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2020年2月15日 (土) 09:09時点における版

竹浦駅
駅舎(2017年9月)
たけうら
Takeura
H27 虎杖浜 (4.8 km)
(2.8 km) 北吉原 H25
地図
所在地 北海道白老郡白老町字竹浦(メップ)
北緯42度29分34.22秒 東経141度15分37.42秒 / 北緯42.4928389度 東経141.2603944度 / 42.4928389; 141.2603944 (竹浦駅)
駅番号 H26
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 室蘭本線
キロ程 102.9 km(長万部起点)
電報略号 タケ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
開業年月日 1897年明治30年)2月16日
備考 無人駅
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竹浦駅(たけうらえき)は、北海道白老郡白老町字竹浦メップにある北海道旅客鉄道(JR北海道)室蘭本線である。駅番号H26電報略号タケ

歴史

1976年の竹浦駅と周囲約750m範囲。左下が東室蘭方面。右上の、街区画に対して斜めに上へ向かう細道が、砂利及び敷生鉱山専用線の跡。積込み場が白老側にあったため、乗降ホームは構内の鷲別側に寄って設置されている。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
  • 1897年明治30年)2月16日北海道炭礦鉄道敷生駅(しきう)として開業[1]一般駅
  • 1906年(明治39年)
    • 3月20日:火災により駅舎全焼[2]。駅事務所にあるストーブから火の粉が屋根に飛び散ったことが原因であった[3]
    • 10月1日:北海道炭礦鉄道の鉄道路線国有化により、官設鉄道に移管。
  • 1917年大正6年):当駅より飛生川の合流点を越えて敷生川上流の砂利場へ砂利専用線敷設[4]
  • 1918年(大正7年)10月31日:北海道製鉄(後に日本製鋼所)敷生鉱山専用線が砂利専用線の敷生川と飛生川合流地点付近から分岐して飛生の架空索道原動所(「終点」と呼ばれた。)まで敷設(当駅からは4M24C、約6.9km)。輪西製鉄所向け鉄鉱石運搬[2][4][注釈 1][注釈 2]
  • 1920年(大正9年):日本製鋼所敷生鉱山休山により国鉄は鉱山専用線の公用を廃止。その後専用線は個人に貸し出して木材や木炭の運搬に使用された[4]
  • 1931年昭和6年)頃:旧鉱山専用線が分岐点まで撤去され、砂利専用線だけとなる[4]
  • 1942年(昭和17年)4月1日竹浦駅に改称[1]
  • 1944年(昭和19年)8月12日:砂利専用線使用廃止[4]
  • 1950年(昭和25年)頃:砂利専用線撤去[4]
  • 1954年(昭和29年)10月:駅舎改築[2]
  • 1972年(昭和47年)3月15日:貨物取扱い廃止。
  • 1980年(昭和55年)
  • 1985年(昭和60年)5月15日荷物取扱い廃止。
  • 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化によりJR北海道に承継。
  • 2007年(平成19年)6月1日:簡易委託廃止。無人駅となる。

駅名の由来

同地はもともとアイヌ語で「シキオイ」(鬼カヤの群生するところ)と呼ばれ[1]、1880年(明治13年)には「敷生村」が設置され[5]、当初は駅名もこれを採用した。

その後、敷生村は合併により白老村(白老町の前身)となり、敷生の名称は字名として用いられていたが、1939年(昭和14年)2月の字名改正で「ごろが悪い[1]」ため、「この地が海岸にあり、かつ背後の山から竹を多く産する[1]」として、「竹浦」に改称され、1942年(昭和17年)4月1日に駅名もこの名称となった[1]

駅構造

  • 混合ホーム2面3線の地上駅で、配線の関係から下り列車のみ待避可能である。駅舎は上り線ホーム側にある。
  • 無人駅である。2007年5月31日までは簡易委託駅(窓口営業時間6時00分 - 16時00分)であった。
  • 上り線と下り線のホームを結ぶ跨線橋は、国鉄の赤字削減案に対する白老町の要望から社台駅と共に昭和55年に新設設置され、駅前・駅裏を結ぶ陸橋と併用する構造となった。[6]
  • かつての駅舎は、駅前に日本通運の営業所があり夜行の貨物も扱っていたため、宿直室も備えた比較的大きなものであったが、火災で一部損傷し現在の小さなものに変わった。また、下り線ホーム上に木造の小さな待合室があったが、現在は撤去されている。

駅周辺

敷生鉱山専用線

敷生鉱山は、第一次世界大戦の軍事的な要求から室蘭の北海道製鐵輪西製鉄所(現在の日本製鉄室蘭製鉄所)へ鉄鉱石を運搬するため、1918年(大正7年)に国鉄によって当駅から飛生地区まで(一部砂利線と兼用)専用線が敷かれて蒸気機関車が乗り入れた。埋蔵量が少なかったことと、戦争終結のために、結果的にたった3年でこの専用線の公的な運用は廃止されたが、その後1921年(大正10年)から民間に10年間程貸し出され、トロッコ貨車(動力は機関車ではなく農耕馬)により、また勾配がきつかったためにインクラインを設けて運用されていた。その後レールが撤去されて砂利線が残るが、こちらも1944年(昭和19年)には砂利が少なくなったことで廃止となり、1950年(昭和25年)頃には当駅までの全てのレールが撤去された。駅裏が広い空き地になっているのはかつてトロッコから鉄道貨車への貨物積み替え用の施設があった名残である。施設撤去後は昭和40年代頃まで火山礫(有珠山、樽前山由来)を使ったコンクリートブロック製造工場があったが、現在は空き地のまま。終着の停留所(旧飛生小学校の裏手)のあったあたりは現在でも「終点」と呼ばれている。昭和40年代から50年代にかけて跡地の道路が舗装されるまではレールの残骸の一部が道ばたにところどころ放置されていた。日鐵鉱業所有となった敷生鉱山は、その後1952年(昭和27年)から1957年(同32年)の間再開したが、運搬はトラックで行われた。

隣の駅

北海道旅客鉄道(JR北海道)
室蘭本線
虎杖浜駅 (H27) - 竹浦駅 (H26) - 北吉原駅 (H25)

脚注

注釈

  1. ^ 新白老町史 上巻 平成4年発行 P1434。敷生鉱山の山元から飛生の専用線「終点」までの約6kmは架空索道(ゴンドラ)で運搬された。
  2. ^ 距離は大正8年度 鉄道院鉄道統計資料 第10篇 監督/第5章 専用鉄道 より。

出典

  1. ^ a b c d e f 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、71頁。ASIN B000J9RBUY 
  2. ^ a b c d e 新白老町史 下巻 平成4年発行 P700-702。
  3. ^ しらおい再発見 地域学講座7 竹浦地区 ⑦竹浦の火事 白老町教育委員会生涯学習課 2018年8月10日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 新白老町史 上巻 平成4年発行 P1483-1485。
  5. ^ 白老町の歴史”. 白老町. 2019年3月12日閲覧。
  6. ^ 新白老町史 下巻 平成4年発行 P686-688 昭和54年5月の国鉄赤字削減案に対する同年12月の白老町と札幌鉄道管理局との協定書資料より。

関連項目

外部リンク