宮内初太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮内初太郎
生誕 1892年12月
静岡県
死没 1957年
国籍 日本の旗 日本
職業 建築家
配偶者 宮内敏子
建築物 カトリック松が峰教会カトリック神田教会

宮内 初太郎(みやうち はつたろう、1892年明治25年)12月 - 1957年昭和32年))は、日本建築家[1]

来歴[編集]

宮内建築事務所を創業した宮内半太郎の息子として神奈川県横浜市で生まれる[2]。東京高等工業学校(現・東京工業大学)を卒業[3][4]

父の死去に伴い、1924年に建築事務所を受け継いだ[1]。1935年に宮内組と改称、建築請負業を営む[1]

横浜市には今でも彼の手がけた多くの建築物が残る。

携わった建築物[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 吉田鋼市 (2015-11-30). “甦るゴシック・ロマン - 横浜海岸教会の修復なる”. 横濱新聞第31号 (横浜歴史資産調査会): 1. https://web.archive.org/web/20180304093152/https://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/design/m09/pdf/yokohamanews31.pdf 2022年1月28日閲覧. "施工の宮内建築事務所も本牧にあった横浜の老舗の建設業者。宮内初太郎(1892-1957)が大正13(1924)年に、父半太郎の死去に伴って継承しているが、初太郎自身は東京高等工業(現・東京工大)出身の建築家でもあったので、設計もやっており、宮内建築事務所の設計・施工の建物も多い。昭和10(1935)年に会社名を宮内組としている。" 
  2. ^ a b 角幸博「マックス・ヒンデルと田上義也 : 大正・昭和前期の北海道建築界と建築家に関する研究」北海道大学 博士論文 (工学)、 乙第4828号、1995年、doi:10.11501/3083793NAID 5000001270962022年1月30日閲覧 
  3. ^ 明治四十五年東京高等工業学校建築科卒業記念写真”. 日本の古本屋 (1912年6月). 2022年1月28日閲覧。
  4. ^ 堀勇良. “情報紙「有鄰」487号”. 有隣堂. 2022年1月28日閲覧。 “東京高等工業学校(東京工業大学の前身)出身の建築家宮内初太郎の先代は、フランス人建築家のサルダの仕事を一手に引き受けていた”
  5. ^ 聖堂の歴史”. カトリック神田教会. 2022年1月28日閲覧。
  6. ^ 【DNP ニュースリリース】 出版文化を支え続けた市谷工場の地に「市谷の杜 本と活字館」をオープン|活字の製造から印刷・製本まで、動態展示で紹介する “リアルファクトリー””. NOTES ON TYPOGRAPHY. 朗文堂 (2020年11月25日). 2022年1月28日閲覧。
  7. ^ 『横浜山手・岡田邸(山手72-5番館)』横浜(神奈川県)の旅行記・ブログ by ドクターキムルさん【フォートラベル】”. 2022年1月28日閲覧。 “「横浜市認定歴史的建造物 岡田邸」プレート”
  8. ^ a b 白川葉子, 高見沢実, 尹莊植, 水沼淑子, 嶋田昌子「横浜山手に現存する個人所有住宅(洋館)の履歴・変遷とその考察:所有者・居住者のオーラルヒストリーからみえること」『住総研研究論文集』第42巻、住総研、2016年、140-141頁、doi:10.20803/jusokenronbun.42.0_133ISSN 2187-8188NAID 130005955767 
  9. ^ 特別展出品目録:神奈川県立歴史博物館
  10. ^ 日本建築学会 編『総覧日本の建築 2 関東』新建築社、1989年、359頁。ISBN 9784786900624https://books.google.co.jp/books?id=eJ4PAQAAMAAJ&q=%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%82%B9+%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BB%BA%E7%AF%89%E4%BA%8B%E5%8B%99%E6%89%802022年1月28日閲覧