過剰性能

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

過剰性能(かじょうせいのう)ないしオーバースペック和製英語)とは、機械装置の利用者が求めるよりも、更に高く持っている性能と、その性能を持つ機械装置の総称。

過剰という言葉が指し示すとおり利用者にとっては不要なものであり、時として邪魔となる場合もある。その一方で、機械の一部分だけが他の部分の強度を越えた性能を持っている場合もこのように呼ばれる。前者を産業上の過剰性能、後者を工学上の過剰性能と呼ぶ。

ちなみにオーバースペックという言葉は下記のような極めて象徴的な事例にとどまらず一般的に使用される。その場合は多く産業上の過剰性能を指す。

概要[編集]

通常、工業製品の多くでは、消費者の多くが求めると推察される性能が設計段階によって設定される。これは過剰に性能を追求しても、製造コストが高くなるだけで、製品の市場での評価につながらないためである。

設計目的による過剰性能[編集]

過剰性能な製品が開発生産されてしまう理由として、設計目的が何らかの目標で一番を目指すことに設定され、目的のために他の要素を犠牲にする事が挙げられる。その結果、一部の能力のみが突出した著しくバランスが悪い製品となる。

しかし、一部の愛好家にはこのようなバランスの悪い製品を好んで購入する購買層が存在し、少数限定生産であれば商業的に成功する場合もある。また、世界一の製品を作り出したメーカーという宣伝目的で作られる場合もある。

産業上の過剰性能は、必ずしも無駄になるとは限らない。本来の目的からすれば過剰性能である工業製品でも、設計意図を超えた使い方をされれば、その能力を発揮できる可能性があるからである。産業上の過剰性能を持った製品は、時として新たなカテゴリの製品の礎となることがある。

安全率を高くとりすぎたことによる過剰性能[編集]

設計要求仕様で求められた負荷まで安全であるためには、実際にはそれ以上の負荷にまで耐えられる構造が必要である。このようなマージンを安全率と呼び、機械の種類や要求仕様により安全率が設定され余分な強度が持たされる。時には、安全率を大きく取りすぎたために、過剰性能となる事例がある。

例としては、第二次世界大戦でドイツ軍が使用したUボートがある。カタログスペック上の最大安全潜航深度100m程に対し、実際には250mぐらいまで潜航できた。安全率が大きかったため、当初の想定を越えた深度まで潜航可能となり、これによって多くのUボートが過酷な戦場で生き延びてきた。

機能の欠落による過剰性能[編集]

その性能を発揮するために必要な機能が備わっていなければ、高い性能があっても宝の持ち腐れとなり、過剰性能となる。

例としては、第二次世界大戦で日本軍が使用した酸素魚雷の射程距離がある。兵器の場合は射程距離が長くなれば長くなるほどに誘導装置が必要不可欠となるが、命中が期待できないようなら届いても無意味であり長すぎる射程距離は過剰性能となる。40ノットの高速でも30キロメートル以上の射程距離を発揮し、優秀な誘導装置が搭載されていれば驚異の超兵器となりえた。しかし、誘導装置が無かったため遠距離では全く命中せず、誘導装置の欠落が酸素魚雷の射程距離を過剰性能にしていた。

過剰性能とされた例[編集]

携帯電話[編集]

日本における携帯電話は他の国の携帯電話よりも過剰性能・高価格であり、日本の携帯電話機メーカーが世界シェアで占める割合は小さいものとなっている。このような世界標準から外れた日本の携帯電話の進化を揶揄してガラパゴス化と呼ばれる[1]

鉄道車両[編集]

国鉄101系電車
1950年代後半、中央線の通勤輸送が限界に達していたことから、10両編成の車両を全て電動車として、加速・減速度を高めて運転間隔を縮めることで打開しようと設計された。1957年に試作車が完成し1958年から量産に入ったが、変電所設備や架線の過熱問題などがあり、その持てる能力を活かすことなく性能を落として運転を開始。本来の性能を出すには限流値を480Aにする必要があったが、実際には限流値は280Aに制限された。当時の国鉄線は変電所などのインフラ整備がなされておらず、車両の性能だけを高めた結果このような事態となった。
その後、その設計自体、つまり編成全車を電動車として高加速運転したとしても、通勤輸送の改善にはほとんど効果が無いことがわかり、101系が電力等の設備を整えた上で本来の性能にて運転する事は不適切だと判断された。そこで1960年初頭より国鉄通勤輸送に適切な性能を算定し直した結果、電動車の数を減らして設備規模に合致した経済的で信頼性と安定性に優れた次期通勤電車が最適との判断がなされ、1963年に後継の103系電車が試作されることとなる。
JR貨物EF200形電気機関車
1990年(平成2年)に、1600tもの重貨物牽引を可能とした上で旅客列車の高速高頻度運転を妨げない高加速を実現するため、1時間定格6000kWの出力で試作され、1993年と1994年に20両量産された。
その性能をフルに発揮するためには変電設備を強化する必要があった。しかし、バブル崩壊による貨物輸送量の低迷や、旅客会社との調整の不調などで東海道・山陽本線全区間に渡る変電設備の強化は見送られ、その持てる能力を活かすことなく性能を落として運用されている。また1996年に後継のEF210形電気機関車が試作されることとなる。

武器・兵器[編集]

H&K MP5
登場初期は過剰性能とされたが、後に評価が改められた珍しい例。この短機関銃は、H&K G3突撃銃のメカニズムが導入されており、そのため高い命中精度を持っていた。しかし、それが災いして価格は高騰。当時はUZIなどに代表される、多少なりとも命中精度を犠牲にしても、構造を簡易化したものかつ安価な短機関銃が多かった。そのため短機関銃としては複雑なメカニズムのMP5は「拳銃弾を撃つのには大げさすぎる」とマイナスの評価を与えられ、当時の西ドイツ軍もUZIを採用していた。
しかし、1977年ルフトハンザ航空181便ハイジャック事件で、GSG-9がこの短機関銃を用いて、乗客被害を全く出さずに鎮圧に成功した。このことで、MP5の評価は「過剰な命中精度を持つ無駄に高い短機関銃」から「精度を要求される、特殊部隊用短機関銃」へと変化した。以降、初期モデル登場から45年近く経過し、PDWが登場した現在でも基本構造を変えずに、世界中の部隊で第一線級の現役武器として活躍している。
64式7.62mm小銃
銃身内にクロムメッキを施すことで銃身寿命を数万発と向上させることに成功しているが、機関部分の寿命が銃身に比べて短い。同装備の開発に携わった津野瀬光男は、銃身部分だけでいえば同時期採用された62式7.62mm機関銃に比べても耐久性は高く、軽機関銃としての置き換えも可能であると主張している[2]
大和型戦艦
大日本帝国海軍が建造した世界最大級の戦艦。日本海軍が構想した艦隊決戦で、仮想敵とされた米戦艦を凌駕する強力な主砲・対弾装甲を備えており、建造当初は必要十分な性能を持った艦として期待された。
しかし、その後の情勢の変化によってその卓抜した性能を活かす機会を失った。航空戦が主体となった太平洋戦争では、出番のないまま戦争末期まで後方に温存され続け、三番艦信濃は建造途中で航空母艦に変更された。結局、大和武蔵ともに戦艦と交戦することなく、随伴すべき機動部隊が壊滅した後の出撃で、米軍の航空攻撃により沈められた。
島風
40ノットという高速力を誇る日本海軍の駆逐艦。1隻が建造されたのみで他に速力40ノットの味方艦が存在せず、他艦と行動を共にする際には足並みを揃えるために40ノットでの航行ができなかった。

AV機器[編集]

EDベータ
水平解像度が500TV本と、S-VHS規格の水平解像度400TV本よりも高解像度であることが売りだった。しかし、アナログテレビ放送の解像度は約330~350TV本であり、高解像度が活かせなかった。EDベータの高画質を生かしたビデオソフトも、すでにベータ規格が斜陽になっていたこともあり、ごく少数の販売で終わった。後にDV規格を採用したカムコーダが発売されたものの、DV同士でのダビングの方が画質が良いことや、水平解像度500TV本を存分に生かしたDVD-Videoの登場により、最後まで性能を活かしきれないまま姿を消した。

参考文献[編集]

  • 真家 昇「新型電車と架線容量」、『鉄道電気』第145号、鉄道電化協会、1960年6月、 pp. 26-27。
  • 真家 昇「中央線電車線路整備工事について」、『鉄道電気』第149号、鉄道電化協会、1960年10月、 pp. 14-16。
  • 西谷 畷「国電の時刻改正と、中央線急行100系電車の"6M.4T"編成について」、『電車』第62号、交友社、1960年11月、 pp. 9-14。
  • 大城 康世・川添 雄司「こんごの通勤電車」、『JREA』、日本鉄道技術協会、1961年6月、 pp. 14-17。
  • 井上 等「103系電車の概要」、『電気車の科学』第178号、電気車研究会、1963年2月、 pp. 6-10。

脚注[編集]

  1. ^ 日の丸ケータイは世界で惨敗の“ガラパゴス”品種など。
  2. ^ 津野瀬光男の著書「幻の自動小銃」「幻の機関銃」による。

関連項目[編集]