別格官幣社に列してほしいという請願があり、貴族院の賛成議決を得たが、他の功臣を祀る神社との権衡がとれないという理由で内務省が反対し、実現しなかった[4]

2011年3月11日に起こった東日本大震災では、鳥居が倒壊する被害を受けた。

現在の宮司は、仙台藩家老白石城片倉家の16代当主である[5]。ゲーム『戦国BASARA』のヒットにより、登場キャラクターである片倉小十郎の子孫に会うことを目的に当社を訪れる女性(歴女)が増加した[6]

年表[編集]

  • 1873年明治6年)10月14日 - 松本喜蔵らが社壇の建設と神祭の許可を宮城県に請願。
    •  11月21日 - 宮城県が教部省に願書を取り次ぐ。
    •  12月5日 - 教部省が太政官に創建を許可し社号を後で決定することを求める伺を提出。
    •  12月22日 - 太政官が教部省の伺の通りと決定。

境内社[編集]

境内社として伊達政宗の家臣を祀る祖霊社がある。他に、政宗の正室愛姫(めごひめ)を祀る愛姫神社があったが、現在は本殿に合祀されている。

祭典[編集]

現在、5月に行われている「仙台・青葉まつり」は、伊達政宗の命日5月24日に当社が執り行っている春の例大祭に由来する[7]明治に入って同社が創建されると、江戸時代に盛んだった仙台東照宮の「仙台祭」よりも、当社の春の例大祭が「青葉祭り」と呼ばれて市民総出の祭りとなり、昭和40年代後半まで続いた[7][† 2][† 3]。その後、1985年(昭和60年)の伊達政宗没後350年に、仙台市が当社の例大祭と分離して始めたのが「仙台・青葉まつり」である[7]

  • 春の大祭 - 5月24日・25日(5月24日は伊達政宗の命日)
  • 例祭 - 伊達政宗が中納言に任命された日を新暦に換算した10月9日・10日に催される。
  • 夏越しの大祓い - 6月30日
  • 年越しの大祓い - 12月24日

その他、伊勢神宮地方と同じ様に、毎月初めの午前10時から「朔日(ついたち)参り」の祓いが今も続けられている。

門前町[編集]

青葉神社は仙台市都心部の北、北仙台地区の西の北山丘陵上にある。同丘陵上には北山五山と呼ばれる仏閣が建ち並んでいる。当社の門前から南に続く道は青葉神社通りと呼ばれ、約2km南にある都心部の歓楽街国分町に一直線に繋がる。

現在の青葉神社通り

参道は旧奥州街道に続くため商家が建ち並んでいた。また、仙台軌道(後に仙台鉄道と改称)の仙台側のターミナル駅である通町駅門前町に設置されたことで賑わいを見せた。しかし、1929年(昭和4年)に仙山東線北仙台駅が開業し、また、1937年(昭和12年)の仙台市電北仙台線開設の際、勾当台通りが旧奥州街道と並走して北に延長されて市電が施設され、通町駅も廃止となると、ターミナルの地位は北仙台駅に、メインストリートの地位も勾当台通に移り、当社の門前町は次第に裏道のようになってしまった。それでも仙台市営バス宮城交通が門前町を数多く通っていたため命脈を保っていたが、1987年(昭和62年)の仙台市営地下鉄南北線の開通や、1990年代からの県道大衡仙台線の建設に伴って、青葉神社通りを通過するバスは廃止(北山・子平町線)され、現在は商店も疎らな地区になってしまった。

アクセス[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 「同年1月に列格したのを機に現在地(北山)に遷座した」と以前の版には記載されている。
  2. ^ 第6回『集客装置としての都市イベント』(東北経済産業局広報誌「東北21」 2008年5月号『せんだい遊歩 -変わる消費と集客のからくり-』)によると、「仙台祭」が「青葉祭り」に衣替えしたのであり、「仙台祭」が衰えて「青葉祭り」が興隆したのではないとしている。
  3. ^ 仙台・青葉まつり「仙台・青葉まつりの由来と概要」(財団法人仙台観光コンベンション協会「せんだい旅日和」)によると、「仙台祭」は、江戸幕府徳川家康を祀る仙台東照宮の祭りであったため、幕府と敵対する明治政府戊辰戦争を経て日本の政府として成立したことにより継続が難しくなり、「桜岡神宮祭礼」、「青葉神社祭礼」などと称して伝統を継承し、「青葉祭り」と通称されるようになったようである。多くの山鉾が巡行する「青葉祭り」は明治後期までに発達した電線が障害となって、1899年(明治32年)5月の仙台開府300年を最後に終了したとしている。

出典[編集]

  1. ^ 伊達正宗社檀ヲ官城県下ニ建設 (PDF) 」(左はデジタルアーカイブの項目名。原文に照らし、正は政、官は宮の誤り。入力ミスか)、『太政類典』第2編(明治4年~明治10年)、第260巻、11。
  2. ^ 岡田米夫「神宮・神社創建史」139頁。
  3. ^ a b 青葉神社(宮城県神社庁)。
  4. ^ 国幣中社函館八幡宮昇格ニ関スル請願ノ件外十件 (PDF) 」、『公文雑纂』昭和15年、第62巻、10。PDFファイルの1-2頁、9-10頁。
  5. ^ 片倉小十郎景綱:白石城初代城主の銅像建立 遺徳たたえ復興一助に−−傑山寺 /宮城毎日新聞 2012年4月14日)
  6. ^ 「政宗様、愛しています」 戦国武将が戦うゲームで若い女性のハート射止める 青葉城址や小十郎ゆかりの白石市も人気河北新報 2008年10月8日)
  7. ^ a b c 仙台・青葉まつりの由来(仙台・青葉まつり)
  8. ^ 青葉神社(宮城県)

参考文献[編集]

  • 太政類典』、国立公文書館 デジタルアーカイブ、2011年10月閲覧。
  • 公文雑纂』、国立公文書館 デジタルアーカイブ、2011年10月閲覧。
  • 岡田米夫「神宮・神社創建史」、神道文化会『明治維新神道百年史』第2巻、1966年。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]