青柳信雄

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青柳 信雄(あおやぎ のぶお、1903年3月27日 - 1976年5月17日)は、日本の映画監督プロデューサー

経歴[編集]

明治36年(1903年)生まれ。明治大学を卒業後、心座、美術座、前進座、芸術座、猿之助一座、東宝劇団といった新劇の舞台演出を手がけていたが、昭和12年(1937年)、34歳の時に東宝へ制作者として入社。昭和15年(1940年)に演出部へ移り、第1回作品として当時人気のあった浪曲師広沢虎造主演の『虎造の荒神山』を撮る。戦後、東宝争議により新東宝が設立されるとともに制作者として移り、プロデューサーとして活躍する。昭和27年(1952年)に監督復帰、昭和29年(1954年)に再び東宝でメガホンを取るようになる。復帰作品は『落語長屋は花ざかり』で以降、『落語シリーズ』を手がける。シリーズものとしては他に江利チエミ主演の『サザエさん』がある。

早撮り監督といわれたが、それもプロデューサーで苦労した経験から会社の無理な要求にも応え、無理なスケジュールや予算でこなした結果といわれる。映画製作の能率向上、費用削減にも努め、映画音楽のダビング前のテープ録音の先鞭をつけた。こよなく焼き物を愛し、ロケ先で掘り出し物を見つけると後輩の黒澤明監督を電話で呼び出して二人で鑑賞したという。[1]

テレビ番組の制作プロダクションC.A.Lの初代社長である。

息子はプロデューサーの青柳哲郎である。また、実弟に守田家の養子となった八代目坂東三津五郎と実妹の光子の夫には二代目中村又五郎がいる。

主な作品[編集]

監督作品[編集]

製作作品[編集]

  • 牧場物語(1938年9月1日、東宝)
  • 清水の次郎長 (1938年9月17日、東宝)
  • 武道千一夜 (1938年12月11日、東宝)
  • 新篇丹下左膳 妖刀篇(1938年12月29日、東宝)
  • 新篇丹下左膳 隻手篇(1939年1月5日、東宝)
  • 忠臣蔵 後篇 (1939年4月21日、東宝)
  • 街(1939年8月20日、東宝)
  • 花つみ日記(1939年10月21日、東宝)
  • さくら音頭 今日は踊って(1947年3月25日、新東宝)
  • 愛よ星と共に(1947年9月24日、新東宝)
  • 虹を抱く処女 (1948年11月16日、新東宝)
  • 嫁入聟取花合戦(1949年1月11日、新東宝=吉本プロ)
  • 春の戯れ(1949年4月12日、映画芸協=新東宝)
  • 流星(1949年5月3日、新東宝)
  • グッドバイ(1949年6月28日、新東宝)
  • 銀座カンカン娘(1949年8月16日、新東宝)
  • 東京カチンカ娘(1950年1月15日、新東宝=青柳プロ=日本ユニットプロ)
  • 銀座三四郎 (1950年3月30日、新東宝=青柳プロ)
  • 恋人(1951年3月10日、新東宝=昭映プロ)
  • 月よりの母 (1951年8月24日、新東宝)
  • 東京のえくぼ (1952年7月15日、新東宝)
  • お父さんはお人好し 家に五男七女あり(1958年2月18日、宝塚映画)
  • お父さんはお人好し 花嫁善哉(1958年3月12日、宝塚映画)
  • 喧嘩も楽し (1958年4月15日、宝塚映画)
  • お笑い夫婦読本(1958年5月13日、宝塚映画)
  • ただいま診察中(1964年5月30日、東宝)

出演[編集]

  • 続社長紳士録(1964年2月29日、東宝)

参照 [編集]

  1. ^ 監督の横顔 №20 ゆたかな愛情と理性 青柳信雄監督(『東宝映画』1962年5月号 18ページ)