神田教会
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カトリック神田教会(カトリックかんだきょうかい)は、東京都千代田区にあるカトリックの教会。カトリック東京大司教区に所属する、小教区の教会である。キリシタン禁教の「解禁」後に、東京で比較的早い段階から日本人のために開かれていた教会で、現在の聖堂は、国の登録有形文化財に登録されている。
なお、日本正教会にもかつて「神田教会」の名を持つ教会があったが、1974年(昭和49年)に東京復活大聖堂教会(ニコライ堂)に組織的に統合されたため、現在では存在しない。
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[編集] 保護の聖人
[編集] 歴史
- 1872年 - パリ外国宣教会の司祭らが 麹町三番町に「ラテン学校」を設置。英語・フランス語・ドイツ語の他、ラテン語を教える。キリスト教が禁止されていたため、表向きは外国語学校だが、内実は神学校だった。
- 1874年1月 - フランス公使ベルトミーの斡旋により、神田猿楽町にあった三つの旗本屋敷(約3000坪)を入手し、ラテン学校が移転。聖フランシスコ・ザビエルを保護の聖人とする聖堂を設置する(現在の神田教会)。
- 1896年10月28日 - 第3代主任司祭・パピーノ神父の設計による、本格的なゴシック式聖堂(126坪?)が完成。
- 1913年2月20日 - 神田三崎町の救世軍大学植民館から失火。神田カトリック教会、仏英和学校、シャルトル聖パウロ修道会修道院他、近隣2400戸が罹災してしまう。
- 1913年6月 - 仮聖堂設置。
- 1915年3月14日 - 第6代主任司祭・シェレル神父の設計によるレンガ造の聖堂(147坪)が、落成する。
- 1923年9月1日 - 関東大震災により、聖堂が倒壊して全焼。
- 1928年12月9日 - 現在の聖堂が完成し、献堂式が行われる。
- 1952年 - 1945年の空襲で焼失した関口教会に代わり、神田教会に東京大司教区の仮の司教座が置かれる。
- 1964年 - 東京カテドラル聖マリア大聖堂(関口教会)の再建に伴い、再び司教座が関口教会に移される。
- 2002年2月 - 国の登録有形文化財に登録される。
[編集] 聖堂の概要
文化庁には、次の通りに登録されている。
水道橋南方に位置し街路の角地に立つ。バシリカ形式の三廊式聖堂で、半円アーチを基調とした開口部、ロンバルド帯風の軒蛇腹、四葉をモチーフとした胴蛇腹が外観を飾り、半円アーチのヴォールト天井と玄関脇に集会所を設ける平面を特徴とする。設計ヒンデル。
設計者は上智大学1号館や栃木県松ヶ峰教会を設計した、スイス人建築家マックス・ヒンデルと考えられている。宮内初太郎が施工を行い、建築費は30万円。1928年(昭和3年)12月9日(無原罪の聖母の祝日の翌日にあたる主日)に献堂式が行われた。
聖堂の外観はロマネスク様式で、内部は円柱を並べ半円ヴォールト天井を架けて深い奥行きを持たせている。震災復興期に設計されたため、耐震性を考慮して鉄筋コンクリート造とされた。後に2階部分(パイプオルガン設置)が増築され、現在の規模は延床面積701m²。
2000年(平成12年)12月3日に、聖フランシスコ・ザビエルの聖遺骨がもたらされた。
[編集] 所在地
〒101-0065 東京都千代田区西神田1-1-12
[編集] 近隣の他教派教会
- 日本ハリストス正教会東京復活大聖堂(ニコライ堂)
- 救世軍日本本営、救世軍神田小隊
- 日本基督教団三崎町教会
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
- カトリック麻布教会 - 神田教会の分教会を始まりとする
[編集] 外部リンク
座標: 北緯35度41分57.81秒 東経139度45分26.54秒 / 北緯35.6993917度 東経139.7573722度