野村宏之
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | 大阪府 |
| 生年月日 | 1981年7月24日(30歳) |
| 身長 体重 |
183cm 90kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2003年 ドラフト5巡目 |
| 初出場 | 2004年4月2日 |
| 最終出場 | 2004年6月15日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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野村 宏之(のむら ひろゆき、1981年7月24日 - )は、社会人野球の選手(投手)。元プロ野球選手である。
目次 |
[編集] 来歴・人物
[編集] プロ入り前
大阪府出身だが、野球留学で千葉県の暁星国際中学校に入学。当時、公式戦で1勝すらしたことのないチームでメキメキと頭角を現す。系列の暁星国際高校は小笠原道大や相川良太らが卒業してから低迷期だったため、大阪に戻り近大付属高校に進む。高校では府大会ベスト8が最高だった。
近畿大学へ進学後、野球部では同期に田中雅彦がいた。本川貢監督の指導を受け、MAX130km/hから140km/hを超えるまでに急激に球速が成長した。1年春から関西学生リーグ戦に登板し、同年秋には2完封を挙げて近平省悟とともに先発の柱としてリーグ優勝に貢献[1]。2年秋から3年春にかけてはリーグ史上初となる2季連続での最優秀選手、最優秀投手、ベストナインの3冠獲得を達成した。4年間でリーグ通算45試合に登板し24勝12敗、防御率1.55、243奪三振の成績を残した。
2003年にドラフト5巡目指名でオリックス・ブルーウェーブに入団。契約金、年俸はそれぞれ6,000万円、1,000万円(いずれも推定)だった[2]。
[編集] プロ入り後
2004年は3試合に登板したが防御率は13.50で、同年の分配ドラフトでオリックスへの残留が決まった。2006年にはサーパスで中継ぎとしてフル回転し、防御率1.11と安定感を見せたが一軍には呼ばれず、同年10月5日に戦力外通告を受ける。11月27日に千葉マリンスタジアムで行われた12球団合同トライアウトでは、投手の他に打者にも挑戦し、本塁打を放った。
その後は社会人野球に転じ、フェデックスでエースとして活躍。2008年にはチームの同僚の副島孔太ともどもTDK千曲川の補強選手として第79回都市対抗に初出場を果たした。現在は同地区の信越硬式野球クラブに移籍してプレーしている。同年の12球団合同トライアウトにも投手として参加している。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2004 | オリックス | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 21 | 4.0 | 5 | 1 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 6 | 6 | 13.50 | 2.25 |
| 通算:1年 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 21 | 4.0 | 5 | 1 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 6 | 6 | 13.50 | 2.25 | |
[編集] 記録
- 初登板:2004年4月2日、対大阪近鉄バファローズ1回戦(Yahoo! BBスタジアム)、6回表2死に3番手で救援登板、1回無失点
- 初先発:2004年6月13日、対福岡ダイエーホークス13回戦(福岡ドーム)、2回4失点
[編集] 背番号
- 39 (2004年 - 2006年)
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
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